第十八集:アライアの想い人
「……ハア、寒い」
太陽がまだ昇っていない卯の初刻、上位神アライアの姿は下界にあった。辺りは幽闇で静寂に包まれている。傍にひっそり佇んだ檜皮葺屋根の小さな流れ造り神社は古い。苔むす石鳥居の柱脚部、亀腹や反増、額束、狛犬や石段が自然と調和していた。
舞う粉雪は柔らかい。地面の熱さに負け、さらさら溶けている。
「来ないわね……」
アライアは鳩羽色の外套を羽織り直した。形は優雅で華やかなドレープを描く、大判のケープコートだ。襟元と袖口にラビットファーがトリム、即ち装飾されてある。モダンなヒヤシンス模様は上品で、女性らしい装いだ。
「――アライア」
そこに物音ひとつ立てず、ひとりの男が現れた。堕神の王、闇黒を司る輝堕王だ。彼は革が揉まれた、もみ革製のチュニック、黒軍服を着衣している。
詰襟で袖がフラットな腰丈の栗梅の上着に、下は黒い短袴、謂わば乗馬ズボンだ。肩章は金色の鎖でショルダーチェーンになっていた。金色のダブルボタンは十二個、真鍮製でドーム状に盛り上がっている。金糸や銀糸で刺繍が施された黒マントは絢爛華麗、引き摺る長さは権威の証だ。栗梅のロングブーツは膝丈で五連のバックルベルトと、二つのチェーンベルトが付いていた。
容貌は眉目秀麗で、パーツの配置がいい黄金比率の顔形だ。すっきりしている肉のない顎に山根と鼻尖が通った高い鼻、彫深い瞼に黒い虹彩で眼球も黒い。目縁は黒化粧がされてある。歯や舌、爪も黒く、上質で肌理細かい肌は煌いていた。唇は厚みが薄く艶々しい。
髪型はツインテールの黒髪を束ねて丸め、団子状に結ってあった。生花の黒い彼岸花が挿してある。長い前髪は団子に入れておらず、真ん中分けの自然体で左右に垂らしてあった。
背丈は206㎝ある。天上皇授かりし十二枚の翼は漆黒だ。
「久しぶり、ルキ」
アライアは動じていない。ゆっくり輝堕王に近寄る。
「……ああ、久しいな」
輝堕王は元上級三神の上位神、光を司る男神ルキ、が旧時の神名だ。上位神エルの次に創られた男神でアライアの兄になる。ルキは上位神で最も知恵に満ち、美の極みで、光を齎す神と謳われていた。
彼は神代の昔、地上に生まれた初めての人間の跪拝を拒み、天上皇に天上界を追放され、初めての堕神となった男神だ。天上界と下界の境に自分で創った異空間、常闇の奈楽界に住んでいる。
「……タリアは無事よ。天上皇が再創造してくれたの、危うかったわ。火鬼がいなきゃ……」
「火鬼……ああ、アイツか。タリアの男だろ、やるじゃねえか」
「――え、火鬼と会ったの!?」
「まあな、俺は好きだぜアイツ」
ルキは偶然、タリアと数世紀ぶりに再会していた。タリアが世話になっている村の子供ユアンが魔女のりんごを食べ、「りんごの呪いだ。三日後に死ぬ」と予言された、あの堕神の一件だ。ルキはいまも憶えている、別れ際に抱き締めたタリアの温もりを忘れていない。
「好きってルキ……。彼は鬼界の火山が生んだ渾沌、火鬼よ? 正統な上位神と真逆の異端児じゃない。ちっぽけで賤しい無価値な魂、下賤だわ」
「火鬼はジジイが創った愚かな紛い物の神や、下等な人間じゃねえ。幾分、マシだ」
「……ハア、相変わらずねルキ」
「お前も相変わらず、俺がやった耳飾りしてんじゃねえか」
アライアの両耳を飾る古風な扇形の耳飾りは、ルキが贈ったものだった。細かい細工で装飾された鈴と蓮が可愛く、気品ある水色フリンジの彩りはさりげない。
「……ッ、べ、つにいいじゃない。蓮が好きなんだもの」
「ハア……蓮ね、お前そろそろ俺を好きでいるのやめろ」
「……兄妹弟が好きで何がいけないのよ」
「アライア、俺の嫁になる夢は諦めろ」
「……っ!!」
鶯舌でハッキリ告げられたアライアは、胸中を見透かされ、顔を真っ赤に下唇を噛んだ。「ったく」と呆れ気味なルキに益々、アライアの体中の血液が羞恥で沸騰する。
「俺は堕神の王、闇黒を司る堕神王だ。お前の恋人だったルキはいない」
「…………」
