第十一集:プーパの誕生
目覚めたケッキは鏡に映る自分を見て一驚した。
「……枝?」
頭部に二本、枝が生えている。十五センチに満たない長さだ。恐る恐る触ったが痛みはない。
黒かった瞳の色も変異していた。緑色だ。黒い長髪は短髪になっている。
服は真っ白な深衣を着ていた。靴は白いサテン生地で、葉っぱの刺繍が施されてある。柳緑村の民族衣装と異なった可愛い装いだ。
「……鹿の人いないな」
鏡の前で一通り回り、辺りを見渡した。ヒノキ材をふんだんに使用した小屋は、六畳が二部屋ある。扉や窓はなく玄関はひとつだ。家具はベッドに机や椅子と、最低限の物しか置かれていない。
「――おや、起きていたのか」
そこへ丁度、万季地が帰ってきた。ケッキが口を開く前に万季地が説明する。
「瀕死状態だったキミを、俺の血で創り変えた。人間の細胞は脆くてね、成功は稀だ。キミは素晴らしい逸材だよ。鹿と人間、四混種の誕生に俺も嬉しい」
ケッキは告げられた概略に驚きが隠せない。許容範囲を超えている。だが彼の「生きたいか」に応えたのは、紛れもないケッキ自身だ。唖然とするが万季地を恨んだりはしない。後悔も一切ない。
惨めに死なずに済んだ。生かしてくれた万季地にケッキは感謝する。
「あ……た、助けてくれてありがとうございますっ! お名前を伺いたいんですが!」
「万季地だよ。君は、んー……、プーパだ。新しい人生だ。新しい名前をあげよう」
「プーパ……ッ、ありがとうございます万季地様!!」
万季地にもらった名前にケッキは喜んだ。プーパの体は綺麗で昨日の傷跡はない。故に昨日の悪夢は自分のものではない。ケッキのものだ。プーパは無意識な防衛機制で、胸中でケッキを殺した。汚されていない四混種のプーパこそが自分だと自己暗示する。
「プーパ、散歩に行かないかい?」
「はい!! 万季地様!!」
プーパは万季地の誘いに二つ返事で外に出た。澄んだ空気は美味しい。肺に目一杯、酸素を吸い込んだ。
「はあ~、気持ちいいですね」
「こっちだよ」
「はい!」
プーパが雨緑樹林に誘う万季地の背中を追う。乾季の時期の樹木、チークや沙羅双樹、ラワンは葉をすっかり落としてしまっていた。地面は地表に現れる根っこが剥き出しだ。
木の根道を暫し縫い歩き、ふと万季地が歩を休める。プーパも必然と制止した。
「プーパ」
「はい万季地様」
「昨日の人間、四人を埋めた場所だよ」
「へ……、……っ」
万季地の唐突な発言にプーパは息を呑んだ。つい爪先立ちになってしまう。
「俺はね、プ-パ。森を敬愛している。森の再生活動を行っているんだよ。地上は五界に分かれ乱脈を極めている。俺は五界を束ね、五界の王となり、地上を別天地と謳われる楽園にしたいんだ」
万季地の夢は壮大だった。毎日を何気なく生きていたプーパは感銘を受ける。けれど前言との繋がりがわからない。
「敬愛されている大事な森に何故……、埋めたのですか?」
腐敗した血肉で大地が汚染されないか心配だ。生前の悪行を思うに、四人の男はきっと赤い血が流れていない。プーパの疑問に万季地は微笑し答える。雲間の一筋の光を浴び、緑色の虹彩が輝いていた。
「――何故? 与える栄養で木々は育つ。人間はいい肥料なんだ」
「肥料……」
「彼らは土に還り役立つんだ。豊かになるんだよ。すべてがね」
悪い人間は、死んで万季地の願う未来に貢献する。悪い人間がいない世界をプーパは望んだ。万季地が下界を治めてくれたら必ず叶う平穏の世にプーパは期待した。プーパも万季地の力になりたい。万季地の邪な野心が須臾に、プーパの螺旋状に形成した複雑で純粋な野望となる。
「万季地様!! 万季地様は仰って下さいました!! 『悪い男を退治してはどうだろうか? か弱い女の子を救う生き方だ』と!! 万季地様に助けられたこの命、万季地様を五界の王にするため、私も悪い男達を土に還し、尽力して参ります!!」
姦人を一掃したい。四混種のプーパが声高に宣言した。直後、暗緑色の深衣を纏う青銅面を被った半透明の人間達がプーパの周囲に集まった。彷魂だ。
