第十八集:誰を謀る
「僕が移境扉を開きます」
ウォンヌが拾った木の棒で地面に円形を描き、縁に添って天上界の文様や神聖文字を並べ構成する図は、境界円だ。界道と別名もあり、鬼界、狐界、狼界、鹿界、下界、すべての五界をいとも容易く移動できる。
「お前上手いな」
ハオティエンがウォンヌを褒めた。狂いのない境界円は芸術的だ。
「お前が下手くそなんだよ、ハオティエン」
ウォンヌは棒を捨てる。黒いラム革の手袋をした両手を叩き、タリアを呼んだ。彼の役に立ちたい一心で、ウォンヌはあらゆる面で勉学を怠らない。
「タリア様、境界円が完成しました」
「ありがとう、ウォンヌ。さあ皆、中へ」
タリアに促され、ハオティエン、ウォンヌ、焔が境界円に入った。神官二人は怪訝な顔をしている。
「マジで付いて来るのかよ、孤魅恐純」
「タリア様、何故コイツも? 留守番をさせては?」
愚痴を零すウォンヌにハオティエンが同調した。腑に落ちず提案してくるハオティエンに、タリアは余裕に満ちた焔を直視する。朱色の瞳に反映した、顎に手を添え思考するタリアは神々しい。
「……何故、か。文龍の命令で君達が赴く場所は遠い。私が君達の監督兼補佐で同行するなら、天上皇眠りし今、私が見張る彼も一緒だ。信頼はしているが火鬼をひとり村に残してはいけないだろう?」
「まあ……」
「はあ……」
尤もな返答に二人は完敗だ。ぐうの音も出ない。勝者の焔は口端を上げ、二人を見下げる。
「楽しみだ」
「遠足じゃないんだぞ!!」
十字型二重曲線の青筋を蟀谷に刻んだハオティエンが一喝した。挑発する側と挑発に乗る側、ウォンヌを含め三人は所謂、犬猿之仲だ。
「やめないか二人共、出発するよ」
タリアに宥められ、ハオティエンと焔が諍いを中断する。
「…………クソ」
「…………」
二人はタリアに逆らえない。これも又、三人の共通点のひとつだ。平然とするウォンヌが「もっとやれ」と煽った内心は誰も知る由もない。
「――我、百罪百許を授ずけられし神、地上に並ぶものなし」
タリアが静まる円の中心で唱えた。四人は目映い光の粒に包まれ、一瞬にして目的地に到着する。辺りは若干、薄暗い。
「タリアはこっち」
焔がタリアの腕を引き自分の後方に押し込んだ。周囲を警戒する焔の真剣な横顔に、タリアは密かに両頬を赤く染めた。
「文龍様の話じゃ、忌狼が人間を襲ってる」
「わかってる。油断するなよ」
ハオティエンとウォンヌは刀の柄を握り、周辺に神経を研ぎ澄ます。ここは狼界と下界の堺、一見は普通の開けた高原だが、狼界と下界を繋ぐ謂わば中間地点だ。
森の奥に幾つも自然な道が延びているが騙されてはいけない。人間が生きて帰れる正解の道は一本、もし間違えば外れの道だ。狼族に捕まり生きては帰れない。
文龍の報告書によると、多数の忌狼がこの境い目一帯を餌場に留まっているらしい。餌は無論、人間だ。
地上に降りる武官は他の事案で手一杯、神兵のハオティエンとウォンヌに任務が回ってきた。だが天官軍は武官の領域、地上に詳しくない。実際に武官の長アレスでさえ、承知していない実例だ。書類に挟まれた一枚の紙をハオティエンは隠したが、タリアが盗み見たところ、アレスの字で「討伐及び捕縛、実情調査」と書かれていた。
どんな理由であれ、ハオティエンとウォンヌは中級三神の神官で、上級三神の中位神の命令は絶対だ。タリアは上級三神の上位神で断れる立場にいるが、上位神エルの捺印や、単にハオティエンとウォンヌが気掛かりで承諾したに過ぎない。
「――何かいるぞ!!」
ハオティエンが注視した先にいる一匹の灰色の狼は、体高が90㎝以上はあった。長い毛に覆われた一本の尻尾、三角耳で鼻先は厚みがあって長く、目を囲む縁は黒い。白い虹彩の真ん中に黄色い瞳孔、首の括れはなく重量感がある太い体だ。
「――忌狼だ!!」
