第十一集:三美神のひとりアライア
「焔、次はこっちだ」
「慌てないでタリア」
――未の刻の初刻、タリアは焔に桜舞殿の庭を案内していた。
ふたりは回廊で囲まれいる池の唐橋を渡り、中央に築かれた築山の人工的な中島で足を止める。
タリアの宮殿は正面手前の池に向かってコの字型が特徴の寝殿造りだ。周囲に漂う雲煙、その奥で糸を垂らす滝が、清水の音色を響かせていた。水分に富んだ空気、神経を安定させる豊富な酸素は美味しい。
一面に植えられた桜や白梅、紅梅の花びらも、惜しみなく舞っている。正に桃源郷と呼ぶに相応しい、深遠な場所であった。
「私の好きな景色だ」
「うん、綺麗だね」
焔の左手がタリアの背中に添えられる。ぐっと腰を引き寄せられ、タリアは身動きを封じられた。動けない。
「……私じゃなく景色を見てくれ」
「いまはタリアを見ていたい」
紅い眼に直視され、反射的にタリアの耳介が赤くなる。
「………恥ずかしい。あまり見ないで、鼓動が速くなる」
目線を下げ、タリアは素直に吐露した。恋仲になり、婚約者の間柄になり、体を重ねる関係に至っても尚、タリアは焔の劣情を含んだ眼差しに未だ慣れていない。
「……可愛い、キスしたい」
「……外じゃだめだ」
「じゃあ、二人っきりになれる寝所に行こう」
一点に絞られた行先にタリアが一喝する。顔が真っ赤だ。
「……っ、昼だよ焔!」
「愛は昼夜、無休にある」
意見は正しい。間違ってはいない。
「あ、朝も……」
「朝は朝、昼は昼だよタリア」
「…………ッ」
今朝、焔の荒々しい愛で気絶させられたタリアは息を呑んだ。行為が始まれば数時間は離してくれない。
「ね、タリア」
「だ、だめだ焔! 今日は昼に――」
「昼に私が訪ねて来るものね、タリア」
刹那、ひとりの女神が上空より降り立った。十二枚の翼を授けられし上位神、典雅と優美を司る女神アライアだ。カリスの一柱で輝きと導きを担っている。美と優雅を象徴する三美神のひとりでもあった。
――要するにタリアの姉だ。
「アライアッ、久しぶりだね」
「エルに帰還を教えてもらったわ、久しぶりタリア」
アライアがにっこり微笑する。三美神のひとりとあって容貌は優れており、彫が深い二重瞼の大きな目に長い睫毛、虹彩は薄花色で高い鼻背に小さい小鼻、鼻翼は狭い。手入れされた美眉、しっとり潤う唇にシャープな顎、目元は水色の化粧が施されてある。欠点のない容姿端麗な顔立ちだ。
薄花色の長髪はリボンのハーフアップで結われてあった。可憐な髪型だ。蓮の簪が挿されてある。
服装は青竹色の漢服だ。アライアは普段、襦裙しか着ない。
前で合わせる形式の上衣、腰に巻き付けた裙、下裙はウエストスカート状だ。水色の羽織はオーガンジーの生地で、金色の蓮の刺繍があしらわれてある。透け感が魅力的でふわふわ風に揺れていた。
両耳には古めかしい扇形の、細工が細かい耳飾りをしている。装飾された鈴と蓮が可愛い、水色のフリンジのさりげない彩りも気品があった。靴は布靴だ。襦裙と揃いの色合いで立体的な蓮の刺繍がされてある。
右手に持つタッセルが付いた、全長約32㎝、扇面約20㎝の、古典円型団扇の模様は鳥柄だ。団扇は女神達の必需品で嗜みに欠かせない。
因みに背丈は189㎝だ。下界の女性と比較してはいけない。必ず憤怒する。学習しない上位神の兄が年に数回は翼を捥がれ、半殺しにされていた。
「アライア、私に会いたがっていたって?」
「ええ。明日の天帝饗宴、アナタが掉尾を飾る番よ」
天帝饗宴は名前通り、神々の宴だ。天上皇主催で百年に一回、催される。
「――え、私の番でした?」
「ええ。アナタの番、衣装は私が用意するわ。いいわね、タリア」
「……はい姉さん、ありがとうございます」
姉の意向にタリアは逆らえない。肩を落とすタリアにアライアは「で」、と話題を区切り焔を指差した。
「アンタにベッタリくっついてるソイツが、噂の下賤な火鬼?」
アライアが蛾眉を顰める。焔は現れたアライアを全く意に介さず、依然として寵愛するタリアを抱き締めていた。アライアの嫌味も気に留めていない。
