第十集:アルテミスの森
⚠キスシーンがあります⚠
天上界に到着したタリアと焔は現在、外城東側、アルテミスの森に来ている。階段状に18の湖沼群と多数の湖が形成され、滝が流れ落ち、ハンカチノキに囲まれた美しい煌々たる景観が、タリアと焔の眼前に広がっていた。
湖と滝、緑が織りなす自然は芸術的で神々しい。
湖の水は内城にあるエデンの園、湧水の川から流れた神聖な清水で、ここが聖なる滝――聖滝と名付けられた所以だ。清水は神力を向上させ精神と肉体を癒す効果がある。星々を映したエメラルドに輝く湖面、深さは1m50と湖底は浅い。
「……貸し切りだな」
普段、天官軍や武官、負傷した者が数人いるが時刻は丑の刻の正刻だ。運よく誰もいない。タリアと焔の二人のみ、意図せず贅沢な独占となった。
因みにアルテミスの森は、狩猟を司る女神アルテミスの管轄区域だ。上位神は彼女の許可を得ず、聖滝の領域を訪ねられる。謂わば上級階位の特権だ。
「タリア、足下に気を付けて」
「ああ、ありがとう」
焔に誘導され、タリアは湖に入った。ふたりは厚手の行衣に着替えている。タリアは白、焔は黒だ。透き通った青い水中で戯れる色鮮やかな魚たちは天上界にしか生息していない。
焔がタリアの一筋零れた前髪を右耳にかけ、聞いてくる。
「心臓は? 痛くない?」
「痛くないよ。治っている」
冴木犀に抉られた胸元に穴はない。四半刻で塞がっていた。天上皇が創りし不死に近い体だ、自然治癒力は高い。
「……ごめんタリア、痛かったでしょ」
「……焔……」
タリアは腰に回された焔の片腕に、ゆっくり引き寄せられる。弱々しい声音だ。
「……守ってあげられなかった」
「私は焔、キミに守られて、いまがある。心臓も冴木犀に食べられずに済んだ、ありがとう」
タリアは焔の右頬を撫でた。憂いを帯びる表情は切ない。
「……タリアの心臓を食べた俺が怖くない?」
「怖くないよ。キミは火鬼だ、理解している」
四界の者は下界や天上界と食の好みが異なる。地上は共存に多様性があって然るべきだ。哲学、文学、価値観、人権、神々は五界を尊重し見守る義務があった。
同質性は万物の否定になる。天上皇が望まれない思想だ。
「……タリアは俺の独一処だ」
火鬼の残虐で凶悪な過去を既知し、賤しい一面を晒しても尚、上位神タリアの慈悲は平等で差別がない。一介の神々ならば、穢れた四界の者は皆一様に度外視だ。当たり前で当たり前にない対等で他と接するタリアは正に神の名に相応しい。
焔がタリアに惹かれ恋い慕うひとつの理由であった。
「唯一無二か、ありがとう。焔も私の独一処だよ」
タリアは日々、焔にたくさん、色んな形の愛を貰っている。
分かち合う痛み、語らう愛、互いの魂が響き合い、共鳴し、偶然が必然を呼び、孤独の果ての幸福に辿り着けた。天地でたったひとり、特別に、愛したい存在だ。
「……タリア」
「……ん」
焔に口づけされる。首の後ろに左手を添えられ、頭を持ち上げられた。
「……ぅん……ッ」
唇の啄み方が上手い。タリアは容易く焔の舌の侵入を許してしまう。
「……ン、んん……」
捻じ込まれた舌先は熱い。背骨を這う右手にぞくりおののいた瞬間、逃げ惑う舌を搦め捕られた。
「……ッ、ぅん……」
執拗に口腔を貪られる。歯をなぞられ、舌を強く吸い上げられ、否応なく快感を与えられた。絡み合う舌が甘く痺れ、思考が溶かされる。
「んぅ……ッ、ンン……」
混じり合った唾液の音が卑猥だ。息苦しいが焔は離してくれない。
「ンッ、……ッ、ん、んっ……」
狂おしく口の中を蹂躙された。タリアの経験値を上げさせない一方的なキスだ。
「……ッ、……んん……」
口内に溜まる二人の唾液の行き場がなく、タリアは嚥下せざるを得ない。焔はタリアの喉が上下に動いたのを確認し、解放する。
「……ハ」
相変わらず息は一切、乱れていない。
「は……」
タリアは酸素不足で涙目だ。潤んだ虹彩が焔を見上げていた。火照っている両頬、しっとり濡れた下唇が艶めかしい。
「……可愛い」