アライアの初恋はルキだ。初めて体を委ねた相手もルキだ。彼に告白し、諾了され、恋人となり、婚姻――の予定がその間近で彼は堕神に堕ち、アライアの元を去った。いまも尚、想いを断ち切れずにいる。「いない」の一言で片付けられない、数千年の患いだ。
「……はあ。エルに言伝を、そっちの大神を唆した堕神は殺した」
「……了解、ありがとう。エルがアナタに会いたがってるわ」
「ハハッ、天繋地でたまに会ってる。ま、すげえ遠目でな」
ルキは肩を竦め、苦笑した。天上界と下界の狭間――天繋地で、天官軍と堕神や異界者は日々、交戦している。ルキもごく稀に天繋地へ赴き、当初、人間を拒んで共に反旗を翻した堕神達と戦い、絶対的で憎き天上皇に再戦を挑める機会を窺っていた。
ルキは自身の父、天上皇が嫌いだ。自分の子供以上に人間を愛し慈しみ、時に戒め、恩恵を与える父親の寛大な御心が許せない。
「双子で争うなんて……」
悲しいわ、と呟いたアライアが愁眉を顰める。
天上皇創りし初めての男神エルと、次に創られたルキ、二人は双子だ。弟ルキを失った兄エルの喪失感は計り知れない。彼は天繋地で己の任務を遂行し、ルキが天上皇に懺悔する日を願い、信じ、待ち続けていた。
「ハッ、今更だろ。アイツはジジイに忠実だ。不満だらけの俺と違う。ジジイの寵愛を俺達より劣る、威光や力を持たない粗陋な人間に奪われて平然としてやがる、反発心がねえ。叡智の盲従だ」
「私達上位神は天上皇を尊重するため生まれたのよ。嫉妬や暴慢で天上皇を困らせるためじゃない。私達の真価は天上皇に注ぐ愛情にあるの」
「ジジイが人間を一掃すりゃ『偉大な創造主』って崇高してやる」
「……ルキ」
「お前の巧言令色で籠絡されちまう俺じゃねえ」
「…………」
ルキの突き放した物言いにアライアは口を噤んだ。「そんなつもりない」は嘘になる。ルキを改悛させたい真心が裏目に出てしまった。反論の術がなく黙してしまう。
「んなしょげんな、アライア」
「……しょげてないわよ」
「アライアお前は堕ちるなよ、堕神に。俺とした約束、憶えてるな?」
刹那、低音でルキが唐突に訊ねた。暗闇を従える眼光は鋭い。
「……憶えてるわ。私達上位神の末弟、タリアを全力で守る。でしょ」
「ああ。アイツは俺達上位神ひとりひとりの希望と血が混ざる、天地で随一、特別な存在だ。幸せでいてほしい、幸せじゃなきゃいけない」
ルキの唯一、変わらない理念で固い信念だ。アライアから目線を逸らすルキの横顔は凛々しい。栄光で輝いていた上位神の面影が微かに残っている。けれど邪気を帯びた雰囲気は不気味で禍々しい。アライアは否が応でも、ルキが堕神に堕ちた試練たる現実を再認識させられた。
「タリアは私達上位神の愛念の祈りの結晶よ、幸福な未来を天上皇が確約してくれているわ」
上位神タリアは天上皇が創った男神で相違ない。しかし上位神の一滴の血と希望が一欠片、細胞に導入されてある。最後、を強調した天上皇の粋な計らいだ。
そして自らが誕生に関わるタリアを上位神達は育てた。我が子同然で愛着が沸かないわけがない、彼らが挙ってタリアを傾慕する所以だ。位階や兄姉弟を超えた愛がある。
「……俺の信頼はジジイにねえ、お前ら兄妹弟にある。じゃあなアライア、俺は行く。お前も俺と長居してちゃ、間諜って疑われちまうぞ」
「……あ、待ってルキ! もうちょっといいじゃない、兄妹でしょ」
踵を返すルキの左腕をアライアが咄嗟に掴んだ。かき集めた勇気で「五分でいい」と引き留めるがルキは首を縦に振らない。
「はあ……、だめだ。俺はお前の敵対者、タリアの情報交換が終了したいま、お前に用はない。兄妹弟によろしくな、さっさと天上界に帰れよお前も」
そう言ってルキは暗黒色の霧になって消散した。アライアの手が宙で彷徨い、ルキの余香がふわり一帯に漂う。ひとりになったアライアは俯き、頬を濡らす一筋の涙を拭ったのだった。
おはようございます、白師万遊です⸜( ´ ꒳ ` )⸝♡︎
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