第六集:封印と一欠片の慈悲
天上界の中級三神、四番目に位階の高い神、神官の五人が降りて来た。
チェッコ式の黒軍帽を被り黒軍衣を着ている。彼らは地上の軍事に携わる官吏、武官だ。黒軍衣は袖口の折り返しと乗馬ズボンのサイドに黄色の縁が入っており、モール編みタイプの肩章は銀色で、上衣の下に刀帯を締めていた。脇裂から覗かせる軍刀の柄は黄色い。砂利を鳴らす靴は黒い乗馬ブーツだ。
五人全員が静かに抜刀した。ひとりの武官が問う。
「――孤魅恐純、犯した罪に懺悔をするか?」
両者の間で人間の心臓が累々と三百、燃えていた。孤魅恐純は人生で一度も、後悔する選択肢を選んだ試しがない。
「しない。して何になる。神官――」
孤魅恐純は紅く閃光する。一弾指の速さだ。
「――グフッ!! アアアアア!」
「ハッ」
左端の武官の心臓を右手で抉って齧り捨て、体を燃やし魂ごと消滅させた。
天上界の神々は階級で消滅の段階が異なり、一番下の下級三神は人間と大差なく出血多量で消滅する。中間の中級三神は心臓を潰すか切り離すか抉るかし、体を燃やせば消滅する。一番上の上級三神は謎だ、孤魅恐純も詳しくは解らない。
「――相手は火鬼!! 俺らの弱点を熟知している!! 油断するな来るぞ!!」
「クソッタレが!! 切り刻んでやる!!」
構えた武官達は少数精鋭だ。ひとりひとりが剣術に長けている。しかし相手は火山が生んだ火鬼、神の天敵と言われる所以は伊達ではない。
「かかれ!!!!」
武官の一斉攻撃だ。孤魅恐純は血で汚れた口元を拭う。
「神官は――弱い」
継いで独り言ち、それぞれの太刀筋を見切って躱した。武官達が振るう刀身に映る孤魅恐純の口角は上がっており、花が舞うように身を翻し、川が流れるように心臓を抉り、天を衝く「衝天万炎」の炎で辺り一面を焼き尽くした。
ふわっと渦状の火煙が消え、武官四人の灰が散る。
「天上臭いな……、チッ」
孤魅恐純は両手に持つ四つの心臓を、交互に一口ずつ頬張った。噛んで飲み込んで舌打ちをした挙句、吐き捨てる。刹那、孤魅恐純は体を急に動かせなくなった。原因不明の金縛りだ、能力で脱したいが何故か鬼力が削られ使えない。
明らかに攻撃されている。孤魅恐純は周辺を見渡した。即座に暗闇で浮遊する何かを発見する。長方形の白い紙切れだ。
「――――!?」
行先は自分の血濡れた漢服で、いつの間にか気配もなく、すでに貼り付いている一枚に驚く暇はない。一枚、一枚、と続けて五枚が張り付いた。そして夜空が煌々と輝き、雲が赤や緑と様々な色に彩られる。
見上げた孤魅恐純が目映さで長い睫毛を細めるなか、天空が語りかけた。
「――火鬼よ」
「……ハッ、紙切れは天上皇の神札か」
天地、宇宙、万物の創造主、天上皇だ。
一呼吸で森羅万象の歴史、未来を見透す天上皇は、この惨事の発端を知っている。
母親想いの赤鬼の兄弟、神に願った三百幸石、兄弟に愛を教えた母親、兄弟を殺めた六人の人間、複雑に絡んだ痛ましい災厄だ。
けれど天地平等に、罪は償わなくてはならない。
「――人間を三百と殺め、神官を五人を消滅させた。咎人も消滅が妥当な裁きだが、最恐で最良にないお前は自然が創りし難儀な存在だ。此度の一件、情状を酌量すべき点は大いにある。火鬼よ、お前に封印の罰を科す。期限は定めずにおこう」
「……ご勝手に」
天上皇の天罰に孤魅恐純は無抵抗を示した。
世の理を毛嫌い、世のすべてに意義を見出せず五百年、休息も悪くはない。
心配する者がいない人生は気楽だ。むしろ孤魅恐純の封印に喜ぶ者は大勢いる。
「……はあ」
血の雨を浴びる毎日に疲れた。百年、三百年、五百年、淡い夢に浸りたい。
神札の効果で遠ざかる意識が睡魔を呼んだ。
「(……温かいな)」
限りなく深い海底に沈んでいく癒えない心に、どこかしらか飛んできた色鮮やかな花びらが寄り添う。怒りの余燼が燻っているにも拘わらず、孤魅恐純の表情は至極柔らかくなった。