「姉さん、下賤はよくない!」
「あら、真実じゃない」
アライアは生粋の上位神育ちだ。上位神外を下等、四界は外道、下界は慈愛を、の認識で先天的な性質に謙虚さはない。自身の品位と人格の価値を誇る上位神は傲慢で高飛車だ、けれどこれが本来の上位神の姿である。
「はあ……。姉さん彼は鬼界の火鬼、孤魅恐純。焔、彼女は私の姉のアライアだ。三美神のひとりになる。下賤は気にしないで」
タリアは溜息を吐き、ひとりずつ、丁寧に紹介した。穏便に現状を乗り越えたい。
「気にしていない。三美神のアライアは知ってる。タリアとエシュネ、三人が三姉弟の所以はなに?」
「ああ、所以は……」
タリアの言葉尻を奪い、アライアが淡々と説明した。
「――下神よ。下神達は上位神で最も見目麗しい女神と男神、私達を三姉弟と括り、崇めていたの。何れ三美神と崇敬されてね。私アライア、エシュネ、タリア、この三柱としたカリスを、長女の私が天上皇に熱願し発足させたのよ」
「お陰で下界に出回る私の肖像画は三姉妹、女神で描かれている。男神は一枚もない」
タリアが付け足し、苦笑する。下界で異なった自分の描写も一興だ。特段、タリアは悩んではいない。
「俺が描くよタリアの肖像画。ああ、義姉さん達は描かないよ」
「誰も頼まないわよ、卑賎のアンタなんかに」
タリアに言挙げする焔が強調した語末にアライアが蟀谷を痙攣させた。焔が愛想笑いで応酬する。
「安心したよ。俺も不美人は描きたくないしね」
「ハア!? 不美人ですって!?」
「事実だ。カリスはタリア一柱でいい。あとは所詮、卖萌でしょ」
「誰がぶりっ子よ!! 泥水啜ってる小汚い鬼族がッ、カリスの侮辱は万死に値するわ……!!」
「やめないか焔!! 姉さん落ち着いて!!」
タリアが二人の舌戦を仲裁した。けれどアライアの怒りは収まらない。
「タリア!! コイツのどこがいいの!? 野蛮で下品な火鬼じゃない!! 神聖な私達上位神と雲泥の差だわ!!」
上位神は清らかで尊い。鬼族は邪悪で賤しい。両者は雪と墨、提灯に釣り鐘、本質的に掠りもしない。しかしタリアは、既成概念に囚われない。
「とてもいい子なんだよ。彼は私に誠実だ。不適切な暴言は私が謝る、私に免じて許してくれ姉さん」
眉尻をハの字に謝罪するタリアの両目が潤んだ。実際は日差しの反射で煌いたに過ぎないが、勘違いしたアライアは焦って宥恕する。
「……あーもー!! 私はアンタの姉なのよ!! 私はアンタに弱いの!! アンタは私の愛くるしい末妹!! 許すわよ!! 泣かないで!!」
「え、と……ああ、泣かない。ありがとう姉さん」
迫力に押されタリアは頷かざるを得ない。
「ありがとう義姉さん」
「……義姉さん義姉さんって厚かましい。アンタは私に話かけないで嘔吐感がするわ」
焔の義姉さん呼称にアライアの背筋が凍った。団扇を口元に当て、再度タリアに訊ねる。生気のない口調だ。
「……タリア、本当にコイツと婚姻を?」
「ああ、三百年後に」
「……天上皇の愛は無償で無限大……、三百年なんて一瞬じゃない……。ねえタリア、火鬼って寿命はあるのかしら?」
タリアの肯定にアライアはぶつぶつ独り言ち、突如、露骨なる物騒な質問をした。
「え、焔の寿命? ……私達と大差ないかな」
自然が生んだ渾沌、火鬼は不死身に近い。アライアはタリアの答えに沈黙する。
「…………」
無言で焔を一睨みした。言外の意味を察する焔の破顔一笑は、色彩で例えたら真っ黒だ。
「御心配なく、義姉さんが先に逝くよ」
「…………殺していい?」
「ああっ、やめて姉さん!!」
握った拳の関節を鳴らすアライアは武道に長けている。タリアは四半時、焔とアライアの喧嘩に振り回されたのだった。
おはようございます、白師万遊です(*^▽^*)
最後まで読んで頂きありがとうございます(*´Д`)
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