第二十五話:菊結び
「タリア、あっちは?」
「エデンの園がある」
「そっちは?」
「アルテミスの森がある」
鬼界、鬼族の三災鬼、火鬼の孤魅恐純と上位神タリアが、天上界内城を歩いている。桜色の髪を靡かせるタリアは美貌に儚さがあり、赤銅色の騎士服の裾をはためかせる孤魅恐純は眉目秀麗で魅惑的だ。対極の二人が並ぶ姿は絵画の如く美しい。
遠目で二人を窺う神々は、タリアが能力で色彩豊かな花々を出す光景にうっとりとしていた。花びらが風に乗って辺り全体が華やかになる。
「――おお!」
「――タリア様のお恵みだ!」
普段は粛然とする内城も、今日は珍しく騒がしかった。
タリアと焔、二人と一定の間隔を保ち、取り巻く男神達もいる。焔の殺気立った牽制で神々はタリアに目礼も許されない。
タリアは目的地が目視しうる距離になり、焔の左手を攫う。
「――あそこだ」
美に溢れたタリアが眩しい笑顔で、朱を纏う焔を誘った。タリアの歩調に合わせ付いて行く焔は、見目麗しい上級三神の女神の好意的な視線は度外視だ。
タリアが示した場所には、途中で途切れた階段がある。ぽつんと用途不明な階段をタリアが先に上り、焔も一段一段、後に続いた。
最後の一段目に差し掛かり、タリアが純白の十二枚の翼を広げる。堕神に射抜かれた箇所に傷跡はない。天上皇が上位神に授けし栄光は、一枚一枚真珠の煌きで、正に圧巻の一言だ。
一歩先に道はない。タリアが短く訊ねる。
「――こわい?」
「タリアとなら地上に墜ちても構わない」
「ハハ、火鬼は度胸がある」
真言か虚言か正解は恐らく前者だ。タリアはゆっくり翼を羽ばたかせ、焔の左手を引き、善悪のない澄み渡る空を案内した。
幻想的な橙色の孔明灯が昇っている。温かく切ない、無数の小さな熱気球だ。
「地上の祈りだよ、天上皇に届けられる」
「祈りって届くんだ」
「もちろん、届く。ああ、ここだよ焔。足元に気を付けて」
宙に浮く薄い円形の土台にタリアと焔は辿り着いた。床は大理石で、円の縁に添って天上皇の御言葉が描かれており、中央に天上皇の左目の彫刻が施されてある。
二人は真ん中に移動した。上空に向けタリアが拱手し謁見を賜る。焔はしない。
「天上皇、参りました。上位神タリアです」
「――タリア」
突如、神々しい光の粒が舞った。星々に近い青藍の虚空に神秘的な白いベールがかかる。こちらを覗き込む大きな影、輪郭しかわからない漠然とした面輪の正体、それは天地、宇宙、万物を創造した天上皇だ。
「此度は私事で睡眠を妨碍し誠に申し訳ありません。断罪に処すべき行い、真摯に受け止めます」
神々は誠実であらねばならない。タリアの改まった真剣な物言いに、天上皇は緊張を解す返しをする。
「――お前の泣き声は数世紀ぶりだった。泣き虫だった頃のお前を思い出す」
「……父上、やめてください。私は泣き虫じゃなかったでしょう」
タリアは頬を赤らめて否定し唇を尖らせた。可愛い抵抗に焔も自然と笑んだ。
「――私は森羅万象の歴史、未来を見透せる。罪過の有無は明らか、お前に罪はない。起床の邪魔は私自ら創った上位神に限り免罪だ、案ずるな」
天上皇の特別な計らいにタリアは首を垂れる。
「寛大な処分、ありがとうございます」
禁固刑や烙印を免れた。タリアは安堵しつつ、次の本題に切り込んだ。
「天上皇が睡眠なされている間に火鬼の封印が解け――」
「――ああ、わかっている」
すべて既知する天上皇はタリアの懇願を遮り、自分を見上げた焔を見下げる。焔は両腕を後ろに組んでいた。堂々たる態度は一切の敬いがない。
タリアは焔の前に立ち、再び、拱手する。諦めず、言葉を紡いだ。
「――天上皇。彼は五百年封印され、情状酌量の余地があります。私の監視下に置きたく、何卒、封印の御再考を願えませんでしょうか。孤魅恐純は鬼族、理非曲直を正すことは難しいでしょうが、私は彼を諭し導きたく思います」
