第十二集:魂に慈悲を
「――火槍一突」
「――グッ、ガハ……!!」
焔の火の槍で貫かれ万季地が片膝を突いた。木の壁が瓦解する。
「クソガキが……ッ!」
「ハッ……、タリアに仇を成すヤツは俺が殺す」
吐血した万季地に刺さる火の槍が火勢した。万季地が喚呼する。野太い哮りだ。
「グァアアアッ、ヒ、オニ……!!」
「――砂蟻地獄!!」
突如、場にいない者の一声が響き渡った。
自然の大地が生んだ鹿神に等しい存在、神の天敵で鹿界の二凶鹿、緑鹿の漠だ。年齢は凡そ八百五十歳、万季地と似て非なる鹿だ。2m55㎝とこちらも上背がある。
彫りの深い二重瞼の眉目秀麗な顔貌で、緑色の虹彩に瞳孔は五芒星形、鼻筋が高い。万季地と瓜二つの容姿だ。分厚い上下の睫毛や爪も緑色で、上向きの平たいヘラジカの角二本に、同色の髪は刈上げツーブロックショートとこちらの髪型は厳つい。
服装は相済茶のシャルワニだ。素材は黒のシルクで純色の鮮やかな刺繍がふんだんに施してある。ズボンは黒のチュリダを穿いており、靴はモジャリでシャルワニと揃えた刺繍は華やかだ。万季地と趣味が似ているせいか、二人の身形が統一感ある装いになっていた。
漠の鹿力の能力で地面がさらさらの砂状になる。穴の形は逆円錐形だ。
「うわっ!! ハオティエン!! 雑菌が!!」
「オイッ、ウォンヌ!! 短袴を引っ張るな!!」
「ちょっ、滑る!! ハオティエンッ、下になれよ!!」
「お前がなれ!!」
斜面は傾斜が急で角度は40度、ウォンヌとハオティエンが半分の位置まで、仲良く一緒に転げ落ちた。互いを土台にし合い小競り合っている。
「タリア……!」
「焔……!」
瞬時に木の太い根っこを左手で掴んだ焔は、右腕でタリアを抱き寄せ、遠心力で跳んだ。二人は難を逃れる。四人が砂蟻地獄に嵌っている隙に、漠は深手を負う万季地を連れ、忽然と消えた。
焔が露骨な舌打ちをする。
「チッ……」
「二人は双子か?」
安全な場所に降ろされたタリアが、眉を顰める焔に訊ねた。
「いや、双子じゃない」
「彼は危険を冒して万季地を助けた」
「まあね。二人の仲は利害の一致で成り立っている。双方が取引相手、共存共栄だよ。万季地が数百年動けなくなれば甚大な損害を漠が受ける。情けや仲間意識で助けたんじゃない」
焔の説明に耳を傾ける。訳柄が何にせよ、首謀者の万季地を取り逃がしてしまった。刹那に五事官ウリが脳裏に浮かんだ。説教は免れない。
太息を零すタリアにウォンヌが救助要請する。
「タリア様ッ、タリア様ァ!!」
「うわああ!! すまない!! ああッ、ハオティエン!! しっかりして!!」
二人の存在をすっかり忘れていた。タリアは砂蟻地獄を覗き込んだ。ウォンヌは辛うじて上半身が出ているが、ハオティエンは全身がすっぽり埋まっていた。
タリアは分厚い蔓を投げ、二人を引き上げる。間一髪の救出だ。
「あー……。ウォンヌ、ハオティエン、怪我はないか?」
「ペッ、はい……、ありがとうございます。ゴホッ、お手数おかけし申し訳ありません」
「ゴホッ、ゴホ、……ありがとうございますタリア様、命拾いしました」
砂塵が舞うウォンヌとハオティエンは、口内の砂粒に苦戦しつつ感謝を告げた。砂塗れで真っ白な状態の二人を焔が揶揄る。
「砂遊びが趣味って幼稚だね、壱と弐は」
「射殺されたいか!?」
「微塵切りにしてやる」
ウォンヌとハオティエンが噛み付いた。
「ハッ、威勢はいい」
焔は興奮する二人を鼻で笑う。二人を見下げる両眼は挑発的だ。
「こんの……火鬼ッ!!」
「孤魅恐純……、威勢だけか試してみるか?」
案の定の喧嘩に発展した。険悪な関係の溝が埋まる気配はない。
「やめなさい三人共!! 焔、二人を虐めないで」
「タリアを煩わせた壱と弐が悪い」
真顔な焔はややご機嫌斜めだ。声音に若干の不満が滲んでいる。
「壱と弐はいけない。ハオティエンとウォンヌだ、……彼らは尽力してくれた。焔、キミもだよ。ありがとう」
二凶鹿の万季地は狡猾で強敵だった。独善的で殺生に躊躇いがない。天上界が凶と名付けた理由に納得だ。そんな万季地を圧す火鬼の攻撃力は、流石の一言に尽きる。お陰でハオティエンとウォンヌは無事だった。