天上皇の御言葉が、孤魅恐純の鼓膜を震わせる。
「――眠れ火鬼、心穏やかに悔い改めよ。哀れなお前に一欠片の慈悲を与えよう」
「――――」
上手く聞き取れないまま、孤魅恐純の記憶はここで途絶えた。下界と鬼界の狭間にある正浄山、六角形に向かい合った天上皇の御言葉が刻まれる巨大な岩の中央に、孤魅恐純は鎖で首、両手、両足を繋がれ封印される。これが彼の人生の幕が、一旦、下りた瞬間だった。
* * * * *
五百年後、孤魅恐純はふと目が覚める。
「……ん」
睫毛を瞬かせ、瞼を起こした。夕陽が反映する朱色の瞳は、まるで万華鏡だ。満点の星空の如く煌いていた。
「……ん?」
頬を掻きたいが腕が伸ばせない。再度、試みる。伸ばせない。藻掻く度にガシャガシャ金属音がした。そこで礑と思い当たる。
「ふむ……」
孤魅恐純は両手、両足、首を鎖で繋がれていた。鎖は六角形の巨大な岩に繋がっている。宙吊りの状態だ。
「何年、何百年経った……?」
感覚的に脳は一日、体は四、五百年である。寝起きがてら、後先考えずに鬼力の残量を確認をした。肺に酸素を取り込み、ぐっと力んだ直後、一気に鬼力が放出され火柱が上がる。古びた神札や諸々の札は消散、錆びた鎖が砕けた。
「――ハ」
必然的に重力で真っ逆さまに落ちる。鬼力が空の孤魅恐純は現状、人間もしくは人間以下の軟弱な体だ。死にはしないが痛手は免れない。
身を縮め衝撃に備える。
「くっ……」
骨は折れていない。木々が緩衝材の役目を担い無傷であった。
「ちょっと小さくなるか……」
実体は小回りが利かない、消費量も激しい。鬼力が底を突いたいま、策を講じて孤魅恐純は外見を幼くする。最善の形体だ。
特段、正浄山に留まる理由はない。お腹が空く孤魅恐純は、人間が通った形跡のない、草がお生い茂る獣道を歩いた。季節は秋だ。赤、黄、緑、茶、の落ち葉が積もっている。
「――人里? はあ……」
時刻は酉の刻、孤魅恐純は薄暗い森に出た。
人間の手入れが行き届いた場所だ。孤魅恐純は出口を間違え方向転換する、その寸前で、息を殺し潜んでいた複数の人間達に背中を押され倒される。
「――――ッ!?」
「お前が犯人か!」
「逃がすな! 殺れ!!」
突然、馬頭され蹴られた。孤魅恐純は体を最小限に蹲る。まさか火鬼の自分が人間に袋叩きにされるなんて、滑稽だ。
思い出す赤鬼の兄弟、色褪せた世界に希望はない。助けは来ない。
桜色の髪が美しい男神が現れるまで、五百年、そう思っていた。
「――ッ、やめなさい!」
孤魅恐純を庇う男神が、共にいた武官と人間を追い払う。武官達が安全の確認に場を去り、優しい手が孤魅恐純の片頬に触れた。穢れのない真っ白な指先だ。
「傷の具合はどうかな。怖がらないで、私は君の味方だ」
「…………」
透き通る声に目頭が熱くなる。顔を上げれば容姿端麗な男神が孤魅恐純を見下ろしていた。桜色の睫毛、瞳、真珠の肌、薄い唇、儚さを纏った男神は神々しい。
彼は助けてくれた。回復薬を飲ませてくれた。人間の行いを謝ってくれた。人間の言動に惑わされず、偽りのない笑顔で信じてくれた。
――生まれて初めてだった。
「そう言えば聞いていなかった。名は何と言う?」
孤魅恐純は鬼界の通り名で、自身の名はない。上位神タリアの質問に躊躇い、幼い頃、名に憧れ、こっそり自分で付けた名前を告げる。
「――、……焔。焔でいい」
「焔、二人を困らせないで」
「わかった」
平静を装うが呼ばれた名前は気恥ずかしく擽ったい。
「いい子で助かるよ」
破顔したタリアは可憐だ。孤魅恐純は裏表のないタリアに惹かれ、彼の傍で生き、彼のために生き、彼とある未来を望んだのだった。
最後まで読んで頂きありがとうございました(*´Д`)
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