第二十一集:東の領域、鬼界の極楽街
戌の刻の初刻――、タリアと焔は中央往来の間を使い、鬼界に降りた。火鬼、孤魅恐純が統治する鬼界領東、獄楽街は賑やかだ。赫灼と闇夜が照らされ、紅い湯気で覆われている。
「――わあ! 温泉街になってるのか!?」
「――まあね、俺の縄張りだ」
獄楽街は中央に高温の温泉川が流れており、弓なりの紅い反橋が幾つも架かっていた。手鞠型の竹灯籠が設置されてある。夜空の星々を邪魔していない。川を灯す橙色の燭光は幻想的だ。
左右の川沿いは赤を基調とする色鮮やかな建物が並でいた。統一感のある外観は見事だ、雰囲気は些か妖しい。
一番圧巻なのは、最奥に聳え立つ十二階建ての紅い楼閣だ。丸窓の竹格子、角窓の晒竹、光映した赤瓦に垂れる無数の提灯と鬼灯、二階の露台の屋根に般若の形相をした黒い招き猫がいる。右手の前脚を挙げた銅像だ、左手の前脚に血塗れの小判を抱えている。
入口の暖簾は黒い。丈は五十センチ弱だ。白い筆で喜怒哀乐と書かれていた。
付近に開放的な亭がある。宝形造の緑瓦の屋根だ。紅い柱は六本、壁はない。
「……下界にない水車だ、凄いな」
楼閣の右の側辺で大きな三連水車がくるくる回っていた。水の活動力を機械的エネルギーに変換する回転機械、人間が開発した原動機だ。
獄楽街は飲食店や雑貨屋も軒を連ねている。赤鬼、青鬼、黒鬼、雑鬼、人型や獣形の多種多様な鬼人が行き交っていた。
賭博をする者、酒を呷る者、買い物で世間話に興じる者、活況を呈する景色は天上界にない幻怪な世界で眺めていて飽きない。
「ハハ、タリア、気に入った?」
「ああ、キミの縄張りは楽しいな」
「まあね。あっちは行っちゃだめだよ、百鬼遊郭がある。花柳街の奢侈遊郭に劣るけどね、まあまあウチの遊郭も厖大で稼ぎはいい」
あっち、は橋を渡った西側の区画だ。二階造りの楼門がある。白壁に朱色の柱だ。豪華な打掛を纏う女鬼達が黒塗りの高下駄で練り歩いていた。
「……キミは多才だね焔」
「ハハ、ありがとう。おいで、こっちだよ」
「ああ」
焔に右肩を引き寄せられ、石畳の道を進んだ。三階建てで一階が吹き抜けになった楼閣の頭上は高い。紅い柱の回廊もある。
「――孤魅恐純様じゃねえか!!」
「――ああ封印が解けたって噂だ」
「――女鬼といるぞ」
「――白い角? 雑鬼か?」
タリアと焔は注目の的だった。往行する鬼人達はふたりに釘付けだ。
「…………」
タリアは無意識に駄弁る鬼達の会話を拾い、装着した白い鬼角を確認する。鬼界を訪れた際は必ず鬼に扮するタリア、上目遣いで焔に訊ねた。
「私は鬼になれてないか? 似合っていない?」
「…………」
桜色の明眸は瑞々しい。焔を反射している。目縁をみっちり囲った睫毛は長い。タリアは不安を八字眉に宿していた。焔は無言で潤う唇に口づけする。
「――――ッ!?」
ふたりの動向を窺う鬼人達は唖然とした。
「……ん」
須臾に感触はなくなる。
「似合ってるよ。完璧な鬼だ。鬼界随一に綺麗な、ね」
「……ありがとう」
「さ、こっちだよ」
焔はタリアを笑顔で見下ろし、見物人の鬼達を睥睨した。炯眼する虹彩は紅い。
「――ヒッ!」
「――殺されるぞッ!!」
「――すんません、すんません!!」
鬼達はサッと四散した。獄楽街を統馭する火鬼、孤魅恐純を怒らせてはいけない。彼は獄楽街の掟だ。余計な行いで逆鱗に触れたら最後、生きて獄楽街は出られない。
「……焔? なにかあったか?」
「いや何も、余所見しないでタリア、転んでしまう」
「ああすまない、ありがとう」
今宵の極楽街は至って平和だ、和太鼓や神楽笛の音色が響いている。幅広い音域の豊かな旋律が奏でられていた。
タリアは焔に導かれるがまま、外の空間と繋がった楼閣の下を歩行している。布製の紅提灯が飾られた一帯は奇観だ。
「……精密だな」
楼閣の木鼻に施されてある竜や麒麟の彫刻は精巧で躍動感があった。技巧を凝らす海老虹梁も技術的に優れている。驚異的に細かい、他に類がない構造だった。
