第二十二集:子供のタリア
「我、百罪百許を授ずけられし神、地上に並ぶものなし」
未の刻の初刻――タリアが移境扉を開いた。焔の指示で鬼界の中心、花柳街に到着する。
統一感を図った赤い外観は見事だ。建築物の高さや色遣いが一体感を持ち、限られた色彩でまとまっている景観に魅了された。
鬼人は疎らに歩いており、衣の衿元が開けた女鬼が多数いる。
遊女達が遊楽に浸りたい男性客を相手に性的な遊びを嗜む場――遊郭の区画、と焔に事前の情報で貰っていたタリアは、若干の緊張を抱え鬼界に乗り込んだが、灯火に染まる時刻でないため、猥らで妖しい雰囲気はなかった。
タリアは白い鬼角を装着する。以前、鬼界の凛活街で買った変装道具だ。髪飾りの一種で装着はし易い。
「……よし」
上位神タリアは鬼になった。誇らしげなタリアの隣で焔が静かに悶絶している。遊郭の遊女で位が高い鬼魁も跪く尊さだ。
「――誰かしら、可愛いわね」
「――新人?」
遊女達がタリアに釘付けになっていた。焔がタリアの右手を攫う。
「タリア、こっちだよ」
「あ、うん」
タリアは焔の左手を握り返した。
天上皇が最後に創りし男神、タリアに許可なく触る神はいない。焔は天上界にない平等、対等をくれるタリアの唯一無二の存在だ。焔の些細な行動に慣れはしたが、尋常一様で尋常一様にない、手を繋ぐ人物がいる幸福に、未だ鼓動は高鳴ってしまう。
「――ああ、あった」
殆どの店が閉まった遊郭街の一角を曲がり、独り言ちる焔が足を止めた。
「わあ……!!」
赤い瓦屋根が特徴的な二階建ての呉服店だ。一階の屋根の真ん中にある「贈倖はんなり屋」と達筆に書かれた縦文字の看板が際立っている。
玄関前は緋毛繊を敷くお茶処があった。赤い野点傘が二本、左右に立っている。焔が赤い暖簾を潜り、タリアも必然的に中に進んだ。
店内に入ると多種の、風呂敷、手拭い、愛らしい小物、桐下駄がずらりと配列する艶やかな振袖や美々しい反物に出迎えられた。四方に生けられている季節的な花々、天井にぶら下がった紅い提灯も趣がある。
「――店主いるか」
「……ッ、こっ、孤魅恐純様!?」
焔の呼びかけで青鬼の店主が出てきた。中年の男鬼だ。袖や裾がゆったりする青鈍の漢服、上衣下裳を着用した店主は体型がぽっちゃりしている。頭部に生えた一本の青い角、平面の丸顔で二重顎だ。短髪の髪も青く背丈は160㎝と低い。
「婚礼衣装をみたい」
「こ、ここ、婚礼ですか!? 孤魅恐純様、世説じゃ封印されたと……」
突拍子もない唐突な焔の申し出に、驚愕する店主は冷や汗を掻いていた。
「ああ、解放された」
「さ、左様でございましたか……。婚礼はどなた様が……」
「俺と嫁のタリアだ」
焔に紹介されて挨拶する。嫁、は語弊があるが訂正はしない。
「こんにちは店主、タリアです。よろしくお願いします」
「こりゃ別嬪さん――ってご結婚なさるんですか!? 孤魅恐純様が!?」
孤魅恐純は火山が生んだ渾沌の象徴、鬼界で最恐の三鬼、三災鬼のひとりだ。残酷で残虐、外道が成す不義、血濡れた人生に情や愛はない。鬼界が既知する事実だ。
同族も信用しない孤高の鬼が五百年封印された後に、品位ある対照的な伴侶を連れて来た摩訶不思議な現象に店主は愕然としていた。上半身を仰け反らせている。
「…………」
「……アハハ、まあまあ焔……」
タリアが顔に翳を落とす焔を宥めた。店主が平謝りする。凄まじい汗の量だ。
「申し訳ございません孤魅恐純様!! 申し訳ございません!! ご勘弁下さい!! 妻子を残して逝けません!! お助けを!!」
「落ち着いて店主、彼は何もしない!」
生命の危機に瀕した物言いでタリアが否定した。
以前の孤魅恐純なら店主を殺している。不愉快極まりない者を生かす理由はない。
「……店主。貸し切りでチャラだ」
けれどタリアと出逢い、焔は自制を覚えた。タリアが傍にいる条件が必要だ。店主は運良く窮地を脱する。
