潰国のユリウス プロローグ
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我が祖国、名を『帝政グランベルデア』という。
成立からおおよそ300年と歴史こそ浅いものの、1億の人口を有し強大な国力と軍事力でもって大陸に君臨する大国であった。
更に帝国はただ最強であることに満足せず、周辺国と絶え間なく戦争を繰り返しては、その悉くに勝利、遂には絶対的一強『覇権国家』と称された。
しかし物語の悪役となるような『独裁者に率いられた邪悪な帝国』とはまた違う。
皇帝の権限は議会と憲法、整備された官僚機構によって抑制され、ただ帝国の象徴として君臨する存在に落とし込まれていた。
政務全般も皇帝と同じく名誉職となった貴族によってではなく、高度に教育された官僚達によって行われており、行政の効率性は世襲や賄賂の蔓延る周辺国の比ではなかった。
中世的身分制度はもちろん無く、帝国臣民全てに法律上の自由、権利、教育の機会が与えられ、それぞれの才覚によって得た地位に基づいた社会階級を構成していた。
もちろん人間社会の常として出身地や家柄に基づく多少の不合理と差別は存在していたが、少なくとも公にそれらで区別されることはない。
総じて帝国の民は、他のどの国よりも豊かで幸せと言って差し支えない――そう思っていた。
さて【ユリウス・ローア】と平凡な名前を持つ十五の俺は、この強大で革新的な国家にあって義務教育課程を終えて思い悩んだ。
肉体労働に向く体ではなく、生来の呑気さと欲の無さもあって職人や商売人として身を立てられるとも思えなかった。
更に不幸な事故にて両親と死に別れ、のんびりと自らの適性を探す余裕もまた無かった。
社会の荒波に揉まれず、かつ生活にも困らないためにはどうするかと考えた結果、教育費に加えて衣食住全て無料の軍学校という選択が浮かんだのだ。
このような経緯であるから燃えるような愛国心もぎらつく野心も最初からなかったのだが、税金で面倒を見て貰っている自覚はあったので私なりに真面目に学校生活を送り、なんとか及第点で卒業して後方勤務を熱望するも、何故か参謀見習いとして前線司令部に配属されることになってしまった。
後に教官から聞いた話では赤点ギリギリだった『基礎学科』『格闘・射撃』『愛国思想』のマイナスを『実技演習』『戦術論文』の得点で巻き返し、それが参謀部の目に留まってしまったらしい。
そして奇しくも卒業の年、帝国の覇権を崩さんと有力諸国が大同盟を形成し大戦が勃発。
俺は新人としての猶予を与えられることなく、息をする間もないほど忙しく戦場を渡り歩く羽目となり、度々司令部宛に送った転属願いを速達で返送されつつ少々の武勲をあげた。
大戦に勝利した後、制服が重くなるほどの勲章とやる気に不相応な階級を与えられた俺は友と呼べる者達と出会った。
植民地出身のために上官に軽んじられやさぐれていた副官【ヴァイパー】
才能はあるが真面目すぎて融通が利かない為に嫌われて意見を聞いて貰えない【デイビット】
大胆な作戦が得意だが慎重タイプの司令官から受け入れられなかったマッチョな正義漢【グレズダ】
蠱惑的な雰囲気と肢体を持ち、数多の男と刺激的な情交を求める未亡人の――これは余計か。
部下であり友人でもあった彼らと共に各地を転戦した末に、なにがどうなったのか齢25にして軍人としての到達点、帝国元帥に任じられたのだ。
世間は階級・役職共に帝国史上最年少での就任だと騒ぎ立てた。
毎日のように記者が訪れ、誘ってくる美人記者と関係を持ったら翌日記事にされて就任から3日で大臣から叱責処分を受けたのも史上最速だった。
実に傲慢ながらこの時点での俺は英雄といえたかもしれない。
全てが上手くいっていた。
ただ祖国の在り様に違和感がないではなかった。
祖国はその秩序に従う忠実な臣民には寛大かつ公正であったが、支配に抵抗しようとする者や不平を訴える者にはそうではなかった。
定期的に起こる植民地反乱の鎮圧においては敵国相手にすら行わない非道がまかり通っていると公式ならざる話として聞いてはいた。
それでも帝国の安定が『まっとうな』民に与える恩恵を考えれば、反乱者の鎮圧に行き過ぎがあるぐらいは仕方ない。そう思っていた。
あの日が来るまでは。
