第十五集:冥官の長シリス
村に帰って来たタリアと焔は二人の住まう藁葺屋根の家にいた。
二人は山桜の木が用いられた囲炉裏に座っている。継ぎ目が立派な木の囲炉裏鉤に鍋がかかっており、ぐつぐつ煮込まれている鍋の中は野菜で溢れていた。人参や玉ねぎ、白菜、ネギ、キノコや大根、味が淡白な魚のタラも入っている。すべて村人達が桜道士、タリア神像に捧げた神饌だ。有難い。
任務を終えて疲れてはいるが、タリアは空腹が勝っていた。お腹が鳴るタリアに「何か食べよう」と焔が提案し現在に至る。タリア主義でタリア限定の焔の気遣いだ。
「――はい焔」
「ありがとうタリア」
野菜は火が通るのが早い。くたくたにならないうちに、タリアが鍋の具材を御椀によそった。二人で一緒に食べ始める。
「美味しい!」
タラの出汁が野菜に染み渡り、旨みが増加していた。鍋物は代謝を上げ、具材の栄養を丸々摂取できる。優れた料理だ。
「タリアが作ったんだ。絶対に美味しいよ」
「ハハ、ありがとう」
焔の感想で鍋がより美味しく感じた。褒められて悪い気がする者はいない。
タリアは礼を言い、湯気の立つ野菜を多めに箸で摘まみ、口内に放り込んだ。
案の定、口腔内が悲鳴を上げる。
「――熱ッ」
「タリアッ」
焔が茶碗を置き、正面に座すタリアに駆け寄った。
「……へ、平気だ」
タリアは咀嚼し何とか飲み込んだ。多少、喉や粘膜がひりひりするが騒ぐほどではない。
「タリア、舌、出してみて」
「……焔、大丈夫だ。ちょっと火傷した程度だよ」
「出して」
半ば強制的な強い語調だが、焔は怒ってはいない。顰められている眉も、心配の裏返しだ。
「…………っ」
おずおずとタリアは舌を出した。他人に舌を晒す行為は初めてで些か恥ずかしい。
「タリア、そのまま」
焔がまじまじと直視する、両頬を赤く染めたタリアの舌は鳳仙粉色で綺麗だ。タリアは焔の熱っぽい眼差しに涙目になる。そろそろ限界でタリアが舌を引っ込めようとした矢先、顔を近付ける焔が自分の舌を重ねてきた。
「わっ……んぅ……!!」
反射的に体が逃げてしまう。だが焔の右腕が背に回り阻止された。動けない。
「待っ、て焔……っ」
舌を搦める口づけは初めてだ。キスの合間に制止を求めたが、するり割って入ってきた舌に捕らわれる。
「んっ……、ぁ……はっ……」
後頭部を固定され口づけが濃くなった。脳内の奥が痺れる感覚も初めてだ。
「んぅ……ン……」
執拗に口腔を掻き回され、舌で歯をなぞられる。やんわり甘噛みされたり、キツく吸い上げられたり、一方的に翻弄された。どちらのかわからない唾液がタリアの口端を伝い落ちる。息苦しさに焔を引き剥がした。
「もっ、ほ、むら……!」
「ハ……」
白い息を吐く焔の、劣情をはらんだ双眼は艶めかしい。愛くるしい獲物を眼前に理性が効いてない様子だ。
「ま、待って、焔……」
タリアは経験値がない。焦らず徐々に関係を築きたい意向は焔も承知している。
「もっとキスしたい。だめ?」
「……だめ、じゃ……、ないが」
湿った唇を拭われて羞恥で思わず視線を逸らした。焔の指先に顎のラインを撫でられる。そっと正面を見やれば焔が下唇を啄んできた。
「ん……」
再び、舌先が忍び込んでくる。背筋がぞくぞくおののいた瞬間、玄関の戸がドンドンドンと叩かれ、陶酔する意識が浮上した。ハッと焔の胸元を押し退け、返事をしながら立ち上がる。
「は、はい!! います!!」
「チッ……」
後方で焔が露骨に舌打ちしたが気に留めない。あの調子で甘い刺激に懐柔されていたら、先は言うまでもない。
タリアは呼吸を落ち着かせ扉を開けた。
「――ようタリア」
村人と思いきや、予想だにしない来客だ。戸口にいる人物に瞠目したタリアが一歩後退る。
「シリス……」
シリスは最も位階の高い上級三神の上位神、生命の死を司る男神だ。冥官の長で、人間の魂の管理を担っている。数百年ぶりの再会だった。
