第十ニ集:朱色の初恋
太陽が昇っていない卯の刻――焔はひとり、森で汗を拭っていた。
「――ふう、ちょっと多かったかな」
彼の眼前には、数本のナラが伐採してある。枝の処理もされており、玉切りした幹が大量に転がっていた。百キロ以上ある玉は大きい。
人間なら二、三日はかかる作業を僅か十五分で終わらせた。さすがは火鬼だ。
「おめぇ、は――」
そこに白い作務衣を着る若い人間の男が現れた。村人は粘りのある小枝数本を曲げて骨とし、それにヌイゴ縄を編み回して作った、円筒形の背負い籠を抱え直している。
角刈り頭、丸みがある輪郭、二重瞼で団子鼻、アーチ型の太い眉、所謂たぬき顔の村人に焔は見覚えがあった。
「(……ああ)」
焔を蹴った人間のひとりだ。籠の中にはイヌビユやクズ、サルトリイバラにキクイモが重なり合っている。恐らく彼は朝食の調達で焔に鉢合わせたのだろう。
気まずい空気を醸し出す村人に対し、焔は至って普通だ。単純に興味がない。
手際よく原木を集める焔に、意を決した様子で村人が開口した。
「――お、俺ァ! ミュンデ、って名前だ! おめぇ、は!?」
「…………」
焔は無視する。が、ミュンデは諦めない。
「助けてくれたん、おめぇらだって! あんがとな! おめぇや、あんの桜道士様御一行が犯人捕まえたって! ウチん女房、二人目が腹におってな、俺ァ昨日の晩は家さおって……、朝は二人して安心して起きれたんだわ!!」
「桜道士……」
焔がようやく反応した。ミュンデは興奮気味に説明する。
「すんげぇ綺麗で髪が桜色してっだろ!? んで、みんなで桜道士様ァゆーて! 女共んも別嬪や騒いどる!」
「タリアは天地で随一の美しさだ、桜道士はいいな気に入った」
タリアの話題に食いつく焔の表情が和らいだ。ミュンデは今だ、とばかりに焔に行った乱暴な行為を謝罪した。
「おめぇを痛めつけて、そん……、すまんかった!!」
「…………」
急に焔は返事をしなくなる。代わりに数羽の鳥が飛んだ。
「すまんかった!!」
「…………」
焔は原木の表面、断面を選別し吟味していた。雰囲気に怒気は感じない。
もしやとミュンデは小声で訊ねる。
「……、桜道士様、寝てるんか?」
「可愛い寝顔でぐっすりだ」
「――――!!」
ミュンデの予想が命中した。ミュンデに無関心だが、タリアの話だけ耳を傾ける。極端なところが面白い。
「そーかそーか、おめぇんは好き嫌いハッキリしてんなァ」
「…………」
焔は又もや露骨に態度を変化させた。しかしミュンデは気に留めない。
「まあ桜道士様をお慕いするんわ、当然っちゃ。おめぇも俺らも助けた、偉れぇ御方だ」
「アンタ達と一括りにしないで」
瞳孔鋭く睨む焔の迫力にミュンデは焦る。
「あーあー、悪かった悪かった! んなおっかねえ面すんな! おめぇのお慕いは恋心、俺らは尊敬や!! 安心しぃ!!」
「――――、俺は恋心でアンタ達は尊敬なの?」
「違うんか!?」
聞き返す焔にミュンデが驚いた。先程の流れでそう判断していたのだ。
「…………」
焔は顎に手を添え、ミュンデを一瞥する。ミュンデはごくり唾を飲み込んだ。焔は真剣な眼差しで問う。
「違うもなにも、恋心ってなに、尊敬となにが違う」
焔は生まれてこの方、恋をした試しがない。純粋な疑問と関心があった。
恋の定義を語れる人間は少ない。されどミュンデは精一杯、自分の経験で答える。
「んんん、っずかしいなァ……! 恋心っちゅうんは、こいつ好きだァ他ん奴に取られたくねぇって思うやっちゃ! 隣おると心臓がそりゃあ異常にバクバクしたり!! 俺は女房がそやった! 尊敬はまあ、カッコイイ奴やな人格者やなって憧れるもんや、うんうん。おめぇ俺らに『一括りすんな』ゆーたやろ? そりゃ俺が一番や、おめんらと同等にすな!! っちゅう一種の独占欲じゃ!!」
