第十七集:タリアの神像
電蔵主庵の兇手、毒雨に怯えていた村は不安要素が無くなり、本来の活気ある雰囲気が蘇っていた。数週間ぶりの太陽が燦々と村全体に惜しみなく降り注いでいる。
――明けない夜はない。
尊い命が犠牲になったが身の凍る悪夢は薙ぎ払われた。
人間の人生に約束された未来はない。安心して暮らせる当たり前の毎日が如何に大切だったか、重大な局面に接し村人達は身を以て学んだ。
村人達は自分達を救ってくれたタリア達に、感謝の念に堪えない。
朝早く起床した数人の村人がタリア達を探している。じゃんけんで勝った代表者だ、本当は挙って来たかったが迷惑はかけられない。
「――道士様ぁぁ! 桜道士様ぁあ!」
「おらんなあ……」
「さっきは空にいたが……、うーん……」
タリアと焔が村に戻ってくると、家の前に村人が群がっていた。タリアは摘み取った草花を両手に、村人の男衆に歩み寄る。
「おはようございます、皆さん如何されました?」
「おおっ! いらっしゃったぞ桜道士様だ! おはようございます!」
「おはようございます桜道士様! いんやぁ、昨晩の礼に来たんでよ!」
「朝っぱらにすまんなあ! 田畑耕す前に寄ったんだ!」
村人達は発見したタリアに活発のある声を弾ませた。焔は村人達を歯牙にも掛けず素通りし、玄関入口に根っこが生えた花を植え始める。タリアが丁寧に摘んだ花と違い、乱暴に捥ぎ取った花だ。
「お礼なんていいのに……。あ、実は詳しい日数は定かじゃないんですが村に留ることになって、こちらの家をしばらくお借りてもいいですか? あそこにいる鬼の彼も一緒に」
タリアが示す焔を村人達は見やった。自分達が殺人鬼と勘違いし襲った小鬼が、こちらに背を向け、屈んで何やら作業を行っている。焔は小回りが利く少年に姿形を変えていた。
村人達に不安の影は一切ない。
「ええ、ええ、そりゃあいいですとも!! 是非に!! 是非に!!」
「小鬼は俺達を救ってくれた桜道士様の連れだ! コワかねえ!」
「桜道士様がいてくれりゃあ、こん村は安泰だ!! 嫁っこや子供んらも安全だ!!」
「宜しくなあ! 鬼の坊ちゃん!!」
「…………」
村人の気さくな挨拶は空振りだ。土いじりをする焔の眼中に無い。
焔の華麗なる無視で若干空気が冷えた。タリアは片頬をぽりぽり指先で掻き、謝罪する。
「あはは……、いい子なんですが申し訳ない」
「いいんだいいんだ、そんうち慣れがくる」
「ああ、ああ、子供だ気にしねえ」
「家ん中にある握り飯、嫁っこが桜道士様にって、二人で食べて下さい」
「ありがとうございます、皆さん」
村人達は適応力が高い。彼らの優しい気遣いにタリアは謝礼した。
村を助けたのは紛れもない事実だ。恐らく狐族は、神官が一度訪れた土地を警戒し二度と現れない。けれど客観的に充分、タリアと焔も怪しい。
にも拘らず、快く歓迎してくれる。人間は時に脆く時に横暴だが、思いやりがあり逞しい生き物だ。
ひとりの作務衣を着た男が鼓舞する。
「――んじゃあ、今日は忙しくなっぞ!」
「おう!!」
「おっしゃー!」
村人達は彼の気合いに引っ張られる形で、久し振りの農作業に向かった。伝わってくる熱意は強い。
村人を見送り踵を返すタリアを、タイミングよく焔が呼んだ。
「タリアー、こっち!」
手招く焔の傍に行き、タリアは下方に視線をやる。焔は理論的に難しい色彩、色相環を踏まえ、自然の植物が与える印象を崩さず、桜の色調が多い花々を厳密に配置していた。
「見事だ。君は多才だな」
「まあね、タリアをイメージした」
鼻先を右指先で擦る焔は自慢げだ。赤い爪が土で黒ずんでいる。
「ありがとう。ほら、手を貸して」
タリアは抱えた花を置き、焔の手に付いた土を掃う。焔の汚れがタリアの白く穢れのない指先に伝染した。
「いいね……」
「何もよくはない。しっかり洗わなきゃ駄目だ」
「混じり合ってる感じがいいなって」
焔はタリアの指先を攫い、自身の左頬に擦り付ける。恥ずかしさのあまりタリアは微動だにできない。
「ここは俺とタリアの住処になる。俺が帰る唯一の場所……、ちょっと待ってて」
「――え、ちょ、焔!?」
言うや否や焔は砂埃ひとつ立てず、山の方角に跳んだ。あの速さは上位神の翼でも追い付けない。
