第四集:武官の合流
タリアと焔は鬼界と下界の狭間にいた。北の永久凍土の雪国、ヴェノヴァの最北、樹氷村に向かっている。極寒地、樹氷村の一月の最低気温は氷点下60℃、平均は55℃前後だ。
徐々に空気が冷えてきた。
「ハ……、ハ……」
天上界育ちで寒冷に慣れてないタリアは、肺に冷気を入れぬよう呼吸に注意する。両頬や鼻尖は疾うに赤い。
そんなタリアを見兼ねた焔が突然、ゆるゆる縮み、四歳児に変化した。タリアの外套を、くいくい、引っ張ってくる。
「タリア、抱っこして」
「――――!?」
服装や顔形は変わらない。ただ幼い焔は途轍もなく愛くるしい。
鬼界の鬼族は化ける能力に長けた種族だ。鬼力によるが、火鬼の焔は申し分なく、老若男女、変容が得意だった。
タリアはゆっくり焔を片腕に抱き抱える。
「……温かい」
「ハハッ、良かった」
はにかんだ焔は鬼火も灯した。
「……ありがとう焔」
「御褒美、よろしくね」
「アハハ……、善処しよう」
平等互恵だ。機転が利く焔は要領がいい。
「――あ、雪だ」
何時しか春の大三角形や、春の大曲線の星座は消えている。凍雲が上空にあった。角柱状結晶の雪がぱらぱら降ってくる。
「夜叉大師」
焔が独言した。須臾に一体の鬼が出現する。夜叉大師は焔が鬼力で作った、攻撃特化型の鬼だ。風で靡く炎の体、角は一本、両目は空洞で口は耳まで裂けている。160㎝弱の背丈で細身だ。
夜叉大師は背中に左手を回し、炎の紅い番傘を取り出した。華やかで幻想的だ。
「……………」
タリアに無言で番傘を傾けてくる。夜叉大師がパチパチ鳴らす火花の音色は心地がいい。
「……夜叉大師ありがとう。キミはいい子だね」
「…………」
タリアが褒めた途端、夜叉大師がスキップした。片足で二歩ずつ交互に軽く跳ねている。可愛い動作だ。
高揚した夜叉大師を焔が怒る。実体の迫力はない。
「タリアに賛美された、って、してない。はしゃぐな」
「…………?」
「まあね、タリアは俺の嫁だ」
夜叉大師と焔は頷き合い、見解の相違を埋めたようだ。意思の疎通を図れる焔が羨ましい。タリアは珍紛漢で、ふたりの会話に小首を傾げていた。
次第に積雪量が増してくる。雪化粧の世界は寒気凛冽だ、万物も息を潜めていた。けれど冬立木に積もった雪、雪の粘りがなせる業、冠雪や雪紐は見事で面白い。雪持が兎に角、気品があって綺麗だ。
霏霏と花弁雪が舞う。
そこに靴裏でザッと衾雪を削る足音が背後でし、タリアは振り返った。
「こんばんは。君達は、ウリが応援にくれた護衛かな?」
「――――」
ふたりの男神が拱手している。
どちらも天上界、武官の制服規定だ。チェッコ式の黒軍帽を被り黒軍衣を着用している。袖口の折り返しとズボンサイドは黄色の縁で囲まれており、左の裾に脇裂、剣留があった。仕立てられた襟は高い、黄色の襟章、銀色の肩章はモール編みタイプだ。
そして両者共、黒軍衣の上に、ウールとポリエステル素材の黒いミニタリーコートを羽織っている。下界が冬期の際に纏う、武官の防寒着だ。ハイネックデザインのスロートラッチで首元は防寒防風に優れている。十二のダブルボタンは全部留めてあった。
下衣は黒い短袴に同色の長靴だ。所謂、乗馬ズボンに乗馬ブーツを履いている。
軍帽の鉢巻と天井部のパイピングは黄色だ。軍刀の柄は黒漆の塗られた鮫皮に黄色の柄糸が巻かれてある。鞘も黒漆塗りで鍔は装飾のない丸型だ。軍刀は上衣の下に刀帯を締め、上衣の脇裂から覗かせて使用する。刀帯の色も黄色で統一されてあった。
武官は武器携帯を定められた官職、軍事に携わる官吏だ。主に天上界の外城の巡視、上級三神の護衛、兼、補佐役の役目がある。
――加えて下界で発生した事案も武官の管轄だ。
彼らは界事を担う五事官の要請を受け任務を全うする。地上で事件に遭遇した神々と連携する場合が多く、今回は見目麗しい三美神タリアの侍衛の課役、と言うこともあって、同行したい神は数多にいた。