焔はタリアがシリスにたじろいだ一瞬を見逃していない。
「タリア誰コイツ、天上臭いね神?」
手首を掴まれたタリアは焔の背中に庇われる。焔はシリスに喧嘩腰だ。
「……コイツはやめなさい。上位神シリスだ、私の兄だよ」
「兄ね……」
「へえ、お前が火鬼か」
シリスは白のフードが深いローブマントを纏っていて表情は一切、窺えない。袖口や丈も長く、足下の裾は引き摺っていた。
シリスは下界で「死神」と呼ばれる存在だ。川の枯渇、土地の乾燥、植物の再生、そして地上にない病原菌を撒き人間の生死を見守る。死と復活が彼の役目だ。
天上皇直々の命に従い、大地を巡り任務を熟す冥官は特別で、下界に降りた神々の人数に足されず、五事官は討伐要請をしない。
「シリス……、私にいったい何の用だ?」
タリアはシリスが大の苦手だった。天上皇に忠義が厚い姿勢は尊敬する。けれど幼い頃はよく虐められ泣かされた。大人になっても接し方は変わらない。警戒して当然だ。
「んな身構えるな、タリア。久々に天上に帰って驚いたぜ。お前が火鬼と婚約したって、エルが煩くてな。可愛い末弟の吉報だ、わざわざ会いに来てやったんじゃねえか」
本当か嘘か判断に困る。しかしシリスが多忙なのは事実だ。素直に兄の来訪を喜ぶべきなのかもしれない。
「それはありがとう……」
「わざわざありがとう」
語頭を強調させる焔の作り笑顔は怖かった。シリスは2m50㎝ある背丈の腰を曲げ、肝が据わった焔を観察しつつ助言してくる。
「なあタリア。俺四界に詳しくねえがコイツ……、火鬼君やめとけば? 性格やばそうじゃん腹黒いんじゃね?」
シリスは四界の世情や情勢に疎い。接点を持つ機会がないため致し方がない発言だが、神経を逆なでされた焔の放つ空気は禍々しい。
「アハハ……、すまない。いい子なんだよ」
「いや、いい子の面じゃねえよ」
即座に否定された。いまの焔は憎悪感を露わにした顔付きだ。
「え、と……シリス、お茶飲んで行くかい?」
「いやいい」
話題を切り替え誘ったが断わられる。焔が右手を上げて挨拶した。
「じゃあ、さようなら」
「マジで腹立つなお前。まあいい、タリア」
シリスは焔に文句を零し、タリアを呼んだ。
「なに? シリス」
「俺の祝いだ受け取っておけ、期限は一日だ愉しめよ」
シリスがふっと太息をタリアに浴びせた。刹那タリアが一喝し、両手で自分を抱き締め蹲る。
「シリス!!」
「じゃあな」
シリスは煙となり忽然と消えた。焔が膝を折り、タリアを覗き込んだ。
「タリア? 何かされたの?」
「……、逆呪だ」
タリアが発する声音は弱々しい。焔におうむ返しされる。
「逆呪?」
「びっくりしないで……」
タリアは意を決し両腕を解いた。
「ハ……」
焔が上下の睫毛を開き、朱色の目を丸くさせる。タリアの胸部がふんわり膨らんでいた。滑らかな谷間がある。
「……はあ、油断してしまった」
タリアは自分を責めた。シリスの能力のひとつだ。逆呪は生物や生体の性別や年齢を操れる。男が女、女が男、子供が大人、大人が子供、24時間と効果は解けない。
「……タリアが女神に……」
ぶつぶつ独り言ちる焔がのそり覆い被さってきた。
「あ、ちょ、焔!?」
「女神のタリアもいい匂いがする」
首筋に生温かい舌が這う。指先で脇腹を撫でられ擽ったい。
「だめだ焔! いけないっ!!」
「――婚前に!! 貴様は!!」
必死に藻掻くタリアの柔らかい箇所に焔が手を添える寸前、突如、現れた正義を司る上位神エルに蹴り飛ばされた。焔は積んである薪に突っ込んだ。
「ああっ、焔!? ――ってエル!?」
「やあ義兄さん」
焔は至って普通に起き上がる。掠り傷ひとつない。
「……シリスの奴め」
末弟が末妹だ。女神タリアを一瞥し、エルが眉間に皺を刻んだのだった。
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