「キャアッ!! ななな、なに!? 幽霊!?」
「アハハ、幽霊か、だよね。天上じゃ彷魂だよ。四混種の独特な匂いで寄ってきたんだ。キミの人間であって人間じゃあない香りは彷魂と似ている」
要は体臭が一緒で仲間と勘違いされている。プーパは愕然としたが、突如、閃いた。
「万季地様っ、彷魂をお借りしてもいいですか!? 軍隊を結成し、私が陣頭指揮を執ります! 万季地様の領域を私が下界に展開します!!」
我ながら良い案だ。彷魂が味方にいれば臆さずいられる。
「いい発想だね。彷魂は私怨が強い、果たして服すか。意思疎通は図れるかい?」
「……疎通、……彷魂! あっちに行って!」
試しにプーパが命令した。
「ガ……ヴア、ァ……ダ……」
彷魂があっち、の苔むした巌に移動する。互いの旨意の認識は共有可能だ。
「へえ……、プーパは凄いな」
万季地が褒めた。五芒星の双眸の奥がニタリ笑う悪計をプーパは知る由もない。
「ありがとうございます万季地様っ!!」
「プーパを助けた俺が助けられているよ。俺達は同志だ、よろしくねプーパ」
「同志……、はい万季地様!!」
崇高な万季地と明るい明日を目指す、意義ある生き方だ。燃える意欲にプーパは点頭した。万季地はプーパの頭を撫で、彷魂に視線をやる。
「彷魂に刀を授けよう。初陣はキミに有利な熟知したる土地がいいだろうね」
万季地は彷魂に刀剣を与えた。無知なプーパに示唆した。
その日を境に柳緑村で行方不明者が続出する。浪費癖がある男、喧嘩癖がある男、暴力癖がある男、賭博や博奕癖がある価値のない男達を、プーパは彷魂と陰の妖気で満ちた亥の刻に攫い、丑三つ時で殺し、埋葬した。プーパは自分が振り翳す正義を疑わない。掘った穴の数だけ平和が訪れると信じ、万季地に心酔する。
あの日の夜――黄色いストールを忘れたことが原因で、あの日の夜――四人の男に強姦されてしまったことが要因で、弱者を救う目的と悪漢を排除する方法が、三週間で三十六人の人間達の命を奪う結果となってしまった。
吉凶禍福の禍、悪因悪果は免れない。
――クリシュナの絶命はプーパが招いた因果応報だ。
ケッキは血塗れのクリシュナを抱き締める。
「死なないでッ、クリシュナッ!! ごめんなさい!! 私、ケッキなの!! ねえっ、クリシュナ!! 起きてよクリシュナ!!」
クリシュナは応答しない。大切な幼馴染が、初恋の人が、自分のせいで死歿してしまった。万季地が遠くで嘲笑っている。傀儡にされていたケッキは悔やみ、事態の深刻さに天を仰いだ。
「いや……いや……、あ、ぁ……神さ、ま……」
精神が崩壊しケッキの皮膚が枯れ始めた。クリシュナに凭れ掛かり、互いを支え合う体勢でケッキが枯死する。二人の亡骸がどさり、横倒れた。
万季地が溜息を吐き、肩を竦める。
「はあ。四混種の肉体はあらゆる渇望で保たれる。空虚は致命傷だ。従順な駒も所詮、半分は人間、不毛な結末だなまったく。まあ勉強はさせてもらったよプーパ」
万季地に情けや哀れみはない。タリアは蛾眉を顰めた。
「……ケッキを謀略にかけクリシュナを殺めた罪は償ってもらうよ、万季地」
「アハハッ、俺は無実だ上位神タリア。彼女に下知ひとつしていない。ソイツの絶息もプーパが俺に『助けて』と要求した、俺は従ったまでだ」
責任転嫁をする万季地は雄弁だ。タリアに弁解した口角を上げ、足下の太い蔓を蛇行させる。
「逃げられると思っているのかっ、緑鹿!!」
「仕留める!!」
ウォンヌが和弓に番えた矢を放ち、ハオティエンが電光一閃した。万季地は鋭利な矢尻を容易く躱し、ハオティエンの刺突を樹木の根で防いだ。
「クソッ」
「……くっ」
格上の万季地に二人は切歯扼腕する。けれど自然が生んだ火鬼は同等だ。獣に照準を定めた朱色の眼光は鋭い。
「――火槍一突」
「――グッ、ガハ……!!」
炎の槍が万季地を襲う。万季地は瞬時に木の壁で防御したが、火の槍は木の壁ごと万季地の心臓を貫いたのだった。
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