第六集:雹狼の冴木犀
「俺様はなあ、上位神の嬢ちゃん、失敗を恐れねえ。これは意義ある挑戦だ。瞬間冷凍は鮮度や旨味を保つ、人間の臓器は新鮮がいい、成功すりゃいい商売になると思わねえか?」
冴木犀の笑顔は歪んでいた。五本の尻尾を上げ、ゆらゆら揺らしている。
「ハッ、臓器売買ね。ま、いい商売になるんじゃない」
焔が同調した。彼も又、鬼界を統べる火鬼だ。四界の内情は詳しい。
鬼界、狐界、鹿界、狼界、四界の者は下界の人間の臓腑を好んで食す習慣がある。高値で取引されたり貢物で贈られる背景には、品質が維持された商品を選ぶ購入者が多い理由が挙げられた。
天上界は下界の人間に危害を及ぼす四界の者達を征伐、生じた事案の対処を行う役目を担っている。看過は許されない。
「我、百罪百許を授けられし神、地上に並ぶものなし」
タリアが能力で鞘のない聖剣を取り出し右手に握った。形は西洋剣だ。柄頭にローズクォーツの天然石が装飾されてある。
「私は思わない。キミは人間を殺めた、罪は償ってもらう」
「……俺様に挑むってか?」
冴木犀の嗄声が沈んだ。顎を上げ半眼でタリアを射抜いた。
「俺が相手になるよ、冴木犀」
焔が二人の間に割って入る。タリアを背に庇い、両腕を組んだ。
「……アン? 孤魅恐純テメエ、天上と連るんでやがんのか? 当たり前に一緒にいやがって、鬼の誇りはどーしやがった? つか……お前、封印されてたんじゃねえの? 流言蜚語だったオチじゃねえよな」
冴木犀が怪訝な顔をし、矢継ぎ早に問い質した。四界と天上界は不和で敵対の間柄だ。冴木犀の疑問は正しい。
「鬼に仲間意識はない。ご立派な誇りもね。封印は本当だよ。まあ紆余曲折あって、いまはタリアといる。俺の嫁だ」
詳説のない簡潔な回答だ。冴木犀が唖然となる。
「……アアン!? 嫁ダア!?」
当然の反応だ。四界の者と天上界の神の婚姻、もとい予定は事例がない。況してや自然が生んだ火鬼と天上皇創りし上位神だ、驚愕しない者はいない。
「俺は悠久にタリアの味方だよ。一族や四界、天上界じゃない」
そう焔はハッキリ断言しつつ、撒き散らす鬼火で冴木犀を囲んだ。
「……ハッ、俺様は形勢不利な試合はしねえんだよ。実験体は所詮、捨て駒だ」
冴木犀が首にかけている超音波型の犬笛を吹いた。40,000Hzの周波数は狼族の耳にしか聞こえない。
「――逃がさない」
タリアが残像になる。一弾指、左薙に斬り込んだ。
「――っとヤるねえ!」
雪上で宙返りし避けた冴木犀の身体能力は高い。
「火弾壊拳」
タリアに加勢する焔が火の銃弾を浴びせた。身を低く疾走する冴木犀が、ザッと鬼火で湿った雪を削って止まる。片腕を上げ、狂気的な笑みを浮かべた。
――しんと静寂になる一秒が不吉だ。
「氷柱刺降!!」
冴木犀が片腕を下げた途端、太く尖る棒状に形成された無数の氷柱が降ってくる。
タリアと焔はそれぞれ躱していた。ズボッと氷柱が深雪に突き刺さっていく。当たっても掠っても痛手は免れない。
「……くっ!」
「タリア……ッ、夜叉大師!」
焔が鬼力で作った炎の化身、夜叉大師を呼んだ。出現する夜叉大師はすでに炎の大鎌を右手に持っていた。氷柱を薙ぎ払い、タリアと焔を輔翼する。夜叉大師の実体のない炎の体は氷柱を平然と受け流していた。
夜叉大師のお陰で一瞬、冴木犀の体勢が崩れる。一筋の灯火だ、タリアは冴木犀の隙を見逃さない。
氷柱のない道筋で一気に冴木犀との間合いを詰めた。タリアは左切上で冴木犀の胴部を斜め上に斬り裂き、毛皮のファーコートごと左腕を切断する。
「――聖裁許光」
鮮血が迸り白い背景を彩った。
「――ク、ソがアア!!」
行き場のない左腕は投げ出され、ぼとり雪に埋もれる。上唇を捲り犬牙を剥き出しに吠えた冴木犀は、無くなっている箇所を一瞥した。直後、バキバキバキ、と氷が走る音と共に透き通った左腕が復活する。
透明で美しい、氷塊の武器だ。
