第一集:孤魅恐純
鬼族が住む鬼界の中枢は花柳街だ。料理とお酒と芸妓遊びが楽しめる区画になっている。景観の統一感を図った赤い外観の建物が多く、灯火に染まる夜の遊郭は、三味線の調べも流れて色気漂う妖しい雰囲気があった。
花街の風情溢れる川沿いの離れた場所に、骨董店や雑貨屋、茶屋が軒を並べており、鬼を祀った神社もあって、そちらは老若男女問わず人気がある。
「ねえ~え! 遊んでいかない?」
「……………」
花柳街の裏手の路地に火鬼、孤魅恐純はいた。二十歳前後の、眉目秀麗な顔立ちだ。海老色の二本角、朱色の束ねられていない長い髪と虹彩が暗闇で際立っていた。
服は黒い漢服を着ている。上着は襟があり下衣はスカート状の裳で、上衣下裳の形だ。帯は朱色で靴は黒い長靴を履いている。
「ねえ~、お兄さ~ん!」
胴抜きの着物を纏う遊女が孤魅恐純の右腕に絡み付いてくるが彼は一切、気に留めていない。女鬼は諦めずふっくらと肥えた胸を押し付け、艶めかしい唇を寄せる。が、色香で惑わす相貌が一瞬で歪んだ。
「――アガッ、ァ……」
孤魅恐純の左手が彼女の胸部を突き破り、心臓を掴んでいた。女鬼は全身を痙攣させ、ガチガチ歯音を鳴らし、白目になっている。花の飾り彫りがされた黒い台のぽっこり下駄が覚束無い。
そこに待ち合わせの人物が現れる。
「……こんばんは孤魅恐純」
とても暗い口調で挨拶した黒鬼、彼の名は漆黒だ。頭部に黒い角が二本生えており、瞳は白く眼球が黒い。上下長い睫毛にマッシュヘアの髪型、舌と歯も黒色で、爪や肌も薄黒く、目鼻立ちは整っている。191㎝の長身に不釣り合いな可愛い容貌だ。
服装は正喪服を着ている。彼の普段着は特徴的で、黒シャツに黒ネクタイ、黒のサスペンダーに黒のソックス、靴は内羽根でストレートチップデザイン、全身黒づくめであった。
漆黒が来るや否や孤魅恐純は女鬼の心臓を潰し、抜け殻の体を乱暴に払い捨てる。
「――遅い」
ドサリ女鬼の亡骸が地面を彩った。
「……心臓、いらなかったんですか。臓器……とか」
二人は付き合いが長い。漆黒は孤魅恐純の好物を把握している。
「いらないね。遊んでる女鬼の心臓は臭いんだよ」
「はあ……、食べていいって」
孤魅恐純は女鬼を拒否した。つまり死んだ女鬼を所有する者はおらずゴミ同然、漆黒は独り言ち、ペットのコウモリに食事として与える。
群れを成すコウモリが女鬼の肉を千切り、臓腑を撒き散らすため、辺り一帯が生臭い。
ぐちゃぐちゃ卑猥な咀嚼音が響く中、孤魅恐純は本題に入った。
「――で、人間の心臓は?」
「……こちらに、三つ」
漆黒が左手の平に能力で黒い霧を出現させる。スッと黒い箱が取り出された。蓋を開け、三つの心臓を確認させる。動脈の管に浮き出た血管、光沢のある心臓は新鮮だ。
「じゃあ、前にあげた骨の一件はチャラで。使えた?」
「……うん、役立ってるよ……、はいどうぞ」
漆黒の趣味は人間の骨の収集だ。人間の骨は頑丈で綺麗、らしい。
使い道は、人間の骨で構築された屋敷の材料にしている。人間の皮膚も時折、集めていて、よく孤魅恐純に残飯を貰っていた。
つい先日も譲ってもらい、心臓は謂わば「お礼の品」だ。
「――そう言えばさっき鬼共が騒いでたな。天上界の連中が鹿界の下っ端を片付けたって」
箱を受け取る焔が、ふと思い出す情報を伝えた。壁に凭れ掛り、漆黒を直視する。
「……所詮、下っ端同士でしょ」
「ハハ、まあね」
「……二凶鹿や、俺達……三災鬼は、下っ端じゃ無理」
天上界が下界に遣わす下っ端、中級三神や下級三神は弱い。鹿界の二凶鹿や鬼界の三災鬼の足元にも及ばない。
孤魅恐純と漆黒は天上界が三災鬼と名付けた、鬼界で最恐の鬼、三鬼の内のふたりだ。漆黒は招死笑滅と鬼界の通り名があり、ここにいない荊の乱螫惨非、彼も又、一癖ある雑鬼で、天上界は鬼界を統べる三鬼を一纏めに警戒していた。
「北の情勢は?」
「……さあ。まあまあ、普通ですかね」
孤魅恐純の質問に漆黒は曖昧に答える。
北は漆黒が治める領地だ。東は孤魅恐純、西は乱螫惨非、南は不在で誰が統領になるか戦いの真っただ中だった。
