第三集:鬼の子供
「廃家じゃないよな、何もない」
「煤けてるし。自棄に戸締りも早い」
タリアに合流した武官二名、ハオティエンとウォンヌが真情を吐露した。
「(まあ確かに……)」
タリアも心中で同感する。地上を馬鹿にしたり貶したりしているわけではない。
タリアは幾度となく下界へ降り人間と関わってきたが、ここはどこか殺伐とした雰囲気があった。空気を刺す緊張感もある。
自然と調和した合掌造りの集落は小さい。合掌造りは茅葺で急勾配の大きな屋根が特徴だ。厳しい地形と冬の豪雪、梅雨の影響か、葺き替えや補修作業が疎かな茅葺屋根は部分的に剥がれていた。形容し難い異様な影を纏う村だ。
辺りを観察しながら田んぼに沿って砂利道を進むタリアは、森に入る手前でパッと足を止め、右手を斜め下に向け後方を歩く二人も制止させた。
「如何されました?」
「……、誰かいますね」
タリアに問うハオティエンにウォンヌが答える形となる。タリアは薄く艶がある唇に人差し指を添え、静かに付いてくるよう二人に指示をした。了解を示すハオティエンとウォンヌは軍刀の柄を握り、気配を極力押さえ、タリアと歩調を合わせる。
「(あれは……)」
タリアが目を凝らし「誰か」を確認した。鬼、狐、狼、鹿、四界の類でない。
――揺れ動く影の正体は人間だ。
「お前が犯人か!」
「逃がすな! 殺れ!!」
砂利道が途絶えた薄暗い森の入口付近で、村人が群がり騒いでいた。
単衣を着る男、腹巻に股引を付けその上に半纏を着る男、作務衣を着る男、甚平を着る男、それらが囲って一心不乱に袋叩きにする者は――鬼だ。
体を縮め無抵抗に蹴られている鬼はまだ幼い。
「――ッ、やめなさい!」
タリアは村人達を掻き分け、鬼の子供を庇った。村人達は突然現れたタリアに驚き、「何者だ!」と叫び間合いを取る。
「皆さん落ち着いて、私は通りすがりの――旅人だ」
「そっちの二人もお前の仲間か!?」
「ええっと二人は……、そう! 私の付き人です!」
素直に「天上界の神です」と名乗れず、タリアは慌てて取り繕った。他所の界域を訪ねているのだから、強ち外れてはいない。
「お前さんが庇っているソイツは鬼だ! ソイツが村人を殺したんだ!」
「一週間で子供二人が食われちまった!! 邪魔するんじゃねえ!! 殺させろ!!」
「八つ裂きにしてやる!!」
全員が興奮状態だ。各々が足元にある鎌や斧を鷲掴み、一斉に振り上げる。
だが、タリアに刃は届かない。
「動けば先に俺がお前の喉を突き刺す」
「僕は一回でお前達の心臓を射抜ける」
ハオティエンは中央に位置する男の喉仏に抜刀した刀の猪首切先を当てており、ウォンヌは自分の能力で出した和弓に四本の葦矢を番えていた。正に電光石火、村人達が恐怖に慄き逃走するのも無理はない。
「ァ、ウアア!!」
「たた、助けてくれえ!!」
「ヒィイッ!!」
絶望的な悲鳴を上げて村人達が逃げ去り、タリアは少々複雑な心境になった。
「相手は人間、やりすぎでは?」
「貴方に刃を、神であれば追放ですよ」
「貴方に万一があれば、護衛を任された僕達も追放されます」
天上界の掟を破る神や、天上皇を裏切った神、上位神に害を及ぼす神等々、罪状によって試練が課される。彼らが言う追放は大罪を犯した神が受ける罰だ。
「はあ……、まあ、ありがとう助かったよ」
「一帯を見回ります」
「そこにいて下さい」
タリアを置いて二人は森の奥の安全を確かめに行った。肩をぶつけ合い喧嘩する声が遠退いていく。
「――さて」
タリアは振り返り、膝を折り曲げ、ゆっくり腰を落とした。蹲る鬼の子供――、少年は人間の年月で14歳くらいだろうか。
頭部に生えた海老色の二本角、朱色の長い髪は後ろで束ねている。左右の衽を交差させる垂領の長袍は鮮やかな紅の八塩だ。裾回りが大きく広がっていて、丈長、底が浅い豚皮の黒靴を履いていた。
「傷の具合はどうかな。怖がらないで、私は君の味方だ」
「…………」
頬に触れるタリアの優しい手に促され、少年は顔を上げた。二重の大きな目を囲う睫毛と澄んだ瞳は朱色だ、鼻筋が通る鼻は高い。唇は薄く、陶器の如く白い肌、小顔ですっきりとした輪郭、要するにタリアに負けず劣らずの眉目秀麗な子鬼だ。
「擦り傷がある。手足も酷い。大丈夫、回復薬があるんだ」
「…………」
タリアは袖下の部分から出した小さい巾着袋の紐を解き、透明なタブレット型の玉を指先で慎重に挟むと、有無を言わさず少年に食べさせた。消耗し切っている少年はされるがまま、口内に入った物体を飲み込んだ。
徐々に体中の傷が塞がっていき、傷跡さえ残さず綺麗に治る。少年は萎んだ肺を膨らませ、息を吐いた。
「ハアァ……、人間に蹴られたの、生まれて初めて」
「人間は他界を、鬼を恐れる生き物だ。でも子供の君を蹴っていい理由にはならない、私から謝るよ」