「……ッ!! ありがとうございますッ、ありがとうございます! おい! 貸し切りだ! 誰も入れるな!」
「は、はい!!」
店主の指示に店で働く若い女鬼が黒文字で定休日と表記される赤い提灯を、玄関の軒先に固定された吊り具にかけ、急いで扉を閉めた。
「あー……焔、やりすぎなのでは?」
「貸し切りは予定だったよ。他の連中は邪魔だ。タリアと二人、ゆっくり選びたい」
焔の唇がタリアの目元に触れる。焔の行動に店主と女鬼が「おおっ」と驚嘆し、タリアは両頬を赤らめ俯いた。居た堪れない。
「――店主」
「ささッ、婚礼衣装でしたな!! こちらにご用意を致します!!」
焔の促しで店主が両手を擦り合わせ、中央に案内してくれる。
「ありがとうございます」
「タリア、足下に気を付けて」
小上がりになった高床式の畳は30㎝の高さで十二畳あった。焔の誘導でタリアも畳の上に上がる。地模様のない縮緬を用いた黒留袖や、紋意匠縮緬を用いた色留袖が鳥居形の衣桁に掛けられ陳列していた。
店主と女鬼が次々に赤い着物や反物、紅蓋頭や簪を並べていく。
「孤魅恐純様、タリア様、ご希望はございますでしょうか?」
兆しを表現した吉祥文様、六角形を基本とした幾何学文様の亀甲文、縁起が良い七宝紋、格式高い花菱、繊細な刺繍が施された鳳凰や龍神、四君子は煌びやかだ。
「焔、今回は予行練習だ。反物はやめよう」
三百年後の婚儀に出席不可能な村人にせがまれ、急遽明日、予行練習の婚儀を執り行うことになった。反物は仕立てに数カ月はいる。明日に間に合わない。
「ああ。本番は三百年後だ。タリアの花嫁衣裳は鬼界随一の縫い師に特別に誂えさせる。でも明日の予行でタリアが着る衣裳も妥協はしない」
「鬼界随一か。三百年後が楽しみだな。もちろん明日も楽しみだよ」
村人達の懇願は強引であったが、焔とタリア、二人の婚姻を祝福してくれた。人間の寿命は光陰矢の如しだ。明日は彼らに恩寵を与え、清福で満ちる一日にしたい。
「はい、じゃあタリアこれ着て」
「わ……ッ」
突然、焔に一枚目の衣裳を渡される。これ、に始まり婚礼衣裳をすべて試着させられた。宣言通り「妥協」がない。
「ちょ、ちょっと焔、休憩、しよう……!!」
「ハア……、ハア……」
「……ッ、私が、片付けを……」
店主や女鬼の息も絶え絶えだ。
「タリアは座ってて、アンタ達は仕事でしょ」
「……ありがとう」
のろのろ隅に移動する。店主と女鬼は焔の対応で大忙しだ。途中、二人の目を盗んで女鬼が近付いてきた。
「――タリア様、ひとつ如何ですか?」
彼女はイーハンだ。上衣が白、下裳が青藍色の漢服を身に纏っている。整った顔立ちで青い髪は長い。そばかすが魅力的な背高の、一本角の青鬼の少女だ。
「……飴玉?」
華やかな彩りの飴玉が瓶に詰められてある。
「ええ。いま鬼界で流行っています、化楽飴です。美味しいですよ、憩いの一時に」
「へえ。ありがとうイーハン、頂くよ」
優しい気遣いに感謝した。タリアは赤い飴玉をひとつ摘まみ食べてみる。いちご味だ。舌上で転がす化楽飴は、さっぱりとした味わいで美味しい。
「化楽飴は色んな者に化けられるんですよ!」
「……え? 化ける? イーハン? 化けるって?」
イーハンの遅い説明にタリアが困惑した。
「はい! 完璧じゃないですが他族になれますっ! あとは単純ですが大人になったり子供になったり! 大丈夫ですよ、三時間で効果はなくなりますから! ワアッ! タリア様、可愛いです!」
「……ん?」
イーハンが大きく見える。タリアは自分の体を確認した。全体的に小さい。焔がイーハンの黄色い声でタリアを直視し、長い睫毛を見開き本人か確かめる。
「――タリア?」
「……うん」
声音が幼い。化楽飴を舐めたせいでタリアは110㎝弱の背低、六歳児になっていた。
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