第八集:瑠璃狼とウォンヌ
タリアと焔、ハオティエンと別れたウォンヌは、大中小の雪洞を覗いて回る。六つのうち四つは計量皿や大判の秤量紙、ステンレス製の軟膏ヘラや磁器製の乳鉢、等々の実験道具があり、残る二つは人間の死体が五体あった。一番隅にある一体は先程の、青い男狼が背負っていた人間の死体だ。
人間は死んではいるが外傷はない。
「――樹氷村で何が起こっているんだ?」
「さあ、何だと思う?」
「――――!!」
ウォンヌは声がした方角を見上げる。雪洞上にいたひとりの男狼が、ウォンヌと一定の間隔を空け、ストッと着地した。
「……瑠璃狼」
「へえ~神官さん、狼族に詳しいね」
狼界に住まう狼族の種類は六種類ある。眼前で笑う男狼は毛が紫みの青、瑠璃狼だ。尾は二本、背丈は175㎝、狼耳が頭部に生えていた。イタチの一種フィッチファーのロングコートを着ている。褐色の斑模様だ。下は黒いスキニーパンツで同色のエンジニアブーツを履いていた。ミドル丈で三つのバックルが付いている、筒口がゆったりしたルーズスタイルだ。
顔立ちは彫が深い。二重瞼の垂れ目で鷲鼻だ、瞳は青く唇はあかぎれていた。左手に持つ竹製の弓は複合弓だ。別名合成弓、動物の骨や腱を張り合わせて作る破壊力を向上させた弓である。
ウォンヌは能力で和弓を取り出し、樹氷村の実態を探った。
「……お前達一族は樹氷村で、人体実験をしているのか?」
「人体実験? いや? 実験じゃない、試験だよ!」
瑠璃狼は特段、隠す素振りもなく、ウォンヌの質問に応じる。
「……試験?」
「雪花、人間達を瞬間冷凍させる薬だ。冷凍の持続性、安全性、品質、人間達の協力でいま試作中なんだ! えっと……、ああ、臓器売買だよ。将来、狼族の資金源になる。いいっしょ~」
瑠璃狼はウォンヌに、自慢げな口調で簡潔に説明してくれた。
「(……馬鹿だなコイツ)」
簡単に身内の内情を明かす、知能が劣った瑠璃狼だ。ウォンヌは試しに訊ねてみる。
「……雪花、いまあるか?」
「あ~……ごめんね、俺は下っ端でさ~。キミ達神官が来ちゃって、先輩達が火で炙っちゃったよ。調合がバレちゃいけねえーって、まあ冴木犀様の命令だしね、ごめんね」
「…………」
瑠璃狼は肝心なところで役立たずだ。ウォンヌは内心で舌打ちした。
「(……まあ天上界も序列は厳しい。冴木犀の命令じゃ仕方ない……、は?)」
ウォンヌは礑とする。
「……冴木犀? 冴木犀がいるのか?」
「うん、冴木犀様いるよ? 鬼退治しに行ってて、会いたかった?」
瑠璃狼の純粋に首を傾げる仕草は腹立たしい。ウォンヌの神経を逆なでした。
「……会いたくねえし」
冴木犀は狼界の重鎮、三厄狼のひとりだ。狼界の厄害で天上界の五事官が彼の動向を注視している。雹が生んだ自然の渾沌、神の天敵、下界の安寧を脅かす残酷非道の雹狼だ。
「――って、鬼退治!?」
又もや、ウォンヌは大事な部分を聞き流していた。決して故意ではない。瑠璃狼の舌足らずな喋り方のせいだ。
「うん、鬼退治~」
「……タリア様ッ」
火鬼の孤魅恐純と上位神タリアは一緒にいる。
瑠璃狼はウォンヌに嘘をつく必要はない。十中八九の真実、つまりタリアは現在、雹狼の冴木犀と交戦中だ。悠長にしていられない。
「僕は武官ウォンヌ、人間を殺めた四界の者を神々は許さない。大人しく僕に捕縛されるか、征伐されるか、どっちがいい」
二人の間に散る花弁雪を雪燈籠が照らしていた。淡い灯りが二人の横顔に影を差さしている。一方は顰面、一方は笑顔だ。
「アハハ、やだな~! キミを殺してどっちも選ばないよ俺は!」
双方の選択は決まった。瑠璃狼は合成弓に二本、ウォンヌは和弓に四本、本弭と末弭に矢を引っ掛けて番える。矢庭に二人は後方に跳び、矢を放った。
風を切る速さで箆が揺れている。