据え膳食わぬは男の恥だ。
「ちょ、待っ、焔!?」
独言した焔の長い両睫毛の奥、朱色の瞳が鋭くなる。矢庭に焔がタリアの行衣の腰紐を掴んできた。
「したい、する」
「だ、だめだ!!」
直球な物言いで断言してくる。バシャバシャ水面が暴れた。したい、だめ、の押し問答の間に紐が緩んでしまう。
「――お前達……、何をしている……」
そこへ突如、第三者の人物が現れた。
「……エル!?」
上級三神の上位神、天上皇が初めて創った最高傑作、正義を司る男神エルだ。彼は神が堕落した堕神や異界者が跳梁跋扈する天上界と地上の狭間、天繋地の陣頭で戦う天官軍の総帥でもある。
エルは白い短髪を後頭部で束ねており、パッチリとした二重瞼の白い目は額と合わせて三つ、長い睫毛に手入れされた眉毛、目鼻立ちがよく唇や肌は白い。
常日頃は天官軍の服装規定、白軍衣を着用しているが、場所が場所だけに、いまは白い行衣を纏っていた。
背丈は2mあり、純白の翼十二枚は畳まれてある。
「……何をしている?」
「あー……。紐を、結び直してもらっていた。ね、焔」
「まあね。一旦、脱がして、直すところだった」
同調を促すタリアに焔は肩を竦め、少々、誤解を招き兼ねない返答をした。
「――まったく。タリア、気を付けなさい」
「……すまない。気を付けるよ兄さん」
上手く誤魔化せて安堵する。第三の目で見透かされていたら危うく、焔との一戦の合図、銅鑼が打ち鳴らされていたかもしれない。
「タリアお前、天上界にいつ帰還した?」
「半刻前、いや半刻も経ってないかな。エルは何故、アルテミスの森に? 怪我はない、よね?」
一見、外傷はない。掠り傷ひとつない、綺麗な素肌だ。
「(エルは正真正銘の兵、戦場で重症は負わないしな)」
タリアは見当がつかず小首を傾げる。
「…………」
一拍置くエルは、両手で湖の水を掬い、パシャリ顔面に浴びた。片手で拭いつつ、訳柄を話してくれる。
「外城が煩くて敵わん。下界で何か事案が発生したんだろう。干渉はしないが胸騒ぎがしてな、精神統一に来たんだ」
「…………」
タリアは冷や汗をかき沈黙した。外城の騒動の発端は十中八九、狼界の狼族、三厄狼のひとり冴木犀が関わっている、樹氷村の一件だ。
「ハハッ、精神統一? 似合うね義兄さん」
「精神が破綻したお前は統一もないな、孤魅恐純」
「――破綻? 備わっていない精神だ、破綻も無いよ。物理法則に従わない、不滅性の火鬼だよ俺は」
焔の双眼が紅く灯った。邪に満ちる火山が生んだ渾沌の象徴、火鬼に道理はない。
「……タリアのために孤魅恐純、お前は何を捧げられる?」
エルの何か試したような問いに焔はタリアを直視する。そしてタリアの耳元で囁いた。
「今世の生死と輪廻転生の愛」
「――――ッ」
永久不変の真理、堅固な決意、誠実な愛、それは二度とタリアを独りにしない焔の誓いであり真実だ。タリアは下唇を噛み、ぐっと涙を堪える。
「…………」
遥か昔は泣き虫だったタリア、崇めらる程に笑顔の仮面は何重と重なり、天上界の影響が少ない下界に入り浸り数世紀、火鬼と出逢い又、往時の幼い頃の印象に戻った。末弟タリアの人生の幸せを、現今進行形で祈っている長男エルの気持ちは感慨深い。
エルは無音の溜め息を吐き、焔に言葉を投げる。口端が微かに上がっていた。
「孤魅恐純、及第点だ。精進しろ」
「ありがとう義兄さん、嬉しいよ」
焔の「義兄さん」呼称はすっかり定着している。
「――タリア、二日後……暦的に明日か、天帝饗宴までいなさい。忘れてないな?」
「……あ」
忘れていたタリアは咳払いし、微笑んだ。
「もちろん憶えています」
「アライアがお前に会いたがっていた。伝えておく」
「……はい」
タリアは苦い笑みを浮かべ覚悟した。明日はゆっくり休めそうにない。
おはようございます、白師万遊です(*^▽^*)
最後まで読んで頂きありがとうございます(*´Д`)
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