第十七集:りんごの呪い
辰の刻の初刻、青白い空に朝月夜がある。土はしっとり朝露で濡れていた。風は冷たいが透き通った空気はおいしい。天上界で味わえない地球の息吹きを感じる。
朝餉を済ませたタリアと焔は現在、落葉が舞う庭先にいた。雀達が両脚で跳ねて遊んでいるなか、長柄のやしば箒で色とりどりに落ちた枯葉や落ち葉を掃いている。
「タリア、寒くない?」
「平気だ、ありがとう焔」
常春の天上界は暑過ぎず寒過ぎない。比べて下界は四季があった。気候、花、旬の食材、催しがあり、比較的はっきりとした季節の変化が楽しめる。下界の春待月は一年中で太陽の高度が最も低い、夜が長い期間だ。
生物、植物、動物は様々な方法で越冬に入る。人間の過酷な環境を生き抜く知恵も賢く、感嘆の一言に尽きた。
下界の冬に慣れていないタリアも今年は地上で年を越すため、数千年の人生で初めてする防寒対策は万全だ。上位神エルが贈ってくれた焔とお揃いの外套を纏い、鬼界で焔が選び購入してくれた手袋を着用している。外套は袖なしのマント型ですっぽり全身を覆え、ムートンの手袋はふかふかしていて暖かい。
「ああタリア、サツマイモあったよね。焼き芋する?」
「いいね、大好物だ」
焔が作る焼き芋は絶品だ。以前、食し、すでに立証されてある。
取り敢えず一箇所に赤、黄、青の朽葉を集め準備に取り掛かった。直後、少し離れた場所で旋風が発生し二人の男神が現れる。中級三神の神官、武官のハオティエンとウォンヌだ。
「おはよう。ハオティエン、ウォンヌ」
二人は黒軍衣の上に、ウールとポリエステル素材の黒いミニタリーコートを着ていた。下界が冬期の際に羽織る制服規定だ。ハイネックデザインのスロートラッチで首元は防寒防風に優れている。十二のダブルボタンは全部留めてあった。
二人は無言で拱手する。
「…………」
「…………」
天上界の掟だ。天上皇の次に汚れなく清らかな神に、上位神外の神々は直接の接触及び会話は許されない。
「どうぞ、許可するよ」
「おはようございますタリア様」
「おはようございます」
ウォンヌとハオティエンは開口一番に挨拶した。二人は礼儀がある。片や焔は無論、二人を度外視だ。
「私になにか用かな?」
「はい。僕はウリ様から言付けを預かってきました。『お疲れ様でした。ケッキとクリシュナの御霊はタリア様の御慈悲で無事、来世に昇れます。凱歌を揚げるは神にあり』と」
柳緑村で育った二人クリシュナとケッキは、緑鹿の万季地と絡んだ運命に翻弄され、十八歳の若さで他界してしまった。タリアの情けで魂は救えたが遣る瀬無い結果だ。
「報告を任せてすまない。ご苦労様だったねウォンヌ、ありがとう。ハオティエンは?」
「俺は上位神エル様にたまたま纏五殿で逢着し、『下界に降りタリアの性別を確認して来い』と命令されたんです。意図不明ですよね」
「あー……、アハハ……」
ハオティエンは「謎だ」と首を捻っている。タリアは昨日の朝方、突然来訪してきた上位神シリスに性別が反転する逆呪をかけられていた。期限は一日で、今朝、しっかり逆呪の効力は解けている。
ハオティエン同様にウォンヌも昨日の一件は知らない。エルの摩訶不思議な命令に疑問符を頭上に飛ばしていた。
「……性別? タリア様は男神だ、エル様もご存知だろう。何を確認したかったんだ?」
二人は仲良く小首を傾げる。苦笑して誤魔化すタリアに代わり、焔が要点を掻い摘んで説明した。人差し指をピンと立てている。
「タリアは24時間、シリスって言う神の逆呪で女神だった。義兄さんの確認はそれだね、さっき効力が消えて元通り男神だ。伝言よろしく」
「は!? シリス様!?」
「女神!? タリア様が!?」
バッと刮目された。ハオティエン、ウォンヌの視線は刺々しい。タリアは眉尻を下げ、指先で片頬を掻いている。危機感が足りないタリアに二人は、果然として目を吊り上げた。
ハオティエンが憂いを帯びた口調で諫言する。
「タリア様!! もっと全方位を警戒し、緊張感を持って下さい!! 他の神と平等に接し信じる貴方の姿勢は美徳で尊敬に値しますが、万一を念頭に入れるべきです!!」
「僕もハオティエンと同意見です!! シリス様の性悪さは天上界一ですよ!? 今回は難を逃れておりますが、今後は隙を見せないで下さい!!」
