第一集:三美神のひとりタリア
「ウチはいま手一杯なんだ! そっちで片付けられないのか!?」
「ウチは元々、神次官が少ないんです! まだ目を通していない下界の案件だってあるんですよ!」
「武官も手薄だ、頼らないでくれよ」
天上界は慌ただしかった。
天上皇が前触れもなく数年に数回訪れる深い眠りに入ったのだ。
天上皇とは天地、宇宙、万物の創造主であり、支配者だ。
――神の階級は三段階に分かれている。その中でも上位神に属する神は直接、天上皇と接触が許される存在だ。
上位神は最も位階の高い神で、純白の翼が十二枚、天上皇に一番近しい神と言える。天上皇の次に汚れなく清らかな神に、上位神外の神々は直接の接触と会話はできない。
中位神は二番目に位階の高い神で、純白の翼が四枚、エデンの園の番人の役割を担っている。天上界内の目的地まで天上皇を乗せて運ぶ役割もある。
下位神は三番目に位階の高い神で、翼は二枚、複数の眼があり、天上皇を下界に運ぶ役割を持っている。
これら上記を上級三神と呼び――、
神官は四番目に位階が高い神、神次官は五番目、神後官は六番目だ。
これら上記を中級三神と呼び――、
大神は七番目に位階が高い神、近神は下から二番目、一介神は神の中で最も位階が低い神で、これらを下級三神――彼らは下界にいることが多く神々の御使いとも呼ばれていた。
天上界にいる神々が世話しなく行き交っている。そんな彼らを見回しながら、ひとりの男神がひょっこり現れた。
「静かな天上界がお祭り騒ぎだ。楽しそうだね」
上位神の中でも最上層に入る彼の名は、タリアだ。豊かさと開花を司る神の一方で、カリスの一柱、繁栄と花盛りを担っている。継いで三姉弟の三美神でもあり、美と優雅を象徴する神だ。
カリスは魅力的で愛嬌があり、慎み深く、優雅で美しい女神達を指すが、タリアはれっきとした男神だ。何故カリスの一柱に――、至って簡単な理由にすぎない。
簡潔に言えば、女神に負けず劣らず見目麗しいからだ。
姉二人と並べば三姉妹と勘違いされる程、人間の住む下界では三姉妹として肖像画で描かれていた。残念ながら本人もカリスの一柱としての自覚は薄い上に、特段として下界に広まる異なった噂も気に留めていないため、彼の描かれる姿は多種多様であった。
タリアは174㎝の身長で撫子色の深衣を着用している。衽の先を腰に巻き付けて着るワンピース型だ。衣と裳が繋がり体を深く覆う衣装で、上半身は比較的ぴったりとしており、下半身の裳は緩やかになっている。ローズゴールド縁のスリットは開けず、長い衿を三角形のように背中に回し、ローズゴールドの柔らかい色合いをした絹の帯で締めている。丈は踵に届くほどある衽の深い衣服だ。
袖口に金糸で縫われた桜の刺繍は派手すぎず、繊細且つ上品に散らばっている。靴は白い革靴のブーツで長い裾を踏んで躓かぬよう、前部が跳ね上がっている形だ。
十二枚の翼は見えない。翼は出し入れ自由、部分的に透明化も可能で、優れた羨ましい贈り物だ。自慢の翼を惜しげもなく広げ、天上界を闊歩する上級三神は少なくない。しかしタリアの場合は、「翼は必要に応じて使うんだ、だって私は二本足で歩けるからね」と透明化し畳んでいた。飛ぶ際は無論、彼の翼を拝める。
「――あれ? どうしたの?」
鈴のような軽やかな声だけが響いた。一切の雑音がなくなり停止した場に、タリアはぱっちりとした二重瞼で毛先がくるんと長い桜色の睫毛を上下に動かした。
世界を映す瞳は睫毛同様に淡い桜色で、鼻は細く高い。控えめな唇にシャープな顎、真珠の如く輝く滑らかな肌、細い首筋にすらりと伸びた手足、女性らしい腰の細さ、黄金比率に当て嵌まる十八歳前後の若い顔立ちは天上界随一と謳われるだけあり、前髪も含めて腰まで長い桜色の髪が、一本一本艶で煌き、首を傾げる仕草ではらはら肩から滑り落ちていた。
「…………」
誰も動かない。と思いきや、一人の男神がスッと前に出る。五事官の長で四番目に位階の高い神、界事を司る神官ウリだ。
上級三神の子供が多い中級三神の神官は、天上皇と上位三神の意向に従事、天上界と地上の事項に従事、上級三神から受けたお告げを中級三神に伝える役目を担う。
その上で彼が率いる五事官は鬼界、狐界、狼界、鹿界、下界すべての界の顕在的な事件解決や、潜在的な問題を表面化して対処し、天上界の転任、任務能力に関する事柄、昇給昇格の役割も担う。