民族独立を叫んで立ち上がった臨時政府とレジスタンスは、俺が到着した時には既に植民地軍によって粉砕されていた。
街は軍事拠点と民家の区別なく雨のような砲撃を浴びて燃えあがり、通りにずらりと並んだ男女の死体に義勇兵の腕章がついているかなど誰も気にしていなかった。
俺も長く戦場を見て来たから分かる。
『巻き添え』や『誤射』ではない。民家と市民へ狙いを定めて撃っていた。
軍規違反でありまったく良くはない。
良くはないが感情の高ぶる戦場では起こり得ることだと諦観しようとした時、破壊された民家の前で動くものがあった。
齢十ばかりの少女だった。
目を砲弾破片にやられたのか探るように手を伸ばしながら這いまわる。
「お母さん……おねえちゃん……どこにいるの……」
少女の隣には炭と見紛うほど黒焦げになった母親と数十発の銃弾を浴び、辛うじて人とわかる程に砕かれた姉が転がっている。
気づいた時には何故か俺は馬を降り、何故か少女を抱き上げ、何故か涙を流していた。
「どうして……私なにも悪いことしてないよ……」
その通りだ。
悪いのは反乱を起こした臨時政府と市民が巻き添えになるリスクを承知で街に立て籠もったレジスタンス……そして。
「寒いよ……痛いよ……くるし……」
全ての苦痛を訴えながら、俺の腕の中で腰から下の無い少女が冷たくなっていく。
ボロ布のようになった少女の服は見覚えのある初等学校の制服、彼女は間違いなく帝国市民だった。
「――無情なる我が帝国か」
これほどの理不尽が起きているとは思わなかった――いや嘘だ。
本当は何が起こっているかなんてわかっていた。
見えないふりをしていたのだ。
戦場でのちょっとした行き過ぎ、反乱者の自業自得、帝国の安定こそより多くの幸福となると言い訳をして、俺一人が騒いだところで何も変わらないと諦めて。
理屈を超えたものが沸き上がる。
冷静を通りこして無気力とまで思っていた自分の感情とは思えない激流だった。
現地司令官を問い詰めた。
『いやはや、お見苦しいところをお見せしました。いかんせん現地軍は練度も低くこの程度の反乱ですら統制が乱れましてなぁ。ここは一つ特製のワインを傾けながら名将と名高い閣下に戦術論でも賜りたく』
話にならないと本国に対処を求めた。
『非武装市民の故意殺傷は軍の本懐ではない。されど所詮は叛徒とその支配下の民であるから厳格にすぎる処分は士気低下を招き最善ならず。民が偽装された叛徒であった可能性もあり――』
できることはなくなった。
少なくとも合法的な手段では。
俺の中で何かが壊れた。
「こんなことをしてはいけない。あまりに愚かな選択だ」
分かっているのに理屈は押し切られ本能のままに心が叫んだのだ。
『少女の死をもって得る繁栄など間違っている』と。
「いかがなさいましたか閣下……閣下?」
いつも通りのヴァイパーの声がやけにゆっくりと聞こえた。
「全軍移動準備をしてくれ」
「帰還命令が出たのでしょうか? 存じておりませんが」
普段なら『あれ、どうだったかな?』と笑うところだが表情筋が動かない。
ただ一言呟く。
「目標はグミスの現地軍司令部。戦闘陣形のまま移動する」
「は?」
唖然とする副官ヴァイパーを見ずに続けた。
「――ついて来れない者は離脱して良い。むしろしてくれ」
さあ逃げ散ってくれ。
誰も残らなくても良い。
これは俺の意地だけで始める反乱なのだから。
ここから先はどうだったかと思い出す。
俺の軍団は瓦解しなかった。
信じられないことに指揮官も兵士も離脱する者がいなかった。
燃え上がる現地軍司令部を見つめながらヴァイパーが口を開く。
「私もデイビット参謀長もグレズダ師団長も、みんな閣下に従ってここまで来たのです。祖国ではなく、貴方に」
「見下された者。疎外された者。正当な評価を受けられなかった者。そんな者達を束ねて最強の軍団としたのはユリウス閣下です。栄光の我が軍団の行道、最後までお供致しましょう」
「何故なのかは問いませんよ。閣下がそうするのならば、きっと意味があるのですから」
逃げ散る現地軍と住民の大歓声が響く。
帝国全土が大騒ぎになったのは間違いない。
新聞社は輪転機を壊れるまでフル稼働させ、帝都中に撒き散らされる号外は『ユリウス元帥反乱!』だろうか。
議会は紛糾し官僚達は半狂乱で走り回っていることだろう。
皇帝も安穏としてはいられまい。
