第七集:二刀流 対 和弓
「死にたくねぇ!! 嫌だ!! 嫌だ!!」
「クソッ、コイツ!! っざけんじゃねえ!!」
「あ~~、きちい……」
鬱蒼と生い茂る森奥、どっしりとした幹の太い枝で影が止まる。
自分の両足で立つ男と異なり、両脇に抱えられた――長着に襷、尻っ端折、股引に足元が草鞋の村人二人は宙吊りの状態だ。高所云々は、拉致されている現実で二の次だった。
村人達は早かれ遅かれの死を想像し、必死に男の腕を殴り抵抗している。
「――ン、の!! 放しやがれ!! 化物が!! 放せってんだ!!」
「クソッ、放せ!! 放せこの野郎!! クソ、クソォッ!」
人間の生と死は隣り合わせだ。花咲く誕生の祝福に枯れていく死を貰う。周知の事実だが、やっぱり、身勝手に人生を奪われたくはない。
二人は殴って、殴って、殴って、筋肉が痙攣しても握った拳を休めずぶつけた。にも拘わらず、歯が立たない。
「っるせえなあ!!」
男は自慢の腕力で二人をギチギチ締め上げる。彼の名は丹今、狐界に住まう狐族の白狐だ。
黒狐類洞の袖が広い白の道士袍服に脚衣、手袋、脚絆を巻き、フェルト製の黒靴を履いていた。両腰に佩く太刀は二振りだ。狩場で腰に負う矢入れ具の一種、箙の腰革――刀を水平に保つ腰当で吊るしてある。要は、太刀拵の帯執に太刀紐を輪になっている方を柄側に結び、腰の後ろから回す紐を引き締めた装いだ。
ホワイトマッシュアップ短髪ツーブロックの丹今は白い狐耳に尾は三本、童顔で目尻の下に白い線があり、くりっとした二重に特徴がある。骨ばった部分はない、小動物に似た印象だ。厚い涙袋に白い肌、175㎝の小柄で細身の体型、所謂、甘い砂糖顔は中性的な雰囲気もあった。
「ヴッ、ガ!! ぐるじ……」
「や、めで、ぐで……!!」
「オイオイオイ、げろってじゃねえぞ!! ブヒブヒブヒブヒ、きったねえ豚だな!!」
可愛い見た目に反して語法は悪い。
「グゾ……ッ、ァ、ア……!」
「もっぅ、勘弁、じでぐ、れ……!!」
胸部が圧迫され呼吸運動に障害がおこる二人の体は限界にきていた。心臓や肺、重要機器の大血管が破裂寸前だ。
「――っといけねえいけねえ、ごめんなあお前ら。内臓が搾り出ちまうトコだったぜ」
丹今はにんまり冷笑し、上腕二頭筋を緩めた。二人は生と死の狭間で弄ばれ、希望と絶望の繰り返しに大粒の涙を流す。
刹那、一本の葦矢が風を切って丹今の右頬を掠った。正面に光る、平行に並んだ鋭利な矢尻がもう二本、目前に迫っている。
「――ちっ」
丹今は邪魔な荷物をふたつ投げ捨て、斜め上の幹に跳び移った。突然落とされる村人二人に翼は無論、生えていない。
「ウ、ギャァアアア!」
「ヒュ、エエエエエ!」
重力に逆らえず降下した。二人は視界が下がっていく中で、和弓を持つ男を発見する。天上界の神官で、武官の潔癖症ウォンヌだ。
ゴーグルと手袋装着済みの怪しいウォンヌは、親指を立てて頷いた。
「――礼はいい」
「っざけんなあああああ!!」
「人殺しいいいいいいい!!」
自分達を落とした張本人に叫んだ。予期せぬ二人の態度にウォンヌはむくれる。
「助けてやったんだぞ僕は!!」
「許さねえええええ!」
「死んだ死んだ死んだアアアアア!」
ウォンヌの声は届いていない。到頭、二人は地面に直撃する寸前で気絶した。死んで――、はいない。
二人の鼓動は脈を打っている。ウォンヌの発言に偽りはなく、仄かに灯る光りが衝撃を吸収し二人を助けていた。
「はあ……、僕は神だ。人間は殺さない」
ウォンヌは溜息交じりに独り言ち、弓構え、静かに打起こす。左右平等に引分け、会に至ると、眼光炯々に言葉を継いだ。
「――下界を害す白狐は別だ」
胸郭を広く開き矢を放った。速さで振動する篦が空間を切り裂き、尖った征矢が丹今を襲う。
「奇遇じゃねえか!! 俺も神官は大っっ嫌いだぜ!!!」
丹今は抜刀した両手に握る刀で十文字斬りした。刀と言っても刀身はない。
「……雨雲」
