第四集:初めての接吻
炎紅城の内城は、外観に劣らない中世の典型的な構造だ。
入り組んだ廊下、迷路の階段、数百と部屋がある。随所に陶器、家具、武器、甲冑が、飾られていた。
居室は、紅い漆喰壁に重厚な木彫り装飾が施された古い家具、煌びやかな装飾の陶器製の暖炉、妖しいシャンデリアがある。
三階西側は議公の間だ。昔は会議室で使用されていた。
二階は東側が応接室、南側は鬼歴の間で執務室だ。儼乎な書棚にびっしり書籍が並んでいる。
一階は火の間、バロック様式の丸天井が圧巻だ。伝統的な化粧漆喰と象眼細工で趣ある粧飾がされ、精巧に形作られた彫刻は躍動感があった。
玄関の東窓に、アルケー火山を描いた極彩色のステンドグラスが設置されてある。緻密なデザインと職人技は感慨深い。
拷問道具がある地下牢は案内されなかった。
浴室は円形型の浴槽で一面が純白、女像柱の際立つ洋風な内観だ。タリアは湯船を出て水滴を平織りの布で拭き、焔が用意した白無地の正絹の単衣に着替え、教えてもらった秘密の近道を通り寝室に入る。
「――焔?」
寝室は朱色で統一されていた。天蓋付ベッドが中央にある。金色の立体的な薔薇と鳳凰の天蓋飾りは上品だ。カーテンは紅いシルクで、典雅な壁、黒いシャンデリアが二つあった。
焔も黒無地の正絹の単衣に着替えている。すでにベッドで寛いでいた。焔の醸し出す艶めかしい空気にタリアは気後れする。
扉付近で動かないタリアを、焔が体の左側を下に、横向きの姿勢で呼んだ。
「湯冷めするよタリア、こっちにおいで」
「……あ、うん」
タリアは左頬を指先で掻き、焔がいるベッドに上がった。タリアは進行方向も相俟って、右側を下に焔と向かい合う形で横になる。ベッドは広いが距離は近い。
「温まれた?」
「ああ、ありがとう。丁度いい温度だった、お陰で体がぽかぽかだ」
気遣う焔にタリアは感謝した。火照ってる証拠に鼻の頂点が桃色だ。
「良かった」
焔がタリアの艶めいた髪を一筋掬い、自分の唇に寄せる。半分に下げた分厚い睫毛を上げ、両頬を紅梅色に染めるタリアを直視した。
以前タリアは桜舞殿で焔と就寝したが、今回は明らかに雰囲気が異なる。原因は焔の眼差しだ、恋慕の情に劣情が混ざっていた。タリアの人生で経験にない状況だ。
タリアは肩を縮こまらせ、正直に吐露する。
「……ほ、焔、緊張する」
「俺はもっと緊張してる」
焔がタリアの左手首を掴み、自分の心臓に宛がった。嘘偽りなくトクトク鳴る、脈打つ心臓は速い。
「……も、いい焔、……」
居た堪れない気持ちになる。面映いタリアは腕を引くが、焔が繋ぎ止めた。甘美な声音でタリアに切望する。
「ほんのちょっとでいい、タリアに触りたい」
「………っ」
焔の直球な発言にタリアは息を呑んだ。恋愛に鈍いタリアも、流石に「触りたい」の意味を理解した。だが、「ほんのちょっと」の範囲がわからない。
「触りたいタリア、ほんのちょっと。恋仲の特権だ」
「……じゃあ、ちょっとなら……」
恋仲の特権、ずるい単語だ。無垢なタリアは結局「ほんのちょっと」の段階を把握せず、許してしまった。
焔は許可を得てタリアの右頬に手を添える。前のめりに上半身を傾けた焔の行動を察するタリアが目を瞑った直後、頬に焔の唇が当たる感触がした。継いで目元、鼻先、とバードキスの嵐は治まらない。
刹那、焔がタリアの下唇を指頭で撫でる。
「実体の時にするって言ったの、憶えてる?」
「…………っ」
タリアはしっかり憶えていた。先日の話だ。タリアは焔と散歩途中に栗拾いし、栗の棘で怪我をした。そして焔が手当てと称しタリアの人差し指を自分の口内で消毒した際、流れでタリアの口端にキスをし、「こっちは、実体のときにする」と断言していたのだ。
小さく頷くタリアに焔は囁き、そっと口づけする。
「タリアが好き」
「……ん」
タリアは秋の香りが、焔は桜の匂いが、鼻腔を擽った。
