第十六集:天上界の観世水
「――へえ、タリア殿が、孤魅恐純と」
天上界に陰々滅々な影が差し掛かる。真顔のウリが淡々と呟いた。抑揚がなく棒読みだ。
三刻半前――天上界に昇ったハオティエンとウォンヌは、一先ず武官が集う精極殿に戻った。五事官ウリにタリアの選択をどう注進していいか、二人で潜考し、段取りの用意をしたかった。
まさか「タリア様と孤魅恐純が同棲しました。タリア様を嫁にすると孤魅恐純が」なんて手足が引き千切られても言えない。もっとタリアの風当たりを和らげる、いい説明の仕方があるはずだ。
けれど物事は、何故かそんなときに限って順調に進まない。
精極殿の玄関口にて五事官ウリは武官長アレスと立ち話をしており、ハオティエンとウォンヌは二人に出迎えらえる形となったのだ。
「――御帰還でしたか」
「……あ、い、え……」
「い、ま……はい……」
「おやおや――」
挙動不審になる二人にウリの眼光が鋭くなった。スーと音もなく詰め寄るウリに、ハオティエンとウォンヌは唾を飲み込んだ。抗う勇気はなく、二人は観念し、洗いざらい概況を説明した。
冒頭でウリが気色ばんだ理由だ。隣で粗方の話を聞いていた男も黙っていない。
「相手は火鬼、残忍冷酷で賤しい孤魅恐純、お人が良すぎるなタリア様は……ッ」
熱り立つ武官の長アレスは、腰に差す緋色の柄を握った。一見タリアの前途を危惧する面持ちだが、ジト目で息子ハオティエンがアレスの心境を見透かし的中させる。
「父上、羨ましさが滲み出てますよ」
「……チッ、俺も男神だ。嫉妬するだろ、玲瓏なタリア様だぞ」
アレスは上位神タリアに憧れを抱いていた。否、真っ只中だ。孤魅恐純に掻っ攫われたくはない。
「アレス殿は自重して下さい」
ウリが厳しく注意した。嫉妬は堕落を招き、堕神になる。堕神は高慢や嫉妬がために天上皇に反逆し罰せられて天上界を追放された神や、自由意志を持って堕落し天上皇から離反した神の汎称だ。
「わかったわかった」
アレスはウリをあしらう。舌戦で不仲に勘違いされるものの、二人は幼馴染で折り合いは良い。
「曲折浮沈ですね。やはり天上皇の御目覚めが鍵でしょう。我々は一介の神官、上位神の決断に異議を唱える行為は非礼になります」
ウリの意見に全員が肯定に沈黙した。
天上皇眠りし現在、天上界を率いるは上位神だ。天官軍総帥で上位神エルが天上界全体を指揮していた。エルは天上皇が最初に造った正義を司る男神で、果てのない天上界を守る役目を担っており、天官軍は長きに渡り天上界と下界の狭間――天繋地で堕神や異界者を討伐している。故に天上界で彼らを見かけることは少ない。
「……タリア様もタリア様だ。相手は我々の天敵、孤魅恐純なのに」
膨れっ面でウォンヌが不平を漏らした。ハオティエンがタリアを弁護する。
「タリア様は平等に情愛をかけられる男神だ。俺達神官や下級三神にも優しい。対話に許可をくれない上位神もいるだろ」
三段階の神の階級に関係なく、タリアは下神の神々と接していた。タリアは自分の階級や立場に無頓着で、よくウリに「天上界の掟に背き秩序を乱す上位神は貴方ひとりですよ」と叱られる程だ。
「まあ……、僕の寝癖直してくれたり襟を正してくれたり、深切な御方だけど」
「――ほう? ウォンヌ、面貸せ」
ウォンヌの自慢に胸倉を掴んだアレスの首根っこをウリが引っ張る。
「大人しくしていて下さい。始末書は嫌いでしょう」
「……チッ」
アレスは舌打ち、ウォンヌを解放した。ウォンヌは内ポケットから除菌用シートを取り出し、アレスが触った箇所を拭いて綺麗にする。アレスをばい菌扱いだ。
拳を握って怒りを逃がすアレスが奥の歯を鳴らした。ウォンヌは気に留めていない。