ウォンヌの金色の虹彩に鋭利な鏃が迫った。ウォンヌは左右に二本避け、一弾指、上半身を斜め前に踏み込んだ。軍刀を抜刀し、ウォンヌの矢を三つ躱した瑠璃狼を逆袈裟する。しかし、くるり軽快な動作で翻す瑠璃狼に刃は届かない。
「――とッ!!」
瑠璃狼はウォンヌを狙うに有利な雪洞に一足飛びした。瑠璃狼はウォンヌが意図的に外した一本の矢が自分の後ろで円を描くように方向転換していることに気づいていない。
「――守善一射、誠尽す射手なれ」
「ヘヘッ……!」
瑠璃狼が勝ち誇った表情で何か囁いているウォンヌを見下ろした直後、ウォンヌの最後の矢が右側からドスッと、静かに――でも確実な威力で、瑠璃狼の太い首に突き刺さる。鮮血が迸った。
「――――ッ!? カハッ……」
神力を籠めた聖なる矢だ。ウォンヌは止めを刺すべくタッと宙に舞い、瑠璃狼の心臓を刺突する。
「人間の痛みだ」
「――ゴホッ……!!」
一塊の血を吐く瑠璃狼の体がずるり、左側によろめき落下した。
「……征伐完了」
瑠璃狼の遺体がある雪上に降下したウォンヌは、切先を斜め下に血振りし、納刀する。そして内ポケットに忍ばせていた使い捨て手拭いを抜き取り、両手を綺麗に拭き始めた。ウイルスや細菌は手の平で勝手に蔓延る。指先の溝や窪みは念入りに拭かなければならない。
「――よし」
用済みの手拭いを内側に折り畳みポケットにしまった。突如、空気が振動し、熱風と冷風の突風がウォンヌの両頬を嬲る。
火鬼の孤魅恐純と雹狼の冴木犀の仕業に相違ない。ウォンヌの神札の耳飾りがバタバタとはためいた。
「……チッ、孤魅恐純め」
毒々しい旺然たる邪がウォンヌの肌を刺激する。けれど間断なく、花々が渦を成し天上に昇った。清らかで色鮮やかな花びらだ。
「――タリア様だ!!」
上位神タリアの能力技、花過天咲が陰を陽に一転させる。闇夜を彩った煌きにウォンヌが感嘆するや否や、神々しい景色に不相応な咆哮がした。ウォンヌの鋭い眼光が漆黒の背景に走る。
「……アイツらか」
数百メートル先に六匹、それらは佇んでいた。焦香、瑠璃、銀の毛並みで体高は90㎝前後、狼一族が変容している狼達だ。
腰を低く屈めた体勢で唸っている。上唇を捲り、鼻に皺を寄せ、威嚇してきた。
暫しの対峙後、一匹の狼が夜空に向け遠吠えする。
「――ヴァヲオオオン!!」
狩りの合図だ。ウォンヌを標的に五匹が駆け出した。左右の両足で前後交互に地面を蹴り上げ、ウォンヌと一気に間合いを詰めて来る。六対一、数で不利な状況だがウォンヌに焦りはなかった。
ゆっくり和弓に六本の矢を弓構え、打起こし、引分け、会する。
「……凱歌を揚げるは神にあり」
美しい残身だ。ウォンヌの手を離れた六本の矢はすべて、疾走する狼の心臓を射抜いた。甲高い悲鳴が六つ響き渡る。
「キャウンッ!!」
「キャンッ!!」
狼達は倒れた。シュウと噴霧し人型に戻る。心臓が停止した証だ。
「こっちは捜索終了だな」
ウォンヌの役目はもうここにはない。人間の心身に害を及ぼす四界の死体は界事を担う五事官と、罪や穢れを祓う許万官の任務になる。研究材料とされた人間も然りだ、無闇に現場は荒せない。
「――急がなきゃ」
ウォンヌは踵を返した。銀狼の死体を意に介さず通り過ぎ、辺りを見渡すハオティエンを発見する。ウォンヌはハオティエンを呼んだ。
「ハオティエン!! そっちは、どう……」
「――遅い」
近付いて驚いた。ハオティエンの黒軍衣は血塗れだ。
「お前……、ものの数十分で……」
「煩い。ウォンヌ、肩を貸せ」
ハオティエンは機嫌が悪い。
「……はあ、なんで僕が……」
武官の神兵の中で最も剣術に長けている男神にいったい何があったのか、ウォンヌは気になる疑問を飲み込み、やむを得ずハオティエンに肩を貸したのだった。
おはようございます、白師万遊です(*^▽^*)
最後まで読んで頂きありがとうございます!
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