「へえ、俺を疑わないの?」
直球に聞く少年は、微かに笑みを浮かべている。言外の意味を汲み取り、タリアは柔和な笑顔で答えた。
「君がもし一週間で人間の子供を二人食らっていたら、鬼力に溢れ、こんなに弱っていない。疑っていないよ」
タリアの眼差しに嘘は滲んでいない。少年は暫し押し黙り、地面に独り言ちる。
「……誰かに助けられたのだって、生まれて初めてだ」
「――ん?」
「……何でもない」
少年は首を左右に振った。そこへハオティエンとウォンヌが戻ってくる。傷の癒えた頗る元気な少年を視界に捉えた瞬間、現状を把握する二人の表情が般若と化した。
「二人共ご苦労様」
「ご苦労様じゃありません!! タリア様!! まさか滴下生を彼に!?」
「鬼に滴下生をあげたんですか!? タリア様!!」
矢継ぎ早の尋問だ。タリアは片頬をぽりぽり人差し指で掻き、「まあ」と認める。
「地上にいる限り、私達は皆、平等の立場だ。命が危ない者は、界や種族の差別なく助けたい」
「生命の樹から落ちる滴を固めた滴下生は、神々のための貴重な万能薬ですよ!」
「よりによって、鬼に使うなんて!!」
タリアの言動に二人は憤慨した。けれどタリアは物怖じしない。
「私は後悔しない選択をし、それを常に最善と信じている。君達の命が危うくなれば、私は躊躇わず滴下生を渡すよ」
滴下生を他の神に譲る者はいない。だけどタリアなら本当に迷わず、見返りも望まず、彼らに差し出すだろう。
「…………ッ」
「…………ッ」
二の句が継げない二人を気に留めず、タリアは立ち上がった。
「平気?」
「ありがとう。汚れたな」
少年もタリアが伸ばす手を借りて起き上がる。衣服に付く草や土を乱暴に掃う少年はタリアと比べ背丈は低く、恐らく160㎝前後だ。
「タリアは汚れてない?」
「ああ、うん。どこも汚れていない。まあ、汚れていても気にしないよ」
少年の呼び捨てに、案の定、二人が反応した。
「おい痴れ者!! 呼び捨てにするな!!」
「鬼が馴れ馴れしい!!」
「煩いし天上臭い二人だね、タリアは凄く良い香りがする」
「え、いや、うん、ありがとう。私も神だ……」
「タリア――は、三美神のひとりの名でしょ。知ってる、知ってて悔しいな、こんなに見目麗しい男神とは知らなかった」
少年の尻下がりの甘えた声に、ハオティエンとウォンヌが青筋を立てる。ハオティエンは刀を、ウォンヌは弓矢を構え、阿吽の呼吸で叫んだ。
「斬る!!!!」
「射る!!!!」
「こらこらやめなさい! 年上の君達が年下を虐めてはならない」
仲裁に入るタリアの袖に少年が縋った。
「コワーイ」
棒読みであった。二人を煽る天才だ。
「~~~~っ、斬らせて下さい!!」
「クソガキ!! 上位神タリア様に何たる無礼!!」
「落ち着きなさい二人共。彼は鬼だ、神じゃない。住まう界が異なる、天上界の掟に繋がらないだろう」
タリアは必死に説得を試みるものの、少年がタリアに寄り添い台無しにする。勝ち誇った顔で眉間に皺を寄せる二人を揶揄った。
「ああ、思い出した。アンタ達は許可制だっけ? まあ頑張って」
「――俺が殺す!!」
「――僕が串刺しにする!!」
堪忍袋の緒が切れる神官二人を、少年は挑発的な眼光で射抜いている。勇猛な子鬼だ。
「三人共いい加減になさい。君も――、君は、そう言えば聞いていなかった。名は何と言う?」
「――、……焔。焔でいい」
「焔、二人を困らせないで」
「わかった」
「いい子で助かるよ」
露骨にタリアにのみ従順な焔は大人しくなった。ハオティエンが焔を指差し、タリアに進言する。
「所見でしょうタリア様、人間の子供を食らった犯人の可能性が高いソイツは危険です。可及的速やかに五事官に報告し、天上界で裁きを与えるべきです」
「タリア様に取り入って、明らかに怪しすぎます。五事官に引き渡しましょう。いつ何時、貴方に牙を剥くか……。腹の中は真っ黒ですよソイツ、タリア様は危機感に欠けておられます」
「界事と無縁の私に取り入ったところで何の役に立つ、ウォンヌ。それにハオティエン、焔は村人達を殺していない誤解だ」
タリアも半信半疑なら二人の警告に耳を貸した。現段階で詳細は未確定だが真実は自ずと暴かれるだろう。タリアは思考を巡らし、継いで言った。
「天上皇の眠りで天上界はいま神官不足、このままでは五事官が派遣する神を待っている間に犠牲者が増えてしまう。私達で村人を襲った罪人を調べる他はない」
「ハア……」
「本気ですか……」
ハオティエンとウォンヌが予想外の成り行きに困惑し呆然とする。すでに宵は過ぎ、キラキラ煌く月華が、頷くタリアに降り注いでいた。
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