「やあウリ、久しぶり」
「……、……」
自分の身分に無頓着なタリアに溜息を吐き、ウリは178㎝ある身長の背筋を正し拱手した。
ウリは前髪を眉の上で切り揃え、後ろは首の辺りで揃えている。金髪のおかっぱ頭だ。瞳、睫毛、共に金色で、くっきりとした二重瞼は彫が深い。
あどけなさが残る顔立ちに似合わず、目元には任務疲れが漂う濃い隈があった。特徴的なのが両耳だ。横五センチ、縦ニ十センチの神札のピアスがぶら下がっている。
服装は亜麻色の長袍だ。両サイドにスリットが入っており、ロング丈でゆったりとした袖口、襟は白襟との二重襟で袖は折り返しカフス白袖になっている。ビンテージな立ち襟で三つ葉のチャイナボタンは金色だ。褌衣は白、花柄が刺繍された布製の靴はつま先に丸みがある。
長と異なり彼の下で任務を全うする五事官は皆、黒の長袍に褌衣は白い。
純真無垢な笑顔のタリアに、ウリは身振り手振りで無言のジェスチャーをした。
「……、……」
「ああ、まったく、はいはい。いいよ、許可しよう」
タリアは力なく笑い、ウリに会話の許可を与えた。途端にウリは愚痴り始める。
「タリア殿、貴方は六百歳前後の僕より先に創造された神で天上界の掟に詳しいはず。貴方くらいですよ、へらへら神官に直接喋りかける上位神は」
「ハハ、ごめんごめん」
「でじゃぶのような軽い謝罪をありがとうございます……。で――何故ここ、外城におられるので?」
外城は中級三神が居住する御殿や働く宮殿がある区域だ。神官が鍛錬する武心殿や五事官が働く五法殿、文歴官が務める千才殿、重要な会議や報告を行う重伝殿、医療に携わる医研官がいる万医生殿などがある。
タリアは内城組だった。内城は天上皇の居住、上位神の御殿と宮殿がある。上位神以外の神が無許可に入ると処罰が下る、所謂、神域だ。
ただでさえタリアは目立つというのに、用件なく外城を彷徨かれては神官も気が散って仕方がない。
タリアは促すウリのジト目から逃れるように、斜め上を見上げた。人差し指でぽりぽり頬を掻き、おずおずと返答した。
「あ~、火鬼の件を耳にして」
五百年前、天上皇が封印した鬼だ。火山から生まれる鬼を火鬼と呼び、鬼の中でも神に近い鬼神で天上界の天敵と言うべき存在にあたる。
天上皇の眠りと重なる同日に、まさかこんな一番悪いタイミングで、その火鬼を封印している「六枚の神札の効力が弱まっている」との報告が上がってきていた。
言わずもがな、誰かが現状を確かめに地上へ降りなければならない。数日、数週間待てば天上皇は目覚めるが、万が一を考慮しなければならない。
天上皇より授かりし神札はこういった時のため然るべき方法で厳重に保管してある。後は誰が天上皇の代理に名乗りを上げるかだった。責任が重い任務だ、避けたがるのは致し方がない。
――ひとりを除いては。
「上位神や神官でさえ傍観を決め込んでいる件ですね。僕も都合が付かず悩んでいたんです。タリア殿が下界に降りて下さるのですか?」
「うん。丁度、暇だからね」
「暇……」
タリアの素直な返しにウリは「そんな理由で」の語尾を飲み込んだ。
「手が空いている神がいくべきだ。私じゃ不服かな、下界には慣れっこなんだけど」
そう言って眉尻を下げ、タリアは不安げな表情をした。ウリは焦って咳払いをし諾なう。
「ゴホンゴホン……ッ、いえ、早急に対策を講じなければと思っていたところなので有難い申し出に感謝致します。承りました、手続きは僕にお任せ下さい」
「なら良かった。じゃあ、今から神札持って降りるね」
「武官の者を護衛に付けます」
武官は武器携帯を定められた官職で軍事に携わる官吏だ。神が地上へ降り立つ際、補佐官として役目を果たす役目もある。
「大丈夫大丈夫、私と降りたがる神はいない」
「誤解ですタリア殿、貴方と降りたがる神が多過ぎて人数を絞るのに少々時間と手間がかかっているだけなのです。数人選ぶのに毎回じゃんけんでは勝敗がつかず、挙句に討論が繰り広げられ、終いには神力を――って」
懸命に説明していたにも拘わらず、目の前にいたタリアの姿がない。周囲の雑音も戻っている。
「……はあ、急ぎますか」
独り言を零したウリは目頭を押さえ、武官がいる精極殿へ足早に向かったのだった。
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