第四集:狙われた村
「――本気だよ」
森に差し込む月明りの一筋が、タリアを照らしている。
夜風で舞う桜色の髪と撫子色の深衣、世界を映す潤った瞳、艶を引く薄い唇、ひとつひとつが神秘的で美しい。
「……おい」
ハオティエンがタリアに見惚れて意識を飛ばしているウォンヌの、無防備な脹脛の外側に蹴りを一発入れた。ウォンヌは痛みにぐぅっと喉を鳴らし、素知らぬ顔のハオティエンを涙目で睨んだ。
「だらしない」
「アンタもね」
焔が横槍を入れ、ハオティエンの額に怒筋が浮かび上がる。
「やめなさい三人共、まったく」
叱る人数が増え、タリアは「何故唐突に喧嘩が」と不思議がった。きっかけを知らないのは当の本人だけだ。
――容姿端麗な貴方が原因で喧嘩になります。
神官二名の心中が一致する。しかし神官が上位神に意味不明な苦情を訴えるなど、追放になり兼ねない。速攻に話題を変えるべく、ハオティエンがウォンヌに顎をしゃくった。
ウォンヌは意図を汲み取り、咳払いをして本題に戻る。
「ゴホン、えっと、襲った罪人を調べる――ってタリア様、ご自分が下界に降りた本来の目的をお忘れですか?」
火鬼の封印の神札を新しくする、それが下界に降りたタリアの任務だ。
「忘れていない。でも放っておけない。護衛は自由だよ。私に付いて来るか来ないか、判断は君達がしなさい」
タリアの語気は鋭く意志の固さを窺わせた。同行を強制しないタリアにハオティエンとウォンヌは一呼吸置き、自分達の意思で従う決断をする。
「ハア……、わかりました」
「なにから調べましょう」
「ありがとう。ハオティエン、ウォンヌ」
取り敢えずの行動が決まった矢先、夜のしじまを切り裂く悲鳴が轟いた。同時に野鳥達が一斉に羽ばたき、恐怖で折れた木々の枝や葉を撒き散らす。焔がタリアに当たりかけた枝を払い退けた行為は誰も見ていない。
「村の方角だ!!」
駆け出すタリアに三人も後を追った。
視界に飛び込んでくる松明を掲げた村人達、彼らは茶色く濁った田んぼの土水路に集まっている。水溜まりを避け、駆け寄れば、鉄の臭いが鼻奥を刺激した。
「――っ」
女性の遺体がうつ伏せの状態で転がっている。引き千切られた手足、皮一枚辛うじて繋がる首、乱暴に抉られた両目、皮膚を破る骨、心臓や腸の臓器はない。
「……ね、大丈夫?」
タリアを気遣う焔は平然としていた。動揺の欠片もない。
「君は?」
「俺は大丈夫」
「なら私から離れないで」
「離れない」
焔はタリアの袖を握る。淡々とした会話は小声で、村人達はたった今タリア達の存在に気が付いたようだ。
「――お、まえ達は!!」
「おいっ!! 鬼がいるぞ!!」
「さっきの子鬼だ!! やっぱりお前が!!」
村人達は怒りの矛先を焔にぶつけた。手に持つ松明で威嚇してくる。
「(……怖いのか)」
村人達は震えていた。暗闇に咲く火の粉の花が彼らの心情を伝えてくる。目線を下げると嘔吐した形跡もあった、無理もない。
タリアは右手で左手の拳を包んだ。拱手し、成る丈、丁寧にゆっくり語りかける。
「皆さん冷静になって。この子は先刻より、ずっと私達といた。その女性の血は真新しい。まだ近くに彼女を殺めた者が潜んでいるかもしれない」
「俺達も彼といた、お前達を騙す理由は俺達にはない」
「僕達をよく見ればわかる、誰ひとり血痕が付着した形跡はないだろ?」
加えて、ハオティエンとウォンヌが潔白を主張した。村人達はタリア達の衣服を確認し、互いの顔を見合わせる。
「じゃあ、いったい……」
「人間の仕業じゃねえ……」
「……ヨウリンで三人目だ」
村人達は惨事に困窮を極めていた。人間には手に余る事案だ。やはり、放っておけない。
タリアは「話して下さい」と、村人達に事件の経緯を詳しく聞いた。
――話はかれこれ二週間前に遡る――
「雨が降って来たぞー!」
「こりゃ土砂降りだ!!」
「ウヒャー!! 待ちに待ってたぜ!!」
「あっちで育ててる野菜が腐っちまう前で良かったな!!」
「ありがとう神様!!」
晴天が続いていた村にとって、久しぶりの快雨は天の恵みだ。昼過ぎに作業を中断し、村人達は嬉々として各々の家に帰った。
そして翌日、彼らの被る竹子笠は雨でどっぷり濡れていた。農作業ができず、家畜の世話をする。
「あ~~、今日も雨か」
