第二十四話:義兄さん
暁光が差す時刻、光線の柱が放射状に天上界を照らす。薄明光線だ。
「ん……んぅ……」
起床が苦手なタリアは隣の温もりに縋った。心音が心地いい。
秋の匂いがする。とても好きな香りだ。
もっともっとと擦り寄れば、頭を撫でられた。ふわふわする脳内にタリアが再び眠りかけた瞬間、突然スパーンと襖障子が開き、上位神エルが現れる。
「――タリア!!」
「んー……」
タリアは覚醒しない。艶がある長い睫毛、薄紅梅の鼻先と唇、すらりとした手足、寝惚けるタリアを焔が腕枕し、甘やかしていた。
「――――な!?」
天官軍の総帥エルがビシリ固まる。あらゆる敵を薙ぎ払い屈服させてきたエルの、初めての石化だ。
肌襦袢と裾除けが一体になったワンピーススタイル、前合わせタイプの白い肌襦袢と黒い肌襦袢をお揃いで着るタリアと焔は、密着して横になっていた。素肌同士が絡み合う四本の足が艶めかしい。
純粋無垢な自分の大切な末弟が、濫りがわしい火鬼の毒牙にかかっている。
涙目のエルは遥か遠い昔のタリアを思い出した。
「――エルお兄ちゃーん!」
「――ねっ、エルお兄ちゃん!」
「――やだやだ、エルお兄ちゃんといるの!」
天上皇が創った最後の最高傑作、タリアは豊かさと開花を司る男神だ。幼い頃は長男のエルに夢中だった。兄弟の絆は現在も尚、数千年経てど、変わらない。
花を慕い、花に恋われ、花に満ちる末弟、彼を手折る者は排除する。長男としてエルに課された使命だ。
「チッ、煩いな」
舌打ちした焔の眼差しは朱色で禍々しい。タリアと好対照を成している。
「俺に舌打ちした男はお前が初めてだ、孤魅恐純!!」
怒号が桜舞殿を振動させた。神々は崇高たる上位神エルを崇め敬うが、焔は鬱陶しさを隠さず侮蔑している。
「静かにしてくれない?」
「……んん、エル? 夢?」
「タリア、おはよう」
一変して瞼を震わすタリアに爽やかな挨拶をした。類まれなる才能だ。
「おは、よう……」
タリアはぼやける視界がはっきりし、時が止まる。至近距離で半眼にこちらを窺う焔がいた。神々にない妖艶な色気を駄々漏れさせている、いっそ清々しい。
「(……え、と……)」
タリアは働かない頭脳をふる回転させた。筒状の籠枕がない。いつの間にか焔の片腕に代わっている。
「すまない焔……、まさか一晩中ずっとこの体勢だった? 寝れなかっただろう? 体は? 痛くない?」
まだまだタリアは色恋に疎い。自分のせいで休めなかったであろう焔の体の心配をした。警戒心がなく危機感は皆無だ。
「いや、ぐっすりだ。五百年で一番幸せに寝れたよ。タリアがくれた滴下生で体も平気、痛くない」
焔の体は完全に回復している。自分で心臓を抉り出した傷跡もなかった。
自然が生んだ渾沌の火鬼の治癒力は並外れて高い。一日二日経てば失った臓器も勝手に形成される。
焔は昨晩タリアに説明したが、万が一もある、と滴下生を半ば強制的に飲まされていた。鬼界で最恐の三災鬼、火鬼の身を案じる神は天地でタリアしかいない。
「それは良かった。滴下生の件は内密にね、ハオティエンとウォンヌと君が喧嘩になってしまう」
「わかった」
けれど、二人の内緒話は筒抜けだ。ぎちぎち握った拳を鳴らすエルが吠える。
「滴下生をくれてやったのかタリア!!」
「エル……」
先程の声はやはりエルだった。夢ではない。エルが目の前にいる。ガバリ上半身を起こしたタリアは、御帳台を駆け下り、白軍衣を着るエルを抱き締めた。
「エル……!! エルッ、私やみんなを助けてくれてありがとう!」
「…………っ!」
タリアの振る舞いに憤慨していたエルが狼狽する。
「兄さんありがとう、面倒をかけて申し訳ない……」
弱々しく謝ったタリアの心中を察するエルは、両肺に吸い込んだ太息を吐き、抱き締め返した。
「はあ……。俺は兄だ、末弟の危機を面倒と思わない」
