第二集:凛活街
人間界、鬼界、狐界、狼界、鹿界、の五界は人間界を囲う形で四界があった。鬼界は北東、狐界は南西、狼界は南東、鹿界は北西にある。
東西南北で分かれているが、気候と四季は下界の認識が当て嵌まらない。
鬼界は雨が少なく気温は平均24~30℃だ。
活動活発な火山や休火山が大小数多にあり、地上で最も大きいアルケー火山があった。噴火も度々ある、地震は毎日数百と数え切れない。
鬼界の街は東西南北栄えているが、中心の花柳街区域に隣接した凛活街は雑多な商店が盛り沢山で人気だ。
「――じゃあ、凛活街に行こう」
焔に鬼界の情報を貰ったタリアは地面に円形を描き、縁に添って天上界の文様や神聖文字、天名地鎮等を並べ構成する図、境界円で「我、百罪百許を授ずけられし神、地上に並ぶものなし」と唱え、移境扉を開いた。二人は目映い光の粒に包まれ、鬼界に到着する。
申の刻――、緑瓦の鮮やかな虬龍楼の正面に出た。扉のない開放的な門型の建築は牌楼だ。上に段差のある小屋根、奥行きはなく、独立して立っている。飾り彫りや彩色で華麗な装飾が施され、小屋根の下の扁額に積功成福と書かれてあった。赤い立派な建物は風情がいい。
左右に正対する鬼の像がある。高さ3.5メートル、横幅1.5メートル、奥行2.6メートル、使用陶土凡そ16トンと台座に詳細が刻まれてあった。
タリアは一点を指差し焔に問う。
「――焔、あれは何て読むんだ? 意味は?」
「ああ、あれは積功成福って読むんだよ。意味は功績を挙げれば幸せになれる、かな」
「へえ、素晴らしい意味だ」
焔の説明にタリアは感嘆した。タリアは地上に降りた際、大抵は下界を優先に行動している。鬼界は幾度か任務で訪れてはいたが、森や廃村の外部程度、しっかり区域に入り見物するのは初めてだ。
「いらっしゃーい! 角煮饅頭、熱々の出来立てだよー!」
「おじさん! 三つ頂戴!」
「あいよ!!」
飛び交う声は威勢が良い。意気盛んな凛活街は赤鬼、青鬼、黒鬼、往来する鬼人で賑わっていた。
「――あ」
きょろきょろ辺りを見渡すタリアが、虬龍楼の入口付近で何かを発見する。タリアは足早に店に行き、目に留まったある物を購入し、頭部に装着した。すぐさま追い付く焔が、振り向くタリアに息を呑んだ。
「私も今日一日は鬼だ」
天上皇が創りし最後の上位神、タリアの頭に白い鬼の角がふたつ生えている。髪飾りの一種の鬼角は無論、偽物だ。三美神のひとりカリスの一柱で美と優雅を司るタリアは現在、鬼界随一の優美な鬼となっていた。
花柳街の奢侈遊郭の遊女で位が高い鬼魁に負けていない。むしろ穢れた女鬼と比べられない、神聖な尊さがある。
タリアの突飛な発想は可愛い。天上界で許されない鬼の仮装だ。
「鬼に扮すれば目立たないだろう?」
天上界の神とタリアの正体が露呈した場合、神を嫌う鬼人達の暴動が起き兼ねない。焔や天上界に迷惑はかけたくないタリアの鬼角の入手理由に、焔は「可愛すぎる外して」の本音を押し殺し同調する。
「うん。タリアは凄いな、冴えているね。俺も本体は目立つ、小鬼になるよ」
焔は言うや否や、十四歳の少年の姿に変化した。
左右の衽を交差させる垂領の長袍は鮮明な紅八塩だ。裾回りは広がっていて丈長、底が浅い豚皮の黒靴を履いている。タリアとお揃いで纏う紅い外套を、自分の背丈に合わせ縮めていた。
「ありがとう。キミも冴えている。外套は脱ごうか」
「ま、暑いしね」
タリアに続いて焔も外套を脱いだ。それぞれの能力で収め、焔がタリアの右手を攫う。
「じゃあ行こう。タリア、絶対に離さないで」
「わかった。地上に絶対はないが努力はするよ」
努力は未来を約束しないが、約束は未来の道標だ。
タリアも「絶対」の意思表示で、焔の左手を握り返した。下界の名残でタリアの手先は冷たいが、焔は温かい。
「すまない焔、私の手は冷たいだろう?」
「俺が温かい。二人で丁度いい温度だ」
「……丁度いいか。ハハ、うん。ありがとう」
