第一集:闇の訪問者(前篇)
酉の刻の正刻、下界は夕陽が沈み空が藍色に侵食し始めた。そろそろ帳が下りる時刻だ。
薄明光線の幻想的で美しい光景は見応えがある。
しかし人間は神と通じた明るい境界が暗くなっていく夕暮れの事象を、魔物や災禍、不幸が齎される時間帯、「大禍時」と名付け恐れていた。
そんな世界の色合いが捩じれ、神域との端境が霞み、常世と常夜が歪む頃合いを待っていた人物がいる。
「――ここか」
闇黒を纏った男がひとり、静寂で満ちる地上にストッと降り立った。黒闇闇で染まる艶めいた二翼の翼が蔵われる。男が見上げた先にあるのは、精緻を極め、精密で精巧に作られたタリア像だ。
男は藁葺屋根の小さな家の玄関扉を叩いた。家中で争う声が聞こえてくる。
「――焔っ、人が来た、離してくれ!」
「――……チッ」
ガタガタ物音が続き、ようやく扉が開けられた。
「――え」
タリアの瞳孔が驚きで狭まる。
「ようタリア、こんばんは」
村人だと思いきや、来訪者は堕神の王、輝堕王であった。彼は元上位神、光を司る男神ルキ、タリアの兄だ。
革が揉まれた、もみ革製のチュニック、黒軍服を着衣している。絢爛華麗な黒マントを羽織う服装や、黒い長髪をツインテールに束ね団子状で結った髪型は以前同様、変わらない。容貌も相変わらず眉目秀麗で黄金比率の顔形だ。黒い虹彩、黒い眼球、目縁に施されてある化粧も黒い。
――遥か昔、ルキの来臨の栄を賜りたい神々は多かった。
いまは無論、彼の降臨は消滅か堕落を意味する。そして彼は天上皇が創りし人間が嫌いだ。決して地上で最も劣った下界に足を踏み入れない。
天上界で既知の事実だ。故にまさか自分の家を訪ねて来るとは思わず、タリアは唖然とした。動かないタリアの細い腰を焔が引き寄せる。
「やあ義兄さん、いらっしゃい。入りなよ」
タリアを後ろから抱き締めた形で挨拶をする焔の口調は柔らかい。
「……あ、うん。こんばんはルキいらっしゃい、どうぞ入って」
刹那の間を破り、タリアが焔に同調し、促した。下界の春は朝番の寒暖差が大きい、ルキも寒いはずだ。
「ありがとな、邪魔すんぜ」
ルキはタリアの頭部を撫で、歩を進めた。タリアは玄関を閉め木製の閂をかける。火が着いた囲炉裏で室内は暖かい。
綴じ込み式で織ってある絹交の座布団が囲炉裏を囲んだ床板に敷かれてあった。
「義兄さんは、そっちに座って」
焔が指定する席は一番奥だ。ルキは黒マントを脱ぎ、指定された場所に座る。
「突然の訪問、悪かったな」
「義兄さんは歓迎するよ。ね、タリア」
「もちろんだ。鬼界の福紅寿のお茶、美味しいよ」
お茶を用意していたタリアが湯呑が乗る丸盆を手に戻り、胡坐を掻いた体勢で座するルキの傍に置いた。刹那、ルキがタリアの右腕を掴んだ。
ガタッ、と焔が鬼灯丸の刀の柄を握り警戒する。ルキは焔を目尻で捉え、「慌てるな火鬼」と告げ、タリアに視線を移動し謝った。
淀んだ黒い瞳が懺悔で揺れている。
「すまなかったなタリア、堕神の件でお前を傷付けた。俺の監督不行き届きだ、許してくれ」
数か月前の話だ。タリアは天帝饗宴で舞を披露した後、不意に堕神に誘う烙印を押され堕落しかけた。エルやクロス、焔のお陰で一命は助かり、天上皇の情けで神体は元通りになっている。言を俟たないが、犯人の大神ドックスは征伐され、彼を唆した堕神はルキが葬り、事は機密事項で内々に処分されていた。
「ルキのせいじゃない。ルキが私のために堕神を裁いてくれたことは聞いている。ありがとうルキ、ずっとを守ってくれて。一直、ルキはいまも私の自慢の兄さんだよ」
微笑むタリアが幼い頃のタリアと重なり、鮮やかな色彩で彩られた記憶の断片が、ルキの脳裏に過る。忘れてはならない、忘れられない、兄妹弟と過ごしていた恋しく尊い、――復元不可能な過去だ。
「ああずっと……、お前も俺の自慢の末弟だ。火鬼、お前にタリアを救ってくれた礼を言っておく。ありがとな」
「別に礼はいい。当然だよ、タリアは俺の嫁なんだ」
「ああ……三百年後が急遽、結婚したってなお前ら、おめでとう。お前らの前途を祝福してやる。俺の要件は済んだしまずは、お前らの馴れ初めが知りてえな。俺の独一无ニ(ドゥー イー ウー アル)、天地で一等の最愛タリアを掻っ攫ったんだ。火鬼、内容次第じゃ俺はお前を殺し兼ねない。考えて話せよ」
ルキが振る話題は半ば脅しに近い。腕を組んだ焔と睨み合っているものの、口角は両者共に上がっていた。相性は良いようだ。
「いいよ義兄さん、徹夜、覚悟してね」
「ガキがナメんな俺は悪の灯火、神々や堕神が恐怖で慄く輝堕王だ。時間はたっぷりある」
「じゃあ私は夕餉の準備をしてくるよ。二人共、喧嘩はしないでね」
貰った野菜は沢山ある。ルキひとり増えたところで困りはしない。台所に向かうタリアの背をルキと焔が見送った。しっとり瑞々しいタリアの長い桜の髪を眺め、ルキが独り言ちる。
「……タリアの手料理か、数千年ぶりだ」
「新鮮な鯛のあらを香ばしく焼いた吸い物があるよ。筍とチンゲン菜の焼きびたしや、桜の花の塩漬け、俺の好物で|古老肉《グゥー ラァォ ロォゥ》も作ってある。あとはきっと、グリンピース、筍、ゴボウ、ニンジンの炊き込みご飯を炊くんじゃないかな」
「今夜の俺はツイてるな」
「じゃあ俺は毎日、ツイてるね」
ふたりは目笑し、焔はルキの正面に着座した。今宵は三人、長い夜となる。ルキは一時の幸せを噛み締めたのだった。
おはようございます、白師万遊です(∩ˊ꒳ˋ∩)・*
最後まで読んで頂きありがとうございます(ぺこ)
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