第十九集:愛憎
「――火鬼を滅せよ!!」
雄たけびを上げた文龍の威令で戦いの火蓋が切られる。堕神達が一斉に襲い掛かってきた。
元は神の堕神、階位で力の差はあるが堕神に堕ちた神は欲に忠実で強敵だ。黒い眼球や爪、歯は異様で血に飢えた異界の化物と大差はない。
ハオティエンが帯刀した一尺八寸の中脇差をタリアに投げる。
「タリア様! 不躾で申し訳ございません、こちらの刀を!!」
「ああっ、ありがとう!」
神力が使用不可ないま、タリアは丸腰だ。タリアは有難く受け取り抜刀した。間近に迫る堕神に切先を向け、自らを鼓舞する。
「我、百罪百許を授ずけられし神、地上に並ぶものなし」
「守地天無栄――誠尽す武人なれ」
「――守善一射、誠尽す射手なれ」
ハオティエン、ウォンヌとタリアに続き、己の大義を唱え先駆した。武官は神力に頼らない実戦的な訓練も熟している。且つ、二人は日々の鍛錬で基礎を怠らない。
「――ハァッ!」
ハオティエンは堕神が劈く片刃の刀剣を躱し、左切り上げした。吹き出す黒い血を、ゴーグルを装着したウォンヌが切り裂き、次の堕神の喉を刺突する。黒髪と金髪がゆったり靡き、芋づる式に出現する堕神と交戦した。
「フッ……、神兵の悪足掻きは見物だ」
文龍が二人の太刀筋を嗤笑する。バサバサ上下に動く、邪心で塗りつぶされた黒い四つの翼は禍々しい。
「火鬼は私が受任した任務、君に譲りはしないよ文龍」
タリアが焔の正面に立ち、文龍と相対した。が、不服を眉間の皺で表す焔がタリアを自分の後ろに下がらせる。
「俺が相手だ堕神」
「駄目だ焔!! 下がってくれ!!」
「……いい子にしてて」
自分の袖を引くタリアの蟀谷付近に、焔はそっと口付けた。タリアは桜色の長い睫毛を最大に持ち上げる。蟀谷に残った感覚は確かで、兄姉以外にされる接吻は初めてだった。
「――私がお前を葬る!!」
一弾指、文龍がロングソードを抜剣し非常に鋭利な鋒で焔を狙う。
「ハッ、威勢はいい」
タリアを抱えてさらり身を翻す焔は鼻で笑い、タリアを下すと鬼灯丸で反撃した。無論、刀身は炎だ。
「何故、能力が使える!?」
「俺は鬼じゃない。火鬼だ。通常の鬼縛札八枚で火鬼の鬼力を全部、封じられると思う馬鹿は……ああ、いたな」
神縛札は五枚で神力を無効する。鬼族は鬼縛札が八枚、しかし火鬼は例がない。
「……私は万全を期す性分、八枚試す価値はあった」
文龍の想定外と思いきや、冷笑した焔が突如、両膝を地面に突いた。消散する刀身の炎、タリアは焔の服を見て瞬時に理解した。
「――焔!!」
複数の紙切れが貼りついている。天上皇の御言葉が書かれた神下札だ。
神下札は御言葉自体に効力がある。天上皇の神札同様、どんな領域内も関係ない。
焔は全部は封じられていなかった鬼力の半分を、たったいま完全に失った。周囲にいる堕神の仕業だ。堕神は念には念を入れ、神下札を括り付けた黒い鎖で火鬼を捕縛する。
「――多少は効くか」
文龍は堕神の能力で黒く滲んだ上鎌十文字槍を頭上に解放した。文龍が天官軍として天上界を守ってきた正義の槍だ。金に輝く本来の煌きは面影もない。
「(あれは――)」
天上皇の御言葉が穂の鎬に彫られている。正邪を兼ね備えた槍は焔には不利だ。直撃すれば消滅はしなくても回復に数百年はかかる。もし封印する目的なら、文龍にとって絶好の機会に相違ない。
「――焔っ!」
「…………ッ」
駆け出すタリア、数百年ぶりに会えた美しい存在、焔を心配するその表情に、文龍は奥歯を噛んだ。
「私は貴方を―――」
放たれた上鎌十文字槍が一直線に落ちる。
「――――ッ!!」
それは焔ではなく、タリアの胸部を貫いた。
「許さない……」
文龍の見下ろす先でタリアが仰け反り吐血する。槍を引き抜き手元に戻す文龍、タリアの体は流れるがまま倒れた。草に埋もれる刀、鮮やかだった撫子色の深衣が赤黒く染まる。
一連が淡い夢の如く過ぎ、焔が叫んだ。
「タ、――リア……!! タリア!!」