「火鬼よ、タリアに対しお前の主張はないか」
天上皇が焔に問う。焔はタリアの腰に右腕を回し手前に引いた。ドンッとタリアの背中が焔の胸元に激突するが、本人は気にしていない。
タリアが驚くなか、焔は自分のただ一つの願いを口にする。
「――タリアの傍にいたい」
「――……」
天上皇は暫し黙り込んだ。焦るタリアが条件を付け足した。
「彼が万が一、五百年前同様の惨劇を繰り返した場合、私の翼を切り落とし地上に追放して下さい」
十二枚の翼を捨てる、これは上位神にしかできない最大級の償いだ。無謀な賭けと神々は蔑むだろう、しかしタリアは焔の真心を信じて疑わない。
そんな愚かで気高い神を愛してやまない焔が、天上皇ではなくタリアに誓言する。
「無闇に人間や神は殺さない。俺はタリアの足枷にならないよ、だからタリアが翼を切り落とす日は永久にやってこない。アンタじゃなくタリアに誓うよ」
「ゴホンゴホンッ! 焔、天上皇だ……」
咳払いするタリアが小声で叱った。けれど焔は呼称を改めない。
「タリア以外は石や草と同じだよ、アンタで充分だ」
焔は意地悪に口端を吊り上げ、天上皇を朱色の鋭い眼差しで射抜いた。タリアは天上皇にたじたじと謝罪する。溜息は深かった。
「あー……はあぁ、申し訳ございません」
焔が敵か味方かはっきりしない。万策尽き絶望的な状況かと思いきや、天上皇がタリアの申し出を容認する。
「――いいだろう。タリアの懇請は初めてだ。諒とする、封印は見送ろう。火鬼はお前に一任する、タリア」
「父上……」
「――火鬼に愛を、情けを、罪を学ばせなさい。上位神タリアに課す新しい役目だ。何よりか弱き人間に危害を加えず、下界の安寧を乱さず、お前の監視のもとで火鬼が従順におれば天上界の子等もひとつ荷が下りよう」
「謹んで拝命致します」
拱手するタリアは胸を撫で下ろした。天上皇の御言葉は絶対だ。もし封印が妥当と判断され決定したら、タリアでさえ覆せない。危機一髪だった。
刹那、焔が爆弾を投下する。
「愛はすでに学んでいる。俺はタリアを天地で一番、愛してるし、何れは俺に嫁いでもらう。紅い花嫁衣裳がいい」
淡々と将来の夢を語った焔に悪気はない。素直は美徳だ。
だが時と場合による。タリアは天上皇の目線が痛かった。
「――ほう」
「…………」
無言を貫くタリアに、天上皇は予想に反して好意的に解釈する。
「――他を愛す者は他に愛される者になる。偽りのない信仰はタリアの糧となる。三百年、タリアに誠意を尽してみよ。そのあと前途を祝福しよう」
「父上……」
タリアは改めて感銘を受けた。天上皇は五界の全種族、大罪人、善人、どんな愛も例外なく讃する。天上皇が注ぐ愛は無償で、且つ無限大だ。
「三百年、余裕だ。三百年の間、タリアが俺に嫁ぐ神である前約の証がほしい。他の神に掠め取られたくない」
「――証か」
焔が無礼に強請った。天上皇は「証」を二人の左耳にぶら下げる。
「……耳飾り?」
焔の呟きにタリアも自身の左耳を触った。朱と桜色が織り交ざる菊結び、ロングタッセルの形だ。
「――私の神力で三百年、外れない」
「いいね、気に入った」
焔は天上皇に軽口で馴れ馴れしい。タリアは「まったく」と呆れるものの、表情に咲いた欣幸は隠せていなかった。
「父上、有難く頂戴致します」
「――ああ、二人共下がっていい。タリアは下界に居座らず、適度に兄姉に顔をみせてあげなさい」
「はい父上、失礼します」
タリアは拱手し、焔を連れ、内城に降りる。戻ってきた二人の左耳に注目しない神々はいない。
お揃いの菊結びは天上皇公認の印だ。内城は然り、噂が飛んだ外城も騒然としたのだった。
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