第一集:荊の結婚祝い(前篇)
午の刻の正刻、太陽は真上にある。春うらら、碧羅の天は清きで満ち、雲ひとつない。穏やかな天候は天上皇の恵みだ。
村人達は当たり前の安寧と平和が如何に大切か、狐界の三毒狐のひとり、雷が生んだ自然の渾沌、雷狐――電蔵主庵の一件で学んでおり、日々の恩恵に感謝し、今日も各々、一家総出で田畑や家畜の世話に励んでいた。
畑で汗水流す村人の男が小道を歩く焔に気づき、声をかける。
「お~い、鬼の兄ちゃん! いい天気だな~!」
「…………」
焔は返事をしない。露骨な無視だ。
「兄ちゃん、今日も元気だな。っしゃ、俺も頑張るぜ」
相変わらずの反応で村人の男は逆に安心していた。額の汗を拭い、1050mmの唐鍬で硬い地面を掘り起こす作業に戻る。自然の営みの中で食を育み大地を耕す人間本来の姿は美しい。
「……こっちか」
そんな村人達の尊い光景を意に介さず、焔は村外れの森へ向かった。光の届かない樹木が密集している場所は薄暗い。不吉で闇が捩じれた雰囲気がある。風も吹いておらず葉の音すらしていない。
「……ここか」
静寂に包まれた空間で焔は紅い瞳子を左右に動かし、嗅ぎ慣れている臭いを辿り、獣が踏み固めた獣道を覗き込んだ。砂利道を足裏で鳴らす足音が響いていた。
焔が鬼火をふたつ放ち、奥を照らすと、「よ」と青年が片手を上げる。
容姿端麗な顔立ちで瞳、睫毛、唇、爪、と青い。青い長髪はひとつ結びの三つ編みに編んであり、膝下まであった。下瞼は青い粉状で彩られてある。
2m50㎝の長身だ。服装は詰襟で横に深いスリットが入った、風合いある錆納戸色の旗袍を着用していた。施されている荊模様は、藍鉄色の布製だ。滑らかな曲線を描いた爪先が丸い形のブーツと揃えてある。
頭部に生えた二本の青い鬼角が特徴的な青年は、人間ではない。
鬼界で最恐の三鬼、三災鬼のひとり、乱螫惨非だ。
下界の通り名は棘童子で本名は荊、人型の雑鬼で悪逆無道と名高く、天地に悪行の数々を轟かせていた。
陽気な性格だが根は罪大恶极《ヅゥェイ ダー ウー ヂィー》だ、広大な鬼界の西を治める実力は侮れない。
「やっほ~、孤魅恐純~! お疲れちゃ~ん!」
荊は屈託のない笑顔で挨拶をした。焔は冷めた目つきで荊を見据え、長い右足で蹴り上げる。
前触れのない突然の攻撃だ。
「――ブハッ」
荊は宙に舞い、地に叩き付けられた。けれど、ものの数秒で立ち上がる。傷は負っていない。
「痛ってえな!! おまっ、急に何すんだよ!!」
「急はそっちだろ荊。『13日の金曜日、つまりは明日の午後、新婚さんを邪魔しに行くね』って、切り刻んでほしいのか?」
律儀なタリアが荊に結婚報告として出した手紙の返事で送られてきた内容だ。下界の住所をしっかり添えている辺りがタリアらしく無防備で、焔は罰と称してタリアを一晩中、啼かせ続けた。
「冗談じゃん冗談~! いや~結婚おめでとう、孤魅恐純! 三百年後っつってたのに~、結婚祝い持って来たぜ!! タリアちゃんは!?」
「はあ……、家でお前の贓物以外の好物、海鮮や野菜のかき揚げを作ってる」
タリアの手料理は荊に贅沢だ。そう焔はタリアの意向を反対したが、「私達の婚姻を祝してくれる焔の友人を蔑ろにしたくない」と懇願されては断れない。
三災鬼をもてなす上位神、もとい、神はタリアくらいだ。
「……なんっていい子なんだタリアちゃん~!! 本当にお前の嫁なの!? 殺戮で頭イカれて精神病んじゃって妄想とかしてんじゃねえだろうな!? 相手は天上界を牛耳る上位神だぞ!? さてはタリアちゃんに妙な催眠術を――」
焔が荊の価値のない戯言を遮る。
「――死ね」
怒りを炎に変え、荊を燃やした。
「でええ!? うわっ、アチッ、アチチチ!!」
荊は地面の土で炎を鎮火させる。素早い対応はさすがだ。
「チッ……」
「何なのお前!? 益々、短気になりやがって!」
荊の抗議は焔の踵を返す背に浴びせられた。無言で遠ざかる焔を荊は追いかけ、支離滅裂な長広舌を揮っていた間に、鬼界で見られない藁葺屋根の小さな家に到着する。
焔が玄関戸を開けた。十分程度で帰ると伝えていたため、閂は落ちていない。
「――ただいま、タリア」
「――おかえり焔、いらっしゃい荊、道中、大丈夫だった?」
丈の長い和装用の白い割烹着を羽織る、眉目秀麗なタリアがお玉片手にふたりを出迎えた。可憐で淑やか、鬼界の女鬼にない気品、正に女神だ。畏怖の念を感じさせる儚い微笑みは神々しい。
「……タリアちゃん、一回でいい、僕と――」
「さ、昼餉にしようタリア」
焔は玄関を閉め、閂をがちゃり填める。
「え? あ、焔、荊が……」
「入れてくれー!! 僕を忘れないでー!!」
「荊? 誰だっけソイツ」
焔は首を傾げ、とぼけた。にっこり笑っている顔が怖い。
「焔、なにがあったか知らないが、荊を許してあげて……」
「じゃあ、タリアからキスして、濃厚なのがいい。そしたら、荊を許すよ」
「…………」
とんだとばっちりだ。しかし選択肢はない。タリアの努力で十五分後、ようやく荊は家に招かれ、入れたのだった。
おはようございます、白師万遊です(*ฅ́˘ฅ̀*)♡
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【追記】
罪大恶极=極悪非道