「……お前のガキ……ッ、腹立つ……ッ!!」
「除菌はいい心掛けです。下界の雑菌は体や服に付着する。アレス殿も今日、下界へ降りたでしょう。僕も持ってますが要りますか?」
「いらねえよ!」
有難迷惑だ。悪気のない潔癖症親子にアレスは怒鳴った。同時に脱げたアレスの黒軍帽をハオティエンが拾い上げ、ふと思い出したように地雷を踏ん付ける。
「――孤魅恐純、タリア様を嫁にって本気か……?」
「やめろあれは幻聴だ!! 何回も言うな忘れろ!! 僕は忘れた!!」
ウォンヌが両耳を塞いだ。一回目は耐えたアレスも、二回目は白目を剥いた。
対してウリは冷静な口調で見解を述べる。
「ハオティエンは懸念を抱いてるのでしょう。本気も何も鬼と神……、自然が生んだ渾沌の火鬼と天上皇創りし上位神ですよ。人間と神は記録上ありますが、鬼は前例がありません。堕神は与り知らないですが」
「――邪魔だ」
そこへ突如、精極殿で用件を済ませた白軍帽を被り白軍衣を着る男神が出てきた。全員が横並びに道を空ける。雑音がなくなった空間を通り過ぎるかと思いきや、男神は立ち止まった。
「お前達がタリア様の護衛に付いた神兵二名か」
彼の名前は文龍、真理を司る神、上級三神の中位神だ。
均等のとれた二重瞼の目は青緑で、顔立ちは彫が深く、鼻筋の通った鼻は小鼻が小さい。口元は引き締まっており、コンチネンタル調に髭を生やしている。髪型はショートスタイルの刈上げツーブロックで身長が190㎝、容貌は聡明で意志が強い印象だ。
天官軍の白軍衣は武官の黒軍衣と形は一様で色以外は大差がない。天官軍は天を、武官は地を、両者共に軍事に携わる官吏だ。ただ上下に区切られた境界線、互いの任務に干渉はしない。
「…………」
「…………」
ハオティエンとウォンヌは拱手し、所作で認めた。妙な冷や汗が二人の額を流れる。
「…………、タリア様が地上におられるなら丁度いい。天上界は天上皇不在で目処が立たない状態、神員不足だ。武官の領域である地上の任務を、果敢な神兵、お前達二名に授ける。タリア様にお前達の監督、補佐として同行して頂くようエル様に要請しておく、有難く討伐に向かえ。詳細は後程、部下に伝達させる」
「…………」
「…………」
文龍はハオティエンとウォンヌ、二人の発言を許さない。つまるところ下神の承諾はいらない決定事項だ。
「……有難くな」
念を押し、文龍は去った。
白軍衣の背中が遠くなり、緊張の糸が途切れる。ウォンヌは強張った体の力が抜け座り込んだ。
「はあぁぁ。文龍様、相変わらずだな……」
「討伐はいいが……、タリア様の同行……」
ハオティエンの言外の意味にウォンヌは盛大な溜息を吐いた。オマケがいる。
『――壱と弐、懲りずにまた来たの?』
朱色の火鬼が脳裏に浮かんだ。不愉快で忌々しい。
「うわああ嫌だ!! どっちが壱でどっちが弐!? 会いたくない!! 僕はタリア様ひとりに会いたい!! アイツ我が物顔でタリア様に絡みつくし……!!」
「じゃあ断って来い」
「……ハオティエンお前なぁ」
それは不可能だ。ハオティエンの素っ気ない対応に、ウォンヌは唇を尖らせた。眉の上で切り揃えられた前髪を弄る仕草は幼い。
「文龍様が外城の精極殿に……、武官長のアナタに連絡はありました?」
「いや……」
ウリの問いにアレスは怪訝に首を捻る。二人は目配せし、途方に暮れるハオティエンとウォンヌを余所に、精極殿に踵を返したのだった。
最後まで読んで下さってありがとうございました(*'▽')
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