第七集:幼馴染の行方
――三週間前。
「――っし、終了っと」
冬銀河が上空に散らばり地上が暗くなった亥の刻、ひとり汗を拭うクリシュナは家畜小屋の掃除を終わらせた。粗方の片付けを済ませて帰路につく途中、灯りのない暗闇で女の子とすれ違う。
千草色のチカン・カリ刺繍が施された一枚布をぐるっと体に巻き付け、濃い紫味のストールを纏っていた。黒の長袖に黒の巻きスカート、裸足にエスニックサンダルを履いている。一瞬で誰か、クリシュナはわかった。
――幼馴染のケッキだ。
褐色の肌にはっきりした目鼻立ち、黒い瞳の白目は濁りがない。
真っ黒の長髪は後頭部でひとつに束ねてある。
クリシュナとケッキは互いに十八歳、幼少時は出稼ぎで親がいないケッキをクリシュナがよく面倒をみていた。影の形で見分けられる。数十年来の親友だ。
「おい!! ケッキ!! お前こんな時間にどこ行くんだよ!? しかもそんな薄着で!!」
柳緑村の乾季の時期は朝晩の温度差が激しい。日中は15℃、最低気温は5℃と震える寒さだ。ケッキの爪先の末端が案の定、紫色に変色している。
「牧場にストール忘れちゃって、橙色の!! 取ってくる!」
「はあ!? 明日でいいだろ!?」
他の地域と比べ柳緑村の治安はいいが、無頼漢がいないわけではない。男尊女卑思想が根深い国だ、先週は集団強姦事件が隣村で起こっていた。窃盗や恐喝もある、油断は禁物だ。
「だめよ!! 誰かに盗まれちゃう!! すっごくすーっごく、お気に入りのストールなの!!」
「あーしゃあねえ! じゃあ俺も一緒に行く!」
「叔父さんっ、アンタが遅いって怒鳴ってたわよ!! 大丈夫、すぐ戻るから!!」
クリシュナの叔父は相当の大酒飲みだ。自堕落な生活を送っており仕事はしていない。叔父は酒極って乱となる、だ。近所に迷惑がかからぬよう、クリシュナが見張り世話を焼いていた。
「あーくそっ!! すぐだぞ!! すぐ!!」
叔父は先週に一昨日と、酒に酔って隣人を殴り大怪我をさせている。今晩は避けたい。クリシュナは叔父を放っておけず、ストールを取りに行くケッキを止めなかった。きっと自分の杞憂に終わるだろうと高を括ってしまう。
「はーい!!」
手を振って走って行くケッキの背中が、クリシュナが最後に見た彼女の姿だった。
――日常は前触れなく崩れ去る。大切な人と、いつ、どうやって、どんな理由で、別れが訪れるのか神様は教えてはくれない。
「どこに行ったんだよケッキ!!」
翌日に牧場、織物小屋、ガンコウ川、ケッキが立ち寄りそうな場所を隈無く捜したがケッキはいなかった。ケッキが「取りに行く」と言っていた橙色のストールも牧場になく、ケッキと共に行方知れずだ。
神様が教えてくれていたら、あの日、あの夜、ケッキをひとりにしなかった。たくさんある選択肢の中で何故、自分が最悪な大凶を選んでしまったのか後悔の念が押し寄せる。
「アイツ、村を出たみたいよ! 出稼ぎかしら?」
「は~、助かるわ!」
「お金の無心ばっかりで、ろくでもない男だったわよね!」
不思議なことに、ケッキが居なくなって間もなく、柳緑村の厄介者で有名な男達が次々と消えていった。浪費癖がある男、喧嘩癖がある男、暴力癖がある男、賭博や博奕癖がある男、何かしらの問題を抱えた男達が暗暗のうちにいなくなる。自ら村を出る性格と思えないが、頭痛の種が取れて村の女達は喜んでいた。
皆自分達の生活が最優先、困者の村人を心配する者はいない。
けれど、ケッキはごく普通の優しい女の子だ。
病死した親を恨まず憎まず、逞しく生きている。
働き者で機転が利く、村人の女性達と仲も良かった。
師走の十四日はケッキの十九歳の誕生日だ。クリシュナがケッキに求婚する予定を立てた人生最大の催しが待っている。
ケッキは憶えていないかもしれないが幼い頃、暑季の麦畑でした「大きくなったら僕のお嫁さんになってね」の約束を果たしたい。