「タリアを守るためなら、俺は何だってする」
焔の行動の要素はすべてタリアで構成されている。一種の自己犠牲の発言に偽りはない。孤独の果てで見つけた焔の生きる意味はタリアだ。
上位神タリアを尊崇し、忠誠を誓い献身する神々は多いが、焔がタリアを想う気持ちには執着や嫉妬、独占欲が混ざっていて、神聖さは微塵とない。けれど、それが火鬼の愛の表現の仕方だ。焔との恋仲の期間で重々にタリアも理解している。
「私もだよ、焔」
愛が突き動かす言動は理屈で語れない。タリアも焔と出逢い、恋と愛を知り、たくさんの感情を学んでいた。
「はあ、はやく帰ろう。タリアと二人になりたい」
帰宅を促す焔の語尾にウォンヌが黙っていない。
「お前ッ、逐一ッ、腹が立つな!!」
「ご勝手に、本心だ」
「……ぐぬぬぬ」
タリアに一度怒られた手前、二度目の舌戦はしたくないのだろう。ウォンヌは苛立ちを奥歯で噛み砕き耐えた。ハオティエンは平常心を保っている。否、装っている。蟀谷の怒筋は隠せていない。
諍いを起こさず無言で威嚇し合う三人は奇抜な状態だ。仲裁はいらないと判断したタリアは、横たわるクリシュナとケッキの亡骸の傍に行き跪いた。
「…………」
十八歳、若い二人の死に心が痛んだ。再会が別れになり気が咎める。
「タリア、タリアに非はない」
後ろに立つ焔が思考を否定した。
「ああ。わかっている」
クリシュナ、ケッキ、各々の魂の運命だ。タリアに二人の未来は変えられない。
二人が今世で経験した喜怒哀楽、相思相愛は来世の魂に継がれる。
「――魂天来華」
上位神タリアが二人の魂に慈悲をかけた。花々の導きで目映い光が夜天に昇る。二人の魂を見届け、タリアは立ち上がった。
「遺体は許万官に託そう」
ケッキは四混種だ。形骸が人間の心身に害を及ぼす可能性は捨てきれない。人間にない死屍は界事を担う五事官と、罪や穢れを祓う許万官が対応する。
「俺が報告しておきます。クリシュナは人間ですがタリア様の情けを直々に頂戴しています、丁重に遇するよう伝えておきます」
ハオティエンが機転を利かせてくれた。安堵するタリアは片頬を掻き、序でに苦笑して頼んだ。
「あー……じゃあ、万季地の報告もいいかな?」
五事官の長ウリは生真面目な性格で、任務の次第をつぶさに報告しなければならない。小言と一式でタリアは苦手だった。
ハオティエンも青ざめ不得手な表情になる。
「……うっ、万季地の、……ウォンヌいいだろう?」
「……はあ、ウリ様に……、承りました」
ハオティエンがウォンヌに面倒事を投げた。
ウォンヌは投げ返す相手がいない。不承不承に拱手したウォンヌに、タリアは胸中で謝罪し視界を上げる。
「――あ、空が」
時刻は卯の刻の初刻だ。沙羅双樹の林に朝焼けが差した。
地球の息吹きで黄金色に染まる下界は美しい。呟くタリアの左手を焔が優しい手つきで掬う。
「……タリア」
そっと細い指先に口づけた。タリアを射抜く目線は艶めかしい。
「ほ、焔……」
「可愛い……」
鴇色になるタリアの両頬に焔がバードキスをする。そのまま潤んだ唇に移動しかけ、タリアが焔の口元を左手の平で塞いだ。
「あ……、ちょっと待って焔……」
「嫌だ」
「ダアア!! 孤魅恐純!! お前いい加減にしろ!! 神聖なるタリア様に!! 上位神タリア様に!! 僕の眼前でタリア様に馴れ馴れしくするな!!」
到頭、ウォンヌの堪忍袋の緒が切れた。涙目で訴える。ハオティエンも続いて諫言した。
「タリア様、孤魅恐純は不逞な輩です! 即刻ご婚約破棄をなさって下さい!!」
「……殺す」
重ね重ねの不快が沸点を突破し、焔が鬼灯丸を抜刀する。ウォンヌとハオティエンも和弓と軍刀を構え戦闘体勢だ。
「やめなさい三人共!! 何故そうなるんだ!!」
タリアは自分が原因の渦中にいると夢にも思っていない。三人の小競り合いは三十分後、タリアが「私は帰る」と移境扉を開いたことで、幕を閉じたのだった。
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