互いの睫毛が掠める。タリアにとって、初めての接吻だ。
火鬼の孤魅恐純と上位神タリア――二人は、嬉しくて、切ない、色んな感情が湧いていた。数千年、数百年と歩んだ孤独の果てで、タリアは焔に、焔はタリアに出逢い、恋に落ち、この瞬間がある。
二人はいま、はっきりと確信した。心中で確言する。愛はここにしか存在しない。
「……タリア」
タリアの色香に誘われ、再度、焔が唇を交わらせた。優しく啄み、甘くて美味しい果実に陶酔する。自然と手がタリアの皮が薄い背中を滑っていた。
背骨を一つ一つなぞる焔の指使いでぞくりと戦いたタリアが、限界を迎え「ほんのちょっと」の終了を求める。
「だめ……だ、……終わって、焔……」
疼く体が怖い。タリアは手一杯だ。
「はあ……、わかった」
焔はタリアの嫌がることはしたくない。最後にタリアの潤んだ唇に吸い付き、胸中に閉じ込めた。タリアに欲情する獣じみた焔の眼光は鋭い。
タリアは持て余す熱を深呼吸で冷まし、焔の鎖骨辺りに顔を埋める。
「……眩暈がする。溶けるかと思った」
「俺もだタリア、一緒に溶けてみる?」
「……っ、揶揄わないでくれ」
余裕な焔はやり兼ねない。耳輪を赤くしたタリアに焔は包み隠さず告げる。
「揶揄っていない。タリアを抱きたい、一緒に溶けたい」
「――――ッ!?」
声を上げず驚くタリアに焔は続けた。
「俺は純粋なタリアと違う。不純で欲の塊、火鬼だよ。綺麗なタリアを穢したくない反面、ぐちゃぐちゃに犯して俺だけのものにしたいって思ってる。恐ろしくなった?」
焔は自分を卑下する。火山が生んだ火鬼と天上皇創りし上位神タリア、相違なる部分の根底的解決方はない。これは二人が成就すべき課題だ。
「……恐ろしくない、キミの告白に嫌悪感や不快感も一切ない。キミは私に誠実だ。大切にされている自覚はある」
「俺の抱きたい、に返事はくれないの?」
焔が最も知りたい、今後の参考にしたい、肝要な点だった。タリアはぎゅっと焔の単衣の衿を握る。照れた呟きはか細い。
「……今日は、だめだ。キミとの接吻だって、いや、接吻自体が今日が初めてなんだ。……慣れてからがいい」
唐突で濃密な展開に今日はお手上げだ。焦らず徐々に関係を築いていきたい意向を示すタリアに、焔は強引で配慮が欠けていた自分を幾何か反省し得心する。
「わかった、ありがとうタリア」
「ん……、明日は何処に行く?」
互いを尊重し対等に話し合い、納得した。話題を変えるタリアは、焔の心地良い心音で夢心地だ。
「鬼誕歴は三日、明日は二日目だ。まだ凛活街は祭りだよ」
「いいね、午前は凛活街にしよう。仏像店に行きたかったんだ。エルや姉達にお土産も買いたい。ああ、ハオティエンとウォンヌも」
五事官の長ウリや武官の長アレスも忘れてはならない。明日が待ち遠しくなったタリアと正反対に、焔はハオティエンとウォンヌの名前に怪訝な面持ちになる。
「義兄さんは兎も角、壱と弐も?」
「……壱と弐じゃない。ハオティエンとウォンヌだ」
焔と武官のハオティエンとウォンヌは何故か仲が悪い。焔同様にハオティエンとウォンヌも彼を毛嫌っていた。犬猿の仲だ。
「アイツらは壱と弐でいい。じゃあタワシは? 床掃除をさせよう、足腰を鍛える鍛錬にもなる。一石二鳥だ」
「……焔、二人を虐めないで」
「虐めていない、タリアの役に立って二人も本望だ。一石三鳥になる」
「……まったく、詭弁を弄するキミは弁才だ。……タワシは買わない。二人を悩ませしまう……」
勘のいい二人が焔に喧嘩を売る光景が脳裏に浮かんだ。焔の案を却下するタリアは、うとうと夢現で言葉が間延びしていた。眠気に抗えない。
「明日決めようタリア、ほら、おやすみ」
「……んん、おやすみ……」
鬼界の夜が更ける。焔の導きにタリアは意識を手放したのだった。
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