風雅な趣だ。タリアが辺りの風景に夢中になっていると、一画の角を曲がった焔が足を止め、必然とタリアも制止する。
「ああ、あったあったタリアここだよ」
どうやらここが以前、焔が言っていた、『いい占い師がいる』場所のようだ。
「ここが?」
「そ、入ろう」
「ああ」
タリアは焔に促され、紅い木製の面格子の窓を挟んだ真ん中の黒い暖簾を潜った。
内方は五畳とない、薄暗い赤一色の部屋だ。床の紅い絨毯は所々、破けている。天井板に吊るされた青銅製の吊灯籠は四角型で四君子模様だ。中心には光沢感ある赤い波型縁取りのテーブルクロスがかけられた円形の机がひとつあり、椅子は一脚しかない。
焔にやんわり背中を押される。
「タリア座って」
「私はいい、焔が座ってくれ」
「タリア」
焔の語調は強い。平行線の主張は譲り合いが大事だ。
「……、ありがとう」
タリアは焔の厚意に甘え、椅子に腰をかけた。焔はタリアの右横で腕を組み、「鄭」と呼んだ。すると壁と同化した正方形、50㎝角の隠し扉が旋回し、背丈70㎝の赤鬼が「ほい」と現れる。
左手に掴んだ脚立を固定した赤鬼は階段を上り、座するタリアの正面で直立した。素足で皮膚は赤黒い。アフロヘアの髪色は赤く、増女の能面を被っている。服は蓑だ。鬼の牙や爪で作られた自然たる首飾りは削られていない、生々しい肉片が付着していた。
赤鬼に胸の膨らみはない。男鬼だ。頭部に一本、角が生えている。
「――いらっさい。ほんや、孤魅恐純じゃないか」
鄭の声音は錆び切った塩辛声だ。鬼界を統べる火鬼、孤魅恐純の来訪に特段、驚愕はしていない。鬼界の三災鬼、招死笑滅や乱螫惨非を占う占い師なのだから、当然と言えば当然であった。
焔が早速、簡略に告げる。
「俺とタリア、占って」
ふたりが鬼界を訪問した目的だ。焔は以前、五事官の長ウリにタリアの「凶運の発端」と名指しされ、タリアと鬼界で運勢占いをする約束をした。今夜が、その日だ。
「ほい。アンタがタリア。いんよ、なん占う?」
「俺達の相性」
「ほい。孤魅恐純は左手ェ、タリアは右手ェ」
とんとん拍子の問答が終わり、タリアは戸惑いがちな手つきで鄭に左手の平を見せる。人生初めての占いだ、多少の緊張は致し方がない。
「お願いします……」
「ほい」
「…………」
焔は左手の平を差し出すのに躊躇いはなかった。鄭はタリアと焔、ふたりの手相を交互に観察し、鼻をふんふん鳴らしている。揺れ動く首が可愛い。
「ほい。あんがとね」
二分と経たず解放された。焔が一語で催促する。
「――で」
「ほい。煽てず、ふたりの相性はいい。孤魅恐純にないところをタリアが、タリアにないところを孤魅恐純が、補える関係、ふたりでひとつの愛を構築できる。タリアは愛情深い面倒見がいい芯もぶれん、孤魅恐純は感情線がまるっとない。感情線は普通は同じがいい、でんもオマエたちは極端に逆の性質、不釣り合いで相応の魂になっとる。下界の魂で例えたらまあツインレイ、人生の変革で出逢ったんやな。タリアも孤魅恐純も生命線がない、生きてるの不思議、まあない同士、いいんやろ。孤魅恐純の嫉妬心は鬼界一、タリアの鈍感は鬼界一、ぅんまあいい相性。運は運ぶ、おまえたちは自分の意思で運を運び孤独の相を脱した、相性いい。上向きの結婚線、いまが結婚準備最適」
鄭は淡々と説明した。タリアは天上界の神だ、生命線がない「不思議」は既知の事実で彼の解釈に文句はない。
「俺とタリアは相性がいい」
焔も不満のない様子だ。タリアの右手を掬い、自身の頬に宛がう。満悦の表情でタリアも嬉しくなった。
「ああ、やっぱり私達は福運だ」
有能感、達成感、使命感が齎す幸福に感謝したい。タリアは頷き、焔と目笑する。二人の甘い空気に鄭は居心地が悪そうだ。
「……ほい」
「鄭、お前の所場代、百年タダにしてやる」
「ほい!?」
焔は頗る機嫌が良い。予想外の棚からぼたもちで、鄭も、ふたりの幸運にあやかれたのだった。
おはようございます、白師万遊です⸜( ´ ꒳ ` )⸝♡︎
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