上位神タリアの神聖な体に邪を纏う槍は歯が立つ。ハオティエンとウォンヌはタリアの状況に気づいているが、堕神の相手で手が離せない。
焔は振り絞る体力で地を這った。堕神が神下札を飛ばし焔の騎士服に重ねて貼る。けれど焔は止まらず、タリアの傍に辿り着いた。
空洞の胸元が上鎌十文字槍の大きさと威力を物語っている。
「タリア!! タリア!!」
「…………」
焔の懸命な呼びかけにタリアが虚ろな瞳で応えた。視界がぼやける中、タリアが焔の後方で文龍が振り翳す片手が見えた。
寄り添う二人の光景が憎い文龍が再び、嫉妬に塗れた槍を落下させる。
「――煩い……、煩い……!!」
「――――ッ!!」
タリアは咄嗟に焔に覆い被さった。刹那、タリアの背中を刃が穿通する。焔の騎士服にポタポタ、タリアの真新しい血が滴った。
五百年生きて、初めて味わう恐怖に焔は震える。夥しい血で溢れたタリアの腹部が焔の思考を奪った。大量の血がごぼり口から吐き出され、頬を伝う涙は赤い。
「タリ、ア……、タ、リ……何で……」
「ハア……、ハア……、私は……、何度だって、君を助け、る……」
途切れ途切れに答え、タリアは痙攣する唇で微笑した。焔の脳裏に、タリアと出逢った当時の情景が浮かんだ。
『――傷の具合はどうかな。怖がらないで、私は君の味方だ』
眉目秀麗で桜色が似合う神々しい男神、頬に触れたタリアの優しい手を、焔は忘れようがない。
文龍がタリアに、太い低音で怒鳴る。次第に黒さを増してきた眼球は斑模様だ。
「上位神タリア!! 何故ソイツを庇う!? 私は数百年、貴方を想い、貴方を慕い、貴方が欲しくて!! あらゆる苦境に堪え、功績を挙げ!! 天上皇が目覚めた折、此度の生還で手柄と引き換えに貴方を所望する手筈だった……!! 私を裏切り火鬼の傍を選んだ貴方は万死に値する!!」
「はあ!? 裏切る!? 堕落した神は自分勝手で意味不明なんだよ!!」
ウォンヌが駆け付け、焔の鎖を断ち切った。焔の神下札塗れの上着を剥ぎ取る一歩手前で、数人の堕神が阻止する。
「享楽の邪魔はさせないよ!!」
「邪魔だ邪魔だ天の駄犬!!」
「――どっちが邪魔だクソッ!」
ウォンヌは堕神の攻撃に押され遠ざかった。文龍は、間、髪を容れず顎をしゃくって堕神に指示する。目配せし合う堕神達は、タリア達に人間の怨で形成した百本の堕弓を放った。
避け切れる数ではない。焔が立ち上がりかけた直後、バサリと軽音が鳴り、一面が純白一色になる。焔の眼に散らばった白い羽、上位神タリアの十二枚の翼だ。
「……ッ!! ……ッ!!」
降り注ぐ堕弓が、ドス、ドス、ドス、と十二枚の翼に容赦なく突き刺さる。黒光りする鏃を、純白な翼が盾となり防いだ。堕弓は焔に一本も当たっていない、掠りもしていない。
「タリア……ッ!! も、いい!!」
鮮血が迸り白が赤になった翼、何度も、何度も、自分を命懸けで助けるタリアに焔は涙ぐんだ。
上位神は簡単に消滅しない。だけど痛みは天地平等にある。タリアの体はすでに死んだも同然だ。死を超えた惨い仕打ちを受けて尚、タリアの揺るがない「助ける」信念に焔の涙腺が崩壊した。
「――上位神タリア、私の愛しい男神。私のモノにならない貴方は、誰かのモノになってはいけない。心臓を抉り、翼を捥ぎ取り、肉体をバラバラにし、燃やして、完膚無きまでに、消滅させます」
文龍が進言した後者の意味は、上位神の魂を消滅させる方法だ。ハオティエンとウォンヌが喫驚する。
「お前……ッ!!」
「異常神め……ッ!!」
「――誰の弟を消滅させるだと?」
場にいない、第三者の声が響いた。絶体絶命の窮地に上空が輝き円形に雲を退ける。中央で十二枚の翼を羽ばたかせ、地上を眼下に、ひとりの男神がいた。上級三神、正義を司る上位神エルだ。
「俺の可愛い末弟を虐めた罪人は誰だ」
金のアーミングソードを肩に乗せ、裁きに訪れたエルは、額にある第三の目を開き、刺々しく訊ねたのだった。
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