第五集:樹氷村
下界と鬼界の狭間を通過し、タリアと焔、武官二名は、下界の最北にある樹氷村に到着した。真っ白な銀世界が広がっている。
「……何もないな」
「……まあ、廃村だしな」
ウォンヌとハオティエンが所感を低語した。
樹氷村は数十年前に廃村となっている。五十世帯あった形跡はあるが、家屋の殆どが積雪荷重で潰れていた。骨組みの床、壁はない、木の柱で現存している状態だ。
人間が去っても尚、朽ち果てず、生活の残滓を漂わせている。
驟雪が蕭蕭と降り止まない中、タリア達は樹氷村と書かれた木製矢印標識を横目で目視しながら奥に進んだ。人間のいない土地で、ほんのり淡い火が玲瓏に灯っていた。
「――タリア様」
「ああ」
ハオティエンの合図で全員が制止する。焔が須臾に夜叉大師を下火させ退出させた。ふわり火花が弾け煌きが散らばる。
四人は雪の花が美しい一本の冬木立の下に身を屈め、監視した。
「……誰か居留しているのか?」
村の先は広大に開けていた。人がふたり通れる幅の幻想的な雪灯籠が、中央に二列、並んでいる。雪灯籠は、高さ30㎝弱に雪を固めた丸く素朴な灯籠の形だ。白い雪と灯篭の橙色が織りなす、朧な空間は神秘的で神々しい。
雪灯籠の左右は、雪洞が幾つもあった。通称、かまくらだ。大中小、合わせて十二基ある。
「……っ、誰か来ます!」
ハオティエンが指差す方角に、シルバーフォックスの毛皮を纏う、青い短髪の男がひとり、仏頂面で歩いていた。人間の死体を背負う人物は人間、ではない。
「……狼の尻尾、狼族か」
狼界に住まう狼族だ。狼族は冷静沈着な者が多い。厳しい序列を伴った、利害を共にする形式ばった共同社会を築き、生活している。情に厚く感情豊か、けれど他界に対しては別だ。狂暴で残虐、善悪に見境がない、残忍酷薄な一面があった。
――狼族は四界で最も粗野な性質を持つ、獣だ。
刹那、タリア達が動向を窺う男狼が、大きい雪洞の前で静止する。首筋を伸ばし、鼻翼を開閉させ、空中をくんくん嗅ぎ始めた。嫌な予感がする。
「……んあ? 何か……、臭ぇな……」
狼族の嗅覚は他族の一億倍だ。僅かな汗の酢酸や、脂肪酸の一種の吉草酸を感知し、複数の臭いを識別する能力に長けていた。
男狼は同族にない、異臭の出所を探っている。
「…………っ!」
タリア達はうつ伏せになった。体が半分、深雪に埋もれている。白雪で咲く、桜色の髪の花が、純白の雪に映えていた。
「――曲者だ!!」
男狼が叫んだ。一斉に狼族が現れる。
「誰だっ、異界の奴らか!?」
「東にいるぞ!!」
狼族がタリア達の姿を捉えた。
狼族は皆、野生の狼に変容する。毛並みは焦香や、瑠璃、銀色だ。体高は90㎝前後、長毛に覆われた尻尾、三角耳で鼻先は厚みがあって長く、目縁は黒い。白い睛眸の真ん中に黄色い瞳孔、括れのない首に細長く湾曲した脚、どっしり重量感がある太い体だ。
「ワヲオオオオン!!」
狼達が遠吠えした。即座にタリアが起き上がり下知する。
「ハオティエンとウォンヌは生きた人間がいないか捜索を、私と焔が彼らを引き受ける!! 狼族の捕縛と征伐は自己判断だ、危険なときは躊躇わず退避しなさい!! 命令だ、いいね!?」
「拝命、仕りました!!」
「御下命、拝しました!!」
ハオティエンとウォンヌは諾い、タリア達は走り出した。ハオティエンとウォンヌは雪洞がある右に、タリアと実体に戻った焔は障害物のない左に分散する。狼達も四散し、左右の両足で前後交互に地面を蹴り、全速力で追いかけてきた。侵入者を猛追する速さは時速七十キロだ、加え、雪上に慣れた狼族が有利である。
「……くっ!」
タリア達は、一気に追い付かれた。タリアが戦闘態勢に構えるが焔が許さない。
「――衝天万炎」
タリアを抱き寄せた焔が外套の裾を翻し、炎が天を衝く勢いで一帯を焼き払う。タリアの虹彩で輝く紅い炎、狼達がキャインッ、と轟かせた悲鳴は甲高い。
焔は炎に怯んだ狼達の後方にいる一匹の狼に狙いを定めた。
「火槍一突」
火の槍が凄まじい速度でドスッと標的に命中する。