ウォンヌが能力で出した和弓を引分け、会する。
忌狼は狼界に住まう狼族の一種だ。人型にない低俗な狼で、意思疎通は不可能、見境なしに人間や他族を殺し、内臓や血肉を食べた後、骨を齧る。
「ガルゥルルル……!」
忌狼が黒い牙を剥き出しに疾走した。ウォンヌが放つ矢が地面を走り、上に歪曲して忌狼の心臓を射抜く。ドサリ倒れたものの、次々と忌狼が薄暗い森から現れた。
「――面白い」
焔が独り言ち、火の犬を十二匹、鬼力で出現させる。忌狼に劣らない大型犬だ。
「殺せ」
焔の一言で駆け出す火の犬は圧倒的な強さで忌狼を焼き尽くした。焼死する忌狼達、唖然と立ち尽くすハオティエンとウォンヌは、ハッと意識が復活する。
ウォンヌが焔に怒号を浴びせた。
「お前!! 孤魅恐純!! 僕達が遂行すべき任務を!!」
「タリアに怪我をさせたくない」
「はあ!? タリア様に媚びるな!! 僕は耳がいい!! 『面白い』って聞こえたぞ!!」
「俺も聞こえた!! これじゃ俺達の立つ瀬がない!!」
ハオティエンも怒り心頭に発する。三人の口争が再発した。タリアは蚊帳の外だ。
「好きにやってくれ。火の犬か、可愛い子達だな」
タリアが火の犬と戯れようと近付いた矢先、火の犬が風に乗って雲散する。十二匹が忽然といなくなり、タリアが焔を見やれば血相を変えていた。同時にウォンヌの和弓も消える。
「――は!? え!? 和弓が……! 出てこない!」
「……俺も神力が!! 何がどうなってる!?」
突如の異変だ。ウォンヌとハオティエンの神力が無くなり、タリアも試したが二人同様に神力が使えない状態になった。
「……ッ、神縛札か!!」
タリアが叫んだ。神縛札は五枚で神の力の源、神力を無効にする。
「俺の鬼縛札もあるね」
焔もタリア達と同じ状況に陥っていた。火の犬の消滅の理由だ。
「――ご苦労」
そこへ現ずる、白軍衣を着た男神、それは文龍だった。数人の堕神を引き連れている。
「……文龍様が何故、堕神と!?」
ウォンヌが一驚した。堕神は天上界を追放、離反した神の総称だ。
「タリア様、ご無沙汰しております」
「上位神タリア様に無礼な!!」
ハオティエンが許可なくタリアにかけた文龍の挨拶の非を諫める。タリアがハオティエンに頷き、数歩前に歩み出た。
「数百年、経つかな。文龍、君が神縛札と鬼縛札を?」
「ええ」
「君は堕神と関りが?」
「彼らは私が選抜した精鋭でございます。鬼退治に馳せ参じました」
「鬼退治……」
タリアの目配せに焔は肩を竦める。鬼力を封じられても焔は至って冷静だ。
「鬼退治に鬼縛札は合点がいく。じゃあ神縛札と君の精鋭は?」
「神縛札はタリア様に鬼退治の邪魔をされたくなく、精鋭は保険ですかね。堕神になったばかりの体、単独では心細い」
四枚の翼を広げた文龍の羽は黒い。彼は堕神に堕ちた。「なったばかり」で眼球は白だ、黒に侵食されていない。
ハオティエンとウォンヌが烈しい口調で面罵し抜刀する。
「……ッ、天上皇を裏切ったな!! お前は神々の敵だ文龍!!」
「上級三神!! 中位神の誇りを失ったか!!」
「誇りが何になる神兵。お前達は役に立った。タリア様、任務の裏に何かあると察しておられたでしょう。貴方は心優しい男神だ、必ず火鬼を連れてくると信じておりました」
文龍の計略は成功だった。タリアは前者は肯定し、後者は憂いに声音が沈んだ。
「何かあると思ったよ。でも私を謀るなんて、以前の文龍じゃ考えられない。何が君を苦しめ堕神に堕ちさせた、……残念だ」
「貴方が……、そうさせた」
文龍の囁きは鳥の鳴き声で掻き消される。後戻りはできない。覆水盆に返らず、だ。文龍は意を決したように高らかに雄たけびを上げた。
「――火鬼を滅せよ!!」
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