強い鬼が上に立つ、鬼族の風習だ。
孤魅恐純は溜息交じりに指摘する。
「禁界道、北が一番あるだろ」
禁界道は、鬼界、狐界、狼界、鹿界、を繋ぐ道だ。同盟を結ばない四界は、途轍もなく仲が悪い。互いに他種族を攫って臓器売買はお手の物だ。領域拡大を目論んで忍び込んだり鉢合わせした多種族を嬲り殺したりとやりたい放題、全員が利己主義で秩序がなく常に争いが絶えない。
「……あー、大丈夫。コウモリに監視させてる。そっちは……、如何ですか?」
「まあ、こっちも別に大した問題はない。鬼札で人間を釣ってる鬼が増えた程度かな」
迷誘の鬼札は人間を鬼界へと迷わせ誘わせる。森の木に貼らなければ効果はない。迷誘の狐札、狼札、鹿札も存在する。迷い込んだ人間は下界と異界の狭間に取り残され生きては帰れない。天上界は不吉を招く札、邪札と呼んでいた。
「……俺も欲しいです」
「鬼札が? 欲しいの? 漆黒は人間の化け方が上手い。下界に行って好きな骨の形状した人間捕まえてきたらいいじゃん」
化ける能力に長けた種族だ。鬼力によるが漆黒は申し分ない。
「……改築が、あって……。手際よく人間の骨、理想、集めたい……です。お願いします」
両袖を頻りに握って懇願した漆黒の頬が真っ黒になる。
「わかった。改築ね」
「……うん、改築」
漆黒は改築と称して人間を殺す快楽に浸っていた。趣味は延長線上にあるだけだ。
「いまは手元にない。あとで犬に運ばせる」
「……火の犬、了解です」
焔の快い返事に、にっこり笑う漆黒の歯は黒く禍々しい。
「じゃあ、またな」
「……はい」
孤魅恐純は漆黒と別れた。孤魅恐純は客引きの鬼を一睨みで退け、張り見世で若い見習い女郎が三味線で清掻を始める妓楼を横に通り過ぎ、川沿いに添って進んだ。
「……アッ、もぅ!!」
「……もっと、腰上げろ!」
男女の縺れ合う喘ぎ声に孤魅恐純は鼻で笑う。
「ハッ、一夜の淫楽に何の意味がある」
体を重ねても空虚な心は埋まらない。
この世に存在するすべてのものに意義はない。
火山から生まれた渾沌、忌み嫌われる火鬼の孤魅恐純は、不確かな愛を信じなかった。金、権力、自己顕示欲、承認欲求で火鬼に擦り寄る鬼は数多にいる。狐と狸の化かし合いに殺し合い、血に汚れていない鬼はいない。愛も友情も所詮、醜悪な悪意の塊で、都合の良い道楽だ。
「――ん?」
刹那、街外れの森奥で影が動いた。生い茂る森は手入れがされていない。
孤魅恐純は興味本位で古い反り橋を渡り、近付いてみる。
「何してるんだ?」
「うわ!?」
「……っ!!」
唐突に話しかけた孤魅恐純に、石積みしている鬼の子供が二人、一斉に振り向いた。孤魅恐純は能力の鬼火で周囲を照らす。
「鬼火だ!! すげえ!! アンタ火鬼!? 鬼火は火鬼の証だ!!」
「――っ、にいちゃん……!!」
「まあね、そっちは? 兄ちゃんと弟?」
二人は赤鬼だ。角が一本ずつあった。
「俺は罔極、十歳! こっちは弟の之恩、五歳だ!」
罔極は顔の骨格が小さく輪郭が整っている。目は大きく瞳は黒で眼球が赤い。髪型はナチュラルマッシュで色は赤だ。
之恩は鼻筋が通っていて輪郭は綺麗な卵型、二重瞼で左目は水晶体が灰白色に濁っていた。右目は兄同様に黒い瞳で眼球が赤い。髪型はざく切りのショートだ。二人共子供用の、お揃いの反物を着ている。
白無地の浴衣で両袖は舟底袖、兵児帯を胴に回して巻き終わりを挟んでいた。足元は草履で、顔や手足は泥だらけだ。擦り傷や切り傷も多数あった。
孤魅恐純はみすぼらしい小鬼の兄弟を叱る。
「子供は帰って寝ろ」
「これで! これで今日は最後にする!!」
罔極は右手に握る石を積んである石の上に置いた。形状は四角形だ。
「流行ってるのか? 似た感じのどっかにあったな……」
「火鬼の兄ちゃん知らないの!? 三百幸積だよ!!」
「三百幸石?」
孤魅恐純は初めて聞く単語に首を捻る。この二人と出会い、孤魅恐純の運命の輪は愛しい花を求め廻り始めていたのだった。
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