神兵二人は高倍率を勝ち抜き、ここにいる。
「……ああ、いいよ許可しよう」
タリアの許与でふたりは口を開いた。
「ご無沙汰しております、タリア様」
「ウリ様の命に従い、馳せ参じました」
「ありがとう、久しぶりだね二人共。寒いところに呼び出してすまない」
タリアは二人と面識がある。彼らは中級三神の神官、武官の神兵、ハオティエンとウォンヌだ。
「いえ、俺は平気です。お心遣い痛み入ります」
ハオティエンが冷静な低声で、タリアがする下神への謝罪に斟酌した。ハオティエンは、長髪の黒髪を頭部の高い位置でひとつに束ねている。筋の通った鼻背に小さな鼻翼、小顔ですっきりとしたしょうゆ顔は精悍だ。虹彩と長い睫毛は黒、左目の魚尾に黒子があった。身長は190㎝ある。
「僕も平気です。殺菌やウイルスがいないですし」
ウォンヌがハオティエンに同調した。平気、の理由は確実に違う。ウォンヌは身長が185㎝、金色の瞳で二重瞼、平行眉に鼻筋の通った高い鼻、容貌は人形の如く繊細で可憐だ。
両耳たぶに横五センチ、縦ニ十センチの神札のピアスをぶら下げている。髪型は前髪を眉上で、後ろ髪は顎のラインで切り揃え、毛先を無造作に遊ばせていた。束感がある金髪のブラントカットだ。
ウォンヌは潔癖症の男神で両手に黒いラム革の手袋をしている。黒いシンプルなデザインのクリアゴーグルを首元にかけていた。
「それよりタリア様――」
ハオティエンが間を置き、一点を指差し聞いてくる。
「その子供は……、まさか孤魅恐純ですか?」
「ああ、うん。焔だ」
タリアが肯定した。低年齢の焔はタリアに凭れ掛かり、大人しく抱えられている。だが鋭い眼光は紛れもない、孤魅恐純であった。
ウォンヌが額に青筋を張り、焔に食ってかかる。
「孤魅恐純! お前良い身分だな!? タリア様に迷惑かけるな!!」
「ハッ、迷惑ね。弱者は迷惑じゃないのか?」
意地悪な問い直しだ。焔は鼻で笑い、ウォンヌを睥睨した。
「な……ッ、僕は弱者じゃない!!」
「じゃあ弱虫」
「弱虫じゃないッ!! こんのクソガキ!!」
ウォンヌが軍刀の鵐目に触れる。これ以上、喧嘩を白熱させてはいけない。
「やめないか二人共!!」
タリアが焔とウォンヌを叱った。ハオティエンが溜息交じりに訊ねる。
「はあ……ソイツ、孤魅恐純も一緒に?」
「ああ。焔は私の監視下にある。一緒だと私は有難い」
焔の監視は天上皇に課されたタリアの新しい使命だ。愛、情け、罪、を学ばせなければならない。
「一緒だよ、タリアと一緒に行くためにいる。壱は察しが悪い」
タリアに継いで焔が答えた。語尾の辛辣な嫌味は意図的だ。
――焔、ウォンヌ、ハオティエン、この三人は犬猿の仲で諍いが絶えない。
「……殺されたか火鬼」
案の定の展開になる。ハオティエンが軍刀の柄を握った。
「壱も弐も、威勢だけはいい」
「……叩っ斬る!!」
「……ぶった斬る!!」
焔に煽られ、ウォンヌとハオティエンが同時に抜刀する。刀身の刃が光った。焔は二人が剥き出しにする威圧に動じていない。むしろ表情は愉悦に満ちている。
「落ち着きなさい二人共……! ほら焔も二人を虐めないでくれ」
タリアは二人を宥め、焔の頭部に手を添えて自分の胸元にぽすっと収めた。
「タリア様ッ、孤魅恐純を甘やかさないで下さい!!」
「そうですタリア様ッ! 図に乗ります!!」
「はあ……、いまは子供だ。厳しく咎めないであげて」
忠諫するウォンヌとハオティエンの意見は尤もだ。しかし現状、こうでもしない限り収拾がつかない。
刹那、焔が独り言ちる。
「本当、大人げない」
「……どいて下さいタリア様!!」
「……微塵切りにしてやる孤魅恐純!!」
三人の争いは元の木阿弥になったのだった。
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