「俺様の狼力をナメんじゃねえッ!! 上位神の嬢ちゃんよお!!」
「―――ッ!!」
冴木犀が真っ直ぐ伸ばす手刀は固い。中段の構えで防御に構えたタリアの剣身が、凍結している冴木犀の氷の左腕を滑った。
冴木犀の左腕がそのまま、タリアの胸部を穿通する。
「……ッ、ゴホ……!」
「あいこだ、貰うぜ!!」
冴木犀がタリアの心臓を毟り取った。
「……ッカハ!!」
蹌踉めくタリア、神力の源を奪われ、倒れてしまう。
「へえ、これが上位神の心臓かいいねえ」
淡い光を放つ艶々しい心臓だ。仄かに甘い果実の香りを漂わせていた。鼻腔を擽る濃厚な匂いに魅了された冴木犀は涎を垂らしている。誘惑に乗らない四界の者はいない。
冴木犀がタリアの心臓に齧り付く寸前、焔の右足が冴木犀の腹部に直撃した。
「――アンタにタリアの心臓はあげない」
怒りが籠る容赦のない一撃だ。
「――ガハッ!!」
蹴り飛ばされた冴木犀は、体がくの字の状態になる。数百メートル先の木々を背中で粉砕しながら、最後、一本の木にぶつかり停止した。撓雪がファサッと落ち、綿帽子雪や雪持も連鎖で舞い、辺りが霞んだ。
意に介さず、焔は攻撃を畳み掛ける。
「――衝天万炎」
冴木犀がいるであろう方角を、広範囲に焼き打ちした。闇夜で山林が赤黒く炎上している。火の粉が煌いた、恐ろしい場景だ。
だが矢庭に炎は消火される。赤色が一転、無色になった。
「――全凍世氷!!」
森林がすべて氷結される。まるで氷の世界だ。
「……チッ、逃げたか」
タイミングを見計らい、冴木犀は撤退していた。無理に交戦しない、狼一族らしい潔さだ。
焔は冴木犀を追いかけない。焔にとっての優先順位はタリアだ。焔はタリアの傍で跪き、血塗れの上半身をゆっくり自分の膝に凭れかけさせる。
「タリア、タリア、大丈夫?」
「……ああ、生きてる平気だ」
上位神は、心臓を抉ぐり、二翼を捥ぎ取り、肉体を千々に裂断させ、燃やさない限り、魂は消滅しない。
「心臓、奪回したよ」
「……ハハ、ありがとう」
焔の右手の平にタリアの心臓があった。冴木犀の口に触れる間際、奪還していたのだ。傷ひとつない。
「……勿体ないし食べていい?」
タリアの心臓は自ずと体内で再生する。摘出された心臓は朽ち果てる運命だ。
焔は素直に自分の賤しく醜悪な一面をタリアに曝け出した。鬼界で最恐の三鬼、火鬼の孤魅恐純――焔の好物をタリアも知っている。そしてタリアと出逢って以降、焔は人間の五臓を食していない。それも既知の事実だ。
理非曲直の火鬼の性分を時に戒め、諭し、導き、慈悲を施すことは、タリアの使命であり意志であり愛だ。今回は焔に助けられた、望んだ褒美はタリアも与えたい。
「……不味かったらすまない」
タリアが許可する。焔が一言「ありがとう」と呟き、一口、頬張った。
「……っ、美味しい。桜の味がする」
「……桜の味か」
タリアは誰かに、自分の心臓の食味の感想を貰ったのは無論、初めてだ。
「タリア、眠い?」
「……うん。ちょっとだけね」
神力が乏しい体は玉響の休息を求めている。神々のための万能薬、どんな傷をも治す滴下生を一粒所持してはいるが、ハオティエンとウォンヌの安否が気掛かりだ。タリアは彼らの無事を目視するまで滴下生の飲用を留保した。
「……ん、待って。俺が運ぶよ」
焔が喉を嚥下させる、食事が終わった。行儀悪く指を綺麗に舐め、新雪で手を洗い、タリアを横抱きに抱える。
「……ありがとう、ハオティエンとウォンヌはあっちかな」
「え、帰らないの?」
「……焔、二人を置いては帰れないよ」
「……チッ」
露骨な舌鼓だ。タリアは二人を毛嫌う焔の態度に溜息を零し、ハオティエンとウォンヌの身を心配をしたのだった。
おはようございます。白師です。
最後まで読んで頂きありがとうございます(*´Д`)
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