そして軍部の混乱こそ極大だろう。
現役の将軍と軍団が丸ごと反乱なんて不祥事どころの話ではない。
あの小うるさい陸軍大臣が唾を飛ばしながら討伐軍の編成を命じているはずだ。
この反乱は叫び声なのだ。
『帝国の、俺達のやり様は間違っているぞ』と訴える叫びだ。
軍人としての全てを否定する浅はかで愚か極まる行為かもしれない。
でも仕方ない。
人生で初めて、自分の意志で振り上げた拳なのだから様にならないに決まっている。
俺は愚かを承知でついてきてくれた仲間と共に帝国の討伐軍を破り続けた。
圧倒的な兵力差を覆し、我ながらこれ以上ないほど見事に勝った。
数倍の討伐軍を3度撃退し2度壊滅させた。
帝国の上層部はさぞ狼狽しただろう。
巨大な帝国中が皇帝から一市民までひっくり返ったはずだ。
俺が何故こんなバカなことをしたのか、皆が血眼になって原因を探すはずだった。
衝撃的な敗北をもって祖国の全員に知って欲しかった。
帝国の端っこで起きた不条理を分かって正して欲しかった。
それで完璧、満点だったのだ。
だが誤算があった。植民地や併呑地域に渦巻く帝国への不満は俺の想像を超えていた。
俺達の勝利、誰にも歓迎されないはずだった勝利……絶対無敵と信じられていた帝国軍の敗北に虐げられていた者達が夢を見てしまったのだ。
岩盤のような帝国の統治に押さえつけられたその下で、マグマのように不満が溜まっていたのだ。
俺の叫びがそこにヒビを入れてしまった。
各地から目を輝かせた大量のレジスタンス達が合流し、植民地政府は次々に帝国からの離脱と俺達への合流を宣言した。
集った義勇兵数十万。
合流した地域人口、実に一千万人。
不格好に振り上げた俺の拳は史上最大の大反乱となったのだ。
最早、不条理を伝えるどころではなくなった。
グランベルデア全土に戒厳令が敷かれ16歳以上の男子全てに徴集がかかる。
『こんなはずじゃなかった。ここまでやるつもりはなかった』
そう思いながらも全力を尽くした。
我が侭に付いて来てくれた仲間と、俺に夢を見て全てを賭けた者達への責任があったから、わざと負ける訳にはいかなかった。
山間部に誘い込んだ帝国軍を四方からの攻撃で壊乱させた。
拠点に向けられた大量の大型重砲を騎兵の夜襲でもって叩き潰した。
市街地に突入した十万規模の軍団を逆に街ごと包囲して降伏させた。
雪崩のごとく押し寄せる帝国軍を相手に戦場では一度も負けなかった。
そして一度も負けないままに追い詰められていった。
そうなることはわかっていた。
工業力、兵站能力、制海権で反乱軍は帝国に並ぶべくもない。
そも長く戦うことは想定していなかった。
まして帝国そのものを打倒する戦略なんて最初から無かったのだ。
悪化の一途を辿る戦況に熱狂は失望に変わり、集まった夢が一枚また一枚と剥がれ落ちていった。
義勇兵団は次々と分解、植民政府も歯が抜けるように降伏していく。
それでも尚残って命をかける者の為に俺は戦い抜いた。
戦って戦って――。
俺は目を開く。
「最期がこれだ」
反乱軍最後の拠点。
大陸東端・要塞都市『ルヴァリオン』
張り巡らされた鉄条網は至るところで破られ、コンクリート堡塁はそのほとんどが崩れ落ちている。
眼前のあらゆる箇所で戦線が崩壊しつつあった。
反乱から2年、最後まで残った兵は今や八千人。
対して押し寄せる帝国軍は一〇個軍団、五〇万。
両軍合わせての死者百万余、国力の四割を喪失した帝国が出せる全力と言っていい。
そして味方には補給も増援も撤退する場所すらない。
追い詰められて至ったこの場所は大陸の端なのだから。
俺は初めて負ける。
人生で最初のそして最後の敗北だ。
「どうしてこうなったのだろう」
俺の叫びは祖国とそこに暮らす者達に重大な打撃を与え、百万の命を焼いた末に終わるのだ。
「どこからが間違いだったのだろう」
もしかすると一番最初から――少女の死に振り上げた拳すら間違いだったのだろうか。
目をつむって何もしなければよかったのだろうか。
「……わからない。もう二度と戦いなんてごめんだ。二度目はないだろうけれど」
唯一持ち堪えていた正面の戦線が崩れ、街に帝国軍が雪崩れ込んでくる。
もうできることはなにもなかった。
「そろそろ白旗をあげようか。これ以上暗くなってからでは見えないかもしれないから」