「夜は晴れてたよな、まあ仕方ねえ」
「なあに、明日にゃ晴れるさ」
人間に自然は操れない。明日には、明日には――、そう村人達は神に祈った。
だけど雨は昼間を中心に降り、夜は星々が煌く晴天と繰り返した。
「食えりゃ何でもいい、何か食べ物分けてくれねえか」
「ウチもねえよ。子供が腹ァ空かして泣いてやがる……」
村人達は極端に痩せ、頬辺がげっそりと削れている。田畑は荒れ、収穫は減り、牧畜や家畜は餓死する始末、どこの家の食料もここ数日で底を突いていた。
そして恵みの降雨が奇怪な現象となり一週間、村を震撼させる事件が起きたのだ。
「こりゃ、……間違いなくジアンなのか……」
「小便に出たコイツが見つけた」
「……耳飾りでわかる。間違いねえ、ジアンだ」
「……人間の仕業と思えねえよ、だってオメエ」
横たわる少女の体は不揃いだ。手足は捥ぎ取られ、開いたあばら骨、両目は空洞で、臓器もない。腸や肉の塊が散乱している。
「オ、ア……」
「ゲホッ、ガッ……」
血生臭い空気に堪えられず、数人が嘔吐した。散乱する臓物が生々しいのだから、至極当然だ。
「兎に角、子供に見せられるモンじゃねえ! 犯人捜しは後だ!!」
「あ、ああ!」
「殺った奴は血も涙もねえ化物だ、くそ……ッ」
村長のダンの尤もな発言に村人達はジアンの亡骸を片付け、一塊になって怪しい者がいないか村中を捜索した。けれど手掛かりはなく、悲しみに浸る暇もないまま――三日後の晩、次の犠牲者が出てしまう。
病死した両親代わりに、村全体で可愛がっていた最年少の女の子、エマだ。
「……エマ」
「信じらんねえよ!!! 信じたくねえ!! たった五年の命って、エマァ……!!」
「ヒック、ヒ……、どんなに恐ろしく痛かったか……!!」
「エマが何したってんだ!! 許さねえ!! 俺は許さねえぞ!!」
ひとり目の少女同様に、彼女は短い生を終えていた。村人達は宝を失い、血の海に膝から崩れ落ちる。
――泣き暮れて三日後、今宵も又、犠牲者が出た――
「……日中の雨、晴れる夜に襲われ、臓器を……」
タリアは村人達の体験を考察する。得た単語を掻い摘んで呟き、頭の中を整理した。
すべての条件を満たす、界域の者がいる。
「……狐界の者か」
狐族が住む狐界は常に巨大な雲、積乱雲が帯電しており、雷が鳴り止まない。種族の属性は雨、雷だ。
狐界で凶悪の三狐――電蔵主庵、雨響、八華前、を三毒狐と称し、天上界も警戒を強めていた。彼らは人間の臓物を好み、悲惨で悍ましい傷跡を残していく事例が多い。
「合点がいくね。人間の臓器が好きな連中は数え切れないけど、雨は狐族の能力だ。気象状態に拘らず、意のまま雨を降らすことは容易い」
口元に弧を描く焔が、タリアの背に擦り寄り囁いた。焔の博識な一面にタリアは感嘆する。お陰で正犯の目星が付いた。
タリアはススススと横に忍び歩き、か細い声で神官二人に伝える。
「ハオティエン、ウォンヌ、少女らを殺めた者は狐族の者で間違いない」
「狐族の属性は……、臓器……、成程、厄介ですね」
「狐族の誰かだとして、何故、一度に村人を殺さないんです?」
ウォンヌが疑問を呈した。ハオティエンが己の見解を述べる。黒軍帽の下の、眉間に刻んだ皺は深い。
「一気に殺して快楽を貪る目的じゃないからだ。胸糞悪いが、単純に新鮮さ重視。人間の臓器を食べたいヤツ、売買で扱いたいヤツ、要するに村人達は大切な餌だ」
「氷山の一角の、ね」
「…………ッ」
焔が一言添えた。ウォンヌが奥歯を噛み締める。残酷な厳しい真実だ。
ハオティエンとウォンヌは襟を正し顎を引いた。厳正且つ端正な姿勢になる。
「御下命あらばハオティエン――」
「――ウォンヌ、決起致します」
「ハオティエンは村の周囲を、私と焔は家屋周辺を、ウォンヌは村人の護衛を、捕縛が望ましいが征伐もやむを得ない。相手が上手なら退避しなさい。百罪百許、忌まわしい連鎖は天の導きで私達が断ち切る」
神に偶然はない。あるは必然だ。
一行がタリアの下した命令で分散――、は幸か不幸か叶わない。
「――私を御捜しかな」
紫の番傘を差す男が前触れなく現れたのだった。
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