タリアは小首を傾げ、家でひとりの時間を過ごした。村人に貰った握り飯を頬張ったり、掃除したり、躓いて転んでみたり、そして四半刻後――突然、ズスンと地面が縦揺れする。
「――焔?」
外に出れば焔が帰ってきていた。実体の容姿だ。
「ただいま」
庭に途轍もない巨大な岩がある。焔は鬼灯丸を抜刀した。炎の刀身が揺らめいていて美しい。
「いったい何をする気だ?」
「タリアは下がってて」
焔はタリアを制止させ、「夜叉大師」と独り言ちる。刹那に鬼が出現した。
夜叉大師は焔が鬼力で作った、攻撃に特化した火の鬼だ。風で靡く炎の身体、角は一本、目は空洞で耳まで口が裂けている。160㎝前後の身長で割と細身だ。
「イメージはしたな」
「…………」
焔に頷く夜叉大師は背中に手を回し、炎の金槌を取り出した。岩と対峙する二人は気迫に満ちている。
「じゃあいくよ」
「…………!」
焔の合図で大地を蹴った。岩を削り数分で神像を造りあげる。役目を終えた夜叉大師は消え、焔は刀を鞘に収め額の汗を拭った。
「はあ、上出来だ」
自画自賛する。確かに微笑むタリア像は完璧だ。
タリアは自分とおぼしき神像を見上げる。高さ15メートル、幅8メートル、凡そ39トン、鴻大で二の句が継げない。
「下界の地理に詳しくない俺の目印になる。村人も拝める。一石二鳥だ」
「……まあ、うん。自分の神像は初見だ。案外、嬉しいものだな」
人間は身近な下級三神を祀る傾向がある。タリアは三美神として肖像画で人気はあるものの、人間の信仰の対象とならない。故に神像は無かったが、今し方、焔のお陰で建った。
「俺の大好きな神だ。毎日、俺がタリアの好きな花を捧げる」
「……ありがとう」
歪みのない直球な告白だ。皮膚がむず痒くなるタリア頬は仄かに赤い。
そこへ突如、第三者の叫びが響き渡る。
「――なんっだこれデカ!!!! ってタリア様の神像!?」
武官のウォンヌだ。
「みたいだな」
ハオティエンもいた。神像に釘付けになる二人に、焔が露骨な舌打ちをした。
「チッ……」
二人を邪魔者扱いだ。顎を上げ、眼光鋭く、二人を見下す。
「っとにお前、腹立つ!! 射ってやろうか!?」
「俺に斬らせてくれ、しっかり研いできた」
習慣化した喧嘩だ。いい加減に飽きてほしい。
「やめなさい三人共! 焔は私の後ろにいて」
蛾眉を顰めたタリアは可愛い。焔は機嫌よくタリアの指示に従う。
「わかった」
態度の変貌は清々しい。純粋なタリアは「いい子だね」と焔を褒め、ハオティエンとウォンヌに会話の許可をした。
「喋って構わないよ」
「タリア様!! ソイツは冷酷無情な孤魅恐純ですよ!! いい子じゃない!! 断じて!!」
即座にウォンヌが語気を荒げて否定し、ハオティエンがタリアに忠告する。
「貴方を惑わす害虫です。はあ……、僭越ながら申し上げますがエル様が嘆きますよ」
「エルが天上界に?」
上位神エルは天上皇が最初に造った男神、上位神の長男的存在だ。
「いえ――実は中位神、文龍様の命令で我々二人が地上の任務に……。文龍様が下界におられるタリア様に我々神兵の監督兼補佐をと、上位神エル様に要請し、タリア様の同行に御承諾なさりました。こちらに書類が」
「……本物だ」
ハオティエンに渡された紙にエルの捺印がされてあった。タリアの手元を覗き込んだ焔が仏頂面で訊ねてくる。
「エルは上位神だね。誰、文龍って」
「ああ、天官軍のひとりだ。エルの部下、かな」
「へえ……、天官軍、部下ね」
タリアの返答に同調する焔は不快感を露わにした。二人の近距離に外野が煩い。
「離れろ!! 孤魅恐純!!」
「俺達はお前に用はない!!」
噛み付く二人に焔は冷笑する。不吉な予感が二人の背筋を走った。
「俺も壱と弐に用はない。俺はタリアに付き添う」
発せられた言葉に二人は絶句する。焔は付いて来る気、満々だ。
「壱と弐じゃない、ハオティエンとウォンヌだ」
タリアは呑気に前者を訂正した。悪意はない。だけど二人は指摘したい。ハオティエンとウォンヌは慎みを忘れず、心中で「そっちじゃない!」とツッコミを入れたのだった。
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