翼を十二枚授かる上位神タリアは、崇高が故に遠巻きにされ、数千年と天上界の目映い孤独の春泥に沈んでいた。焔と出会い、焔の疎意がない接し方に、タリアは救われている。
だが、それは焔も一緒だ。この世のすべてに意義を見出せず五百年、タリアと出会い、タリアの慈悲に包まれ、生きたい欲が湧いた。
孤独同士の悲劇と揶揄る神々や、二人でいる孤独こそ寂しいと嘲笑う鬼がいるかもしれない。けれど二人は、二人でいれたら、二人で孤独でも、満ち満ちる愛に限りはない。
肩を寄せた二人の歩調は軽やかだ。焔の先導で虬龍楼を潜る。
「見てタリア、タイミングがいい。今日は鬼誕歴だ」
「わあ! 綺麗だね!」
焔に促され、タリアは宙を見上げた。無数の提灯が所狭しと吊るされてある。色や形、柄は様々だ。
鬼誕歴は鬼が誕生した11月11日を祝い、3日間提灯を飾る風習があった。
幻想的な空間は圧巻の一言に尽きる。
「タリア、気になる店はある?」
「こうもいっぱいだと迷うな……」
さすが衆望を担う区画だ。品物が豊富な露店、空腹感を刺激する屋台が多数出店されていた。800軒以上はある。一日いても飽きないはずだ。
「――あ、焔! 手袋があるよ」
双眸を輝かせ、タリアが手袋や帽子、襟巻きや靴を並べる店に誘導した。何故かお守り人形や工芸品、楽器やお香、簪や食器類もある。不思議な品揃えで面白い。
「タリア、これはどう?」
焔は桜の刺繍があしらわれた白いムートンの手袋をタリアに薦めた。捩じれた羊の毛は弾力性はもちろん、吸湿性も優れていて蒸れ難い。
「私の好みだありがとう。じゃあ、焔は……これはどうかな」
タリアは焔に牛革素材でラビットの肌触りが良い裏地を組み合わせた、黒い手袋を選んだ。熟練した職人技術が演出する本革ならではの艶は美しい。
「いいね、気に入った。おじさんこれ二つ、ああ、これもお願い」
「はいよー! 毎度あり~!」
焔が手際よく会計を済ませた。ものの数秒の機敏な動作だ。
支払い損ね、タリアが口を窄める。
「せめて焔の分は私が贈りたかった」
「ハハ、ごめんごめん。これで機嫌直して」
焔は水晶や桜が可憐なホワイトとピンクゴールドのヘッドドレスを、タリアの鬼角の手前から両耳までの前髪を押さえるように付けた。自由自在に曲げられる仕様で、輪っかの半分だが、まるで花の冠だ。
タリアの桜色の髪が、より一層、映える。タリア自身も際立つ逸品だった。
「……あ、りがとう。毎日つける」
両頬を桃色に照れるタリアの攻撃力は絶大だ。
「箱に閉じ込めたいな」
焔の囁き声はか細い。周囲の雑音で聞こえなかったタリアは首を傾げる。
「――――え?」
「いや、可愛いなって」
焔は淀んだ本心を笑みで誤魔化した。有毒の要素がないタリアは疑わない。
「……大切するよ」
「うん。タリア、お腹は? 減ってない? あっちに鬼誕歴限定の角煮饅頭があるよ」
あっちの方角にタリアの目線が移る。角煮と青梗菜を、ふわふわの皮で挟んだ角煮饅頭が売られていた。
「――――!! 下界の角煮饅頭は美味しいんだ!! 鬼界の角煮饅頭も食べてみたい!!」
「ハハッ、じゃあ食べに行こう」
伝統食や旬を重んじるタリアは興奮気味だ。焔は一笑し、タリアと店を移動する。
二人で多種多様な店を渡り歩いて数刻、太陽と月が交代した。橙色の灯火が天に昇っていく、鬼の誕生を祝う孔明灯だ。
楽しい時間は須臾に終わる。鬼界が名残惜しい。
次の機会が待ちきれず、タリアは切ない声音で独り言ちる。
「……はあ、鬼界にもう一日いたいな」
「俺の家に来る?」
タリアの希望を叶えたい焔が、前のめりの体勢で提言した。両者の顔は近い。
「えっと、いいのか? 急にお邪魔して」
「タリアは大歓迎だ。家はこっちだよ」
焔はタリアの返事を肯定に受け取り、身軽に方向転換し、家に誘う。見目麗しい火鬼と上位神は星々の光を避け、闇夜に溶けて行ったのだった。
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