継いでウォンヌに苦言を呈された。一息に捲し立てられる。普通なら下神が上位神に意見具申する行為は言語道断で最悪天上界追放だ。
だがタリアは真摯に二人の想いに耳を傾けた。
「ありがとう、ハオティエン、ウォンヌ。私の油断で心配をかけて申し訳ない。心に留めておくよ」
非を素直に認める。タリアは二人の指摘に感謝し、謝罪した。下神に責められて嫌な顔ひとつしていない。
「……え、と。はい」
「……いえ、はい」
上位神タリアは寛大だ。完全に毒気を抜かれてしまった二人は、太刀打ちできず首肯せざるを得ない。口を噤んだ二人のタイミングを見計らい、焔がタリアに耳語する。
「タリアの女神は可愛かったよ」
「蒸し返さないで焔……」
タリアは耳輪を赤らめた。そこへ突如、村人の夫婦が駆け寄って来る。父親が背負った子供の様子がおかしい。
「――桜道士様!!」
「――桜道士様ッ、ウチの息子が!!」
「如何されました!?」
「助けて下さいッ、息子が!!」
父親がタリアの傍で子供を下した。母親が子供の上半身を支え、子供を地面に座らせる。そして広袖袢纏や股引の裾を捲った。
「――――ッ!」
手足が真っ黒だ。手首に触れてみると水分のない涸れた表面はざらざらしている。人間の皮膚の手触りではない。
母親が涙声で必死に懇願してくる。
「朝方、唸っていて! たちまち黒くなったんです! 桜道士様の法力で助けて下さい!! ウチのユアンを!! まだ五歳なんです!! お願いします桜道士様!!」
「うぅ……、桜道士、様……」
ユアンは昨日、タリアに白い椿の花をあげた子供だった。袢纏の内側のポケットに一枚、エルの羽根が入っている。タリアはエルの羽根を、ユアンの心臓付近で両手に握らせた。
ユアンの呼吸が楽になる。エルの加護の効果だ。
「はぁ……」
「ユアン、ユアン、私の声が聞こえるかい?」
「うん……、桜道士様……」
「何があった? 誰かに何かされたのか?」
「……もしやシリス様が? 彼は冥官の長です」
ハオティエンが疑うのも無理はない。彼は生命の死を司る神だ。大地にない新しい病原菌を撒き人間の生死を見守る役目を担っている。
「いや、病の類と思えない……。シリスはひとりを目的としない。疫癘が彼の任務だ」
タリアは小声で否定した。間を開け、ユアンが質問に答えてくれる。子供故に言葉遣いはたどたどしい。
「りんご……を、ね。食べちゃった、んだ……」
「誰のりんごだったのかな?」
「魔女、さん……の……」
「魔女……」
超自然的な妖術で人畜に害を及ぼす人間を、下界の人間は魔女と呼んだ。古い伝承で実在はしない。
「魔女、さんがね……、僕はりんごの、呪いで、……三日後にし、ぬ……って、ほんと?」
「イヤアアアア!!」
母親が号泣した。父親が母親を抱き締め涕泣している。タリアは二人を一瞥し、ユアンに微笑した。
「ユアンは私に椿の花を捧げてくれた。お礼をしなきゃね、私が魔女さんに謝ってユアンを元気にするよう頼んでくるよ。魔女さんのりんご、どこで食べたか憶えている?」
「え、とね……、あっち……」
ユアンが指差す方角は北東の森だ。ユアンの両親が平伏し嘆願してくる。
「桜道士様ッ、何卒!! 何卒ッ!!」
「ユアンをお助け下さいッ、桜道士様!!」
「ああっ、二人共、やめてくれ頭を上げなさい! お二方はユアンを安静に、私はユアンが会った魔女を捜して来ます。羽根はそのままで、いいですか?」
「はい……、はい……ッ!!」
「桜道士様ッ、お願いします……ッ!!」
ユアンの症状は深刻だ。魔女と名乗る者は相当な手練れに相違ない。タリアは四界の者を脳裏の片隅に置き、北東の森に赴く決意を固めたのだった。
今年最後の更新となります、ここまで読んで頂いて、ありがとうございます!
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今年は小説を書き始め、読者様や、同じように小説を書かれている仲間の皆さんのお陰で、たくさんの事を学べた年となりました。
改めて、いつも桜紅初恋を読みにきてくださる皆さん、本当にありがとうございます。
来年も変わらず、頑張って執筆していきますので、よろしくお願い致します<(_ _)>
よいお年をお迎えください。