「……ありがとう兄さん、焔は私が巻き込んで傷付けてしまった。滴下生は一種の謝罪だ、許してほしい」
エルは第三の目でタリアの記憶を辿り、粗方の詳細は把握済みだ。確かに此度、文龍の独善に陥った一件で、焔に非はない。
「今日は目を瞑ろう」
「ありがとう」
「ありがとう義兄さん」
タリアに続き焔がにっこり謝礼を述べた。御帳台で胡坐を組み、傲然たる態度だ。
「誰が義兄さんだ火鬼!! タリアお前っ、コイツに何もされていないだろうな!? そもそも何故、コイツが桜舞殿にいる!! 外城でお前達二人が『仲睦まじい』って噂になっていたぞ!!」
エルは喜怒哀楽が忙しい。矢継ぎ早に問われ、タリアが焔に振り向き釈明する。
「大丈夫、焔は私に酷いことはしない。内城入りの許可は天上皇がしてくれているし、私の桜舞殿が、焔も悠々自適に過ごせると思って連れて来たんだ。火鬼の彼は契約書に該当しないだろう? 噂は……、よくわからない。仲は良い、気が合うんだ」
「俺はタリアが好きで、タリアも俺が好き、恋仲で仲が良い」
タリアの語尾を拾い、仲の良さを強調する焔の、最後の情報にエルが食い付いた。
「お前はまあ一目瞭然だが……、タリアと恋仲だと?」
エルが焔を白眼視し、焔がタリアを一瞥し、エルの視線がタリアに移る。タリアは丸めた指先を下唇に添え、言い淀んだ。火鬼に恋をした罪悪感はない。単に認めて初恋を長男に知られるのが恥ずかしいだけだ。
「タリア」
促すエルにタリアは観念した。耳尖を赤く告げる。
「恋仲、なのか……。慕ってはいる、事実だ」
「……俺の、可愛い……タリア、が……」
か細い声音が本音を物語っていた。エルは信じたくない現実に目頭を押さえる。相手が誰であっても、神は愛する心を否定してはならない。
エルは数世紀、タリアに秋波を送る男神を蹴散らしてきた。しかしタリア本人が恋を自覚しては、追い払えない。意図せず相手は五百年前、天上皇が封印した火鬼だ。
「勘違い、じゃないか……?」
一縷の望みはある。苦渋の面持ちで問うエルに焔が答えた。
「勘違いじゃない。諦めて義兄さん」
煽る焔は度胸がある。カッと第三の目を開けたエルの蟀谷に怒筋が浮かんだ。
「お前に!! 義兄さんと!! 呼ばれる筋合いはない!! 俺の可愛いタリアを誑かす魔物が!!」
「ねえ義兄さん、下界にタリアの神像を建てたんだ。見に来る?」
「――タリアの!? 行こう!!」
一転して三つの目を輝かせ上機嫌になるエルは、焔の思う壺に嵌った。焔は「今度ゆっくり遊びに来なよ」などと誘っている。天官軍の総帥エルの扱いが上手い。
焔がタリアに目配せした。タリアは頷き話題を変える。
「エル、私達は着替えてくるよ。掃除する予定なんだ」
「ん? ああ――ってタリア、お前にしては随分と片付いているな」
普段は物に溢れて足の踏み場がない。関心するエルにタリアは苦笑した。
「私の湯浴みの間に焔が、ね」
「タリアが怪我したら困る。義兄さんも掃除する? 歓迎するよ」
焔の義兄さん呼びが定着する。無礼極まりないがエルは根負けした。
「はあ。義兄さん呼びはやめろと命令したいがお前は火鬼、天上界の序列や掟に従う義務はない。私は任務がある。タリア、父に拝謁するんだろう?」
「もちろんそのつもりだよ、天上皇の睡眠妨害をした罰がこわいけどね」
禁固刑は免れたい。烙印も免れたい。不安を吐露したタリアに焔が言明する。
「罰は俺も一緒に受ける」
「それは心強いね」
エルにとって、孤独を脱したタリアが微笑む姿は感慨深い。
「じゃあ、俺は任務に」
「エル、ありがとう。いってらっしゃい」
末弟の幸せは応援する、長男のつらい定めだ。タリアに右手を上げ、エルは白軍衣の裾を翻し去っていったのだった。
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