「――キャンッ、……ッ、キャインッ……!!」
不意を突かれた狼は喉を貫かれ、焼かれる痛みで藻掻き苦しみ、息絶えた。
「……ッ、……ッ!!」
後退る生き残った三匹の狼達はおろおろ彷徨い、撤退する。群れを成した狼族は、数の暴力で敵と戦う一族だ。一対一や少数で不利な対戦は望まない。
基本的に獲物を狩ったり闘ったりする狼は下位で、上位の統帥者、戦闘に加わっていない狼を仕留めてしまえば、群れは統率力を失い戦闘不能になる。焔はそれを見極め、優先的に一匹を殺した。
一先ずの危機を脱し、タリアが焔に礼を述べる。
「……ありがとう焔、助かった。ハオティエンとウォンヌは――」
しかし――、状況は目紛るしく変転した。
「――崩雪白死」
ハオティエンとウォンヌを心配するタリアが辺りを見渡した直後、第三者の地を這う声が響き、自然現象でない雪崩が唐突に発生する。波打つ雪塊がタリア達を襲った。避け切れない。
「炎海大火」
焔が繰り出す灼熱の炎の津波が雪崩を飲み込んだ。一瞬で雪が蒸発する。
「……ッ、花過天咲!」
タリアが花々の竜巻で水蒸気を吹き飛ばした。彩り豊富な花びらが上空で白い六花と乱舞する。渦状の風が飛揚し、視界が鮮明になった。
タリアと焔以外に、もうひとり、誰かいる。
「――へえ、やるじゃん」
がに股の仁王立ち姿勢で片方の眉山を吊り上げた男は、高級感あるホワイトミンクの毛皮ロングコートに、ホワイトのウルフファー尻尾付きハットを被っていた。前開きファスナーは閉めてある、白いブーツはファーコートが重なっていて見えない。
「……タリアは本当に運がない。コイツは冴木犀、雹狼だ」
焔が男の正体を告げ、タリアを自分の背に庇い、両腕を組んだ。紹介された冴木犀がカハッと一笑いする。狼の牙をちらりと覗かせた。
――自然が生んだ渾沌、雹狼は雹から生まれる狼だ。雹狼は神に等しい狼神で火鬼や雷狐、緑鹿同様、天上界の天敵と言うべき存在にあたる。
そして冴木犀は狼界の厄害、天地に名を馳せる三厄狼のひとりだ。
「ハハッ、よう孤魅恐純。数百年ぶりの再会で随分なご挨拶だな? 人ん家の縄張りを土足で踏み荒らしやがって」
冴木犀の瞳は金色で刃の如く鋭い。二重瞼の彫の深い顔立ちで高い鼻筋、小さい小鼻、金色の分厚い上下の睫毛に手入れされた眉毛、引き締まる唇は聡明な印象を与えた。前髪と後ろ髪は同じ長さの金長髪で、ウェーブロングヘアの髪型だ。
耳先が尖った狼耳が頭部に生えており、尻尾は五本、何れも毛色は金になる。身長は201㎝あった。
推定880歳、狼界を束ねる重鎮だ。
「アンタん家じゃない、ここは下界だ」
「アアン? ガタガタ言い訳すんじゃねえ。つかテメエ孤魅恐純、俺様の敷地に何で天上臭ぇ神を連れて来やがった」
冴木犀の視線が焔の後ろ、タリアに移る。殺気を籠めた両眼は刺刺しい。
「とある人間が、私の眼前で凍り、砕け、死んだ。キミに心当たりはあるか?」
タリアは焔の横に立ち、毅然たる態度で質問した。崇高な香りを放つタリアに「ああ、お前」と冴木犀が眉を顰める。
「悪のない体臭、上位神か……。いいぜ直球は好きだ、教えてやる。そりゃ不良品だな」
「……不良品?」
「ああ。上位神の姉ちゃん、ここはまあ謂わば臨床試験の施設だ。いま開発段階にある雪花の薬は、人間を瞬く間に瞬間冷凍できる。まあたまに冷凍が甘かったヤツが逃亡するが、雪花の薬の効果で死は免れねえ。数時間で――、オジャンだ」
身振り手振りで説明した冴木犀は更に言葉を紡いだ。
「俺様はなあ、上位神の嬢ちゃん、失敗を恐れねえ。これは意義ある挑戦だ。瞬間冷凍は鮮度や旨味を保つ、人間の臓器は新鮮がいい、成功すりゃいい商売になると思わねえか?」
捩じれて歪んだ性格に情けは微塵とない。ニタリ、冴木犀は肌が泡立つ不気味な笑みを浮かべたのだった。
おはようございます。白師です。
最後まで読んで頂きありがとうございます(*´Д`)
感想、レビュー、評価、ブクマ、フォロー等々、頂けると更新の励みになります!
また次回もよろしくお願いします<(_ _)>