黄金色を背景に「うん」と頷いてくれた、恥ずかしがるケッキの笑顔は可愛かった。将来はケッキを幸せにする、将来はケッキと家族になる、それはクリシュナの数十年の願いであり支えであり生きる糧なのだ。
――絶対に諦めたくはない。
明くる日も明くる日も、クリシュナはケッキを捜した。
「なあ、おばちゃん! 今日は!? ケッキ見かけてない!?」
「さあねえ、今日も見てないねえ。ケッキちゃんがいなくて、こっちも大変なんだよ? 雑穀の選別、ケッキちゃん得意だったでしょ?」
「あ~……、俺があとで代わりにやるよ!」
「すまないねえ。ケッキちゃんの件、娘らに訊ねておくよ」
「ありがとう、おばちゃん!!」
ケッキは必ず帰ってくる。ケッキの大事な居場所をクリシュナは守り続けた。だが一向にケッキが帰る気配はしない。
「はあ……、まさか……、いやいや、やめろ俺!! クソッ……」
嫌な不安が脳裏を過る。でも信じたい。クリシュナは葛藤に苦しんだ。
一縷の望みで数日前、隣村に足を運んだものの、やはり空振りになった。
途方に暮れ、クリシュナは自分の無力さを痛感させられる。
「……警正に、いや無理だ」
クリシュナは独り言ち、頭を振った。
村人は事件に遭遇、或いは発生、犯罪目撃などを通報したい場合、捕縛、処罰、を行う機関の警正に連絡をする。しかし警正は賄賂の支払がない限り動いてはくれない。
金銭的余裕がないクリシュナは、協力要請さえできなかった。家の売却を考えるが一文無しになってはケッキの捜索に支障を来たし兼ねない。手詰まりに陥る。
「はあ……」
柳緑村を彷徨うクリシュナは覚束無い足取りだ。気が滅入り踵を返すか悩んだ矢先、独特の身形をする一行が視界に入った。
「……観光か?」
人数は四人だ。黒い服の男がふたり、紅い外套の男がひとり、そして桜色の長髪に水晶や桜が可憐なヘッドドレスを付けた眉目秀麗な男性が異彩を放っている。
「(……いや、女?)」
仕草が逐一、美しい。クリシュナはつい見惚れてしまう。刹那、黒い服の男達の会話が耳に届いた。
「なんだか―――平和だな」
「ああ。数週間に数十人の行方不明者、夜は青銅の面具を付けた――――だ。もっと――――しないか? 和やかが―――――だな。――――も奇妙だ、国柄もあるだろうが部外者の俺―――警戒していない」
風の音と被さって全部は拾えない。でも「行方不明者」の言葉が聞こえた。クリシュナの冷え切った心体に熱い血が巡る。
「(行方不明者、っていま……!)」
一筋の光が差し込んだ。村人は当てにならない。クリシュナは藁にも縋る思いで四人に駆け寄った。桜色の貴人と思しき人物に話しかける。
「――なあ! いまアンタ達、行方不明者って! 捜してくれるのか!? 俺の幼馴染ッ、捜してくれ!!」
「キミは? 柳緑村の子か?」
凛とした美声だ。神々しい貴人を眼前に、畏怖したクリシュナの喉仏が下がる。ケッキのために怖気付いてはいられない。
「ああ! 俺はクリシュナ!! アンタ達は!? ウチの国じゃ、ないな。鬼角……って鬼!?」
紅い外套の男の頭部に角が二本生えていた。本物の鬼だ。驚きで後退る。鬼はクリシュナの反応を意に介さず口を開いた。
「こっちの天地随一に尊い男が桜道士様、俺は桜道士の恋人、以下略」
「略すな!!」
黒い服、金髪の男が噛み付いている。黒髪の男が刀の柄を掴んでいて怖い。
「やめないか三人共! 彼ら二人は私の一番弟子だ。武術に長けた優秀な子達になる」
「タリア様……っ!!」
「くっ……、過分な評価、光栄に存じます!」
「(道士に鬼に弟子……)」
桜道士の訂正に黒い男ふたりが涙ぐんだ。騒がしい四人組に、クリシュナの本音が零れてしまう。
「へえ……、変な一行だなアンタ達……」
「アハハ……。それでクリシュナ、幼馴染を捜しているのか?」
「ああ。いなくなって二週間、いや三週間目になる……」
桜道士が頼みの綱だ。クリシュナは奥歯を噛み締め、説明したのだった。
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