「ああ、俺の能力さ。雲刀、かっこいい刀だろ? 狐力を柄に流し発動する優れモンだ」
実体のない暗灰色の雨雲が刀身の役割を果たしている。白狐は赤狐の次、二番目に弱い狐だ。性能の高さは基本を忠実に得意の型を鍛錬した結果だろう。
「ハッ、興味ない。ダサイだろ刀って」
「アアアン!? 弓が何億倍もダサイだろォがあ!」
「はあ? お前脳みそに雑菌湧いてんじゃねえの?」
「……ブッ殺す!!」
両者が啀み合っていた瞬間、雷鳴が轟き大地が直撃雷を受けた。タリアのいる方角だ。
「やっべえ! 電蔵主庵様だ!!」
「――電蔵主庵!?」
狐界の三毒狐のひとり電蔵主庵の名に驚く間もなく、タリアの聖獣が天へ昇る。
「ハアアン!? なんっじゃありゃ!?」
「……ッ」
上位神タリアの命令のみに従う聖なる鳥ベンヌ、天上界の火の鳥だ。聖獣を呼び出すなにかが起こったに違いない。
「(アイツが――電蔵主庵か……!)」
紫色の番傘を差す男を思い出した。五事官も要注意人物に指定している、冷酷、冷淡、無情の雷狐だ。下級三神も数百年でだいぶ消滅させられていた。
豊かさと開花を司る神タリアの護衛で下界に降りたウォンヌは、いまタリアの傍にいない。彼は武勇の誉れある上位神だ、上級三神以下の心配は無礼に値する。
けれど、ウォンヌは天上界の神々や下界の人間を守る武官だ。
「僕は遊んでいられない。白狐、遺言はないな」
「いいねえ!! いいねえ!! 俺も遅くなりゃ電蔵主庵様に殺されちまう! さっさと済まそうぜ、神官よお!!」
丹今は二ノ字構えに吠え、ウォンヌは葦矢の弓を六本弦にかけた。丹今は雲刀を交差させ、一弾指、左切り上げ右切り上げにウォンヌに斬り込んだ。
「っしゃぁあ!」
「――守善一射、誠尽す射手なれ」
善を守る一射――ウォンヌは後方に飛び、一気にすべての矢を射る。丹今は身を翻して二本躱し、三本を雲刀で砕き飛ばた。勝機を確信した丹今だったが、ウォンヌが神力を籠めた残り一射の鏃が変幻自在な動きで不透明に走り、丹今の雲刀がウォンヌに到達する前に、丹今はウォンヌの神々しい矢に後ろから射抜かれた。
鮮血がほとばしる。命中した箇所は心臓だ。
「ゴボッ……」
丹今は草木を薙ぎ倒しながら落下した。ウォンヌもふわり地に足を付ける。
「取り敢えず五事官に連絡――」
――しようとしたウォンヌに、村人の二人が騒ぎ始めた。目を覚ましていた二人は、一部始終を覗き見していたらしい。
「アンタいったい、あ~痛てぇ、何者だよ!!」
「イッててて、人間が為せる業じゃねえ!! 風変わりなゴーグルしてっし……、忍者か!?」
矢継ぎ早の質問に一瞬、ウォンヌは息を詰まらせる。
「(……何者)」
ウォンヌはタリアのここでの設定を思い出していた。
『皆さん落ち着いて、私は通りすがりの――旅人だ』
『そっちの二人もお前の仲間か!?』
『ええっと二人は……、そう! 私の付き人です』
ウォンヌとハオティエンは旅人タリアの付き人だ。ウォンヌは咳払いし、しどろもどろに答える。
「コホン、僕は忍者じゃない……旅人と仰っていた桜色が似合う綺麗な御方がおられただろう? あの御方はとてもとーっても有名な道士様だ。法力に長けておられる故、旅の行く先々で困った人を救っていらっしゃる。……えと……、ああ、僕も道士見習いだ。タリア様の第一付き人でアイツ……ハオティエンは第二付き人になる」
「道士……、様」
「桜色の兄ちゃんが……、アンタらも……」
「(盛りすぎたか?)」
そっと目配せし合う二人にウォンヌは変な汗を掻いた。ウォンヌを凝視する眼は真剣だ。
二人は合図を送り合い、三跪九叩頭の礼を行う。
「神様……、いてて、ありがとう……!」
「道士様を……、ありがとう、ツッ……」
「――え、や、あ~……どうも」
今更、訂正はできない。ウォンヌは感謝を受け止め、二人を横目に捉えたまま、五事官に連絡を試みる。ハオティエンの生死はもちろん度外視であった。