「独占欲……。傍にいたいとか、守りたいとかも?」
「おうおう! 俺も同じ気持ちやったなァ、いまん女房に……へへ」
「自分以外に構うと、ソイツら皆殺しにしたくなる衝動も?」
「おうおう、――って」
「恋か、へえ」
ミュンデの言葉を遮り、焔は些か偏った恋心の在り方を納得する。ミュンデは「こいつァ重症だ」と溜息を吐き、付け加えた。
「はあ……。まあ恋は一方通行、愛は通じるってジッちゃんがゆーとったわ。恋愛に界境はない。桜道士様はいい男や、鬼ん少年、応援しとるぞ――っておらん」
ミュンデの励ましは空振り終わる。用が済んだ焔は場をすでに去っていた。
* * * * *
――天文薄明が幻想的な時刻、村に雨は降っていない。原木を担いで帰ってきた焔をタリアが迎える。家の前の小石や落ち葉を長柄のやしば箒で掃いていた。
「おかえり」
恵風で桜色の髪がぱらぱら舞っている。曙光が照らすタリアは畏敬の念を抱かせた。聖なる要素が至極眩しい。
「ただいま」
焔は抱えている原木を下ろし山積みにした。雪崩状態だ。
地上は千の異差と万の種別、焔は優れた技量がある。タリアは感心せざるを得ない。
「君は多才で羨ましい」
「人間にだってできる」
「君はほんの数分だろ?」
「ハハッ、まあね」
「あ、動かないで」
両肩を上げて微笑した焔にタリアは近寄る。近距離に焔の鼓動が弾んだ。先刻の訛りが酷かった村人の言葉が脳裏を掠める。
――心臓がそりゃあ異常にバクバクしたり!!
「(…………)」
当たらずと雖も遠からずだ。
タリアは桜刺繍が鮮やかな袖口で、焔の額を伝う一筋の汗を拭った。
「朝はまだ寒い。囲炉裏の薪がなくなったから、木材の収穫をしに森へ行ってくれたんだろう。ありがとう焔」
「まあ、うん……」
的確に的中され、挙句、感謝されては照れくさい。焔は一旦目線を逸らし、タリアを密やかに覗き見た。ぱちり視線がぶつかる。
自分を助けてくれた三美神タリアは得難い存在だ。頭で理解はしているものの、焔の指先は感情の赴くままに動いていた。
「…………」
「――焔、……?」
タリアは自分の頬に触れる焔に小首を傾げた。熱を帯びる朱色の瞳に二の句が継げない。
焔は他人事のように告白する。
「俺、タリアが好きなんだって」
タリアはきょとんと長い睫毛を上下に瞬かせた。どういった経緯でその発言に至ったのかわからない。けれど好きと言われて嫌な神はいない。
「え、と。それはありがとう。私も焔が好きだよ」
「万人の神として?」
「友としても好きだ」
タリアの回答に焔は唇を尖らせる。
「友って神官壱、弐と一緒?」
「壱と弐じゃない、ハオティエンとウォンヌだよ。彼らは友、じゃないな。同僚……、じゃない、部下? になる。君と一緒じゃない」
天上界、神の階級でタリアは上級三神だ。ハオティエンとウォンヌは中級三神、対等の者を指す友達になれはしない。
「俺のほうが上に好き?」
「まあ、君は私の数少ない友のひとりだ。私情を挟めば上だよ」
肯定したタリアを焔は抱き締めた。焔が人生で初めてする、抱擁だ。
「――――嬉しい」
「――――」
背中に腕を回す焔にタリアは固まる。実はタリアも上位神の兄や姉達を除き、誰かに抱き締められたのは、生まれて初めてだった。
焔は桜の香りが、タリアは秋の匂いが、二人の鼻腔を擽る。
身長差はあるが焔がタリアを胸に寄せる力は強い。焔が柔らかい感触に酔い痴れていた矢先、絶妙なタイミングで黒軍衣を纏う神官二人がタリアのもとを訪れた。
刹那にウォンヌの怒号が響き渡る。
「――ふざけるな!! こンのクソ餓鬼!!」
「――離れろ!! お前、殺されたいのか!!」
ハオティエンが焔の片腕を掴み、手荒く引き剥がした。二人が焔に放つ殺気は容赦がない。
タリアが二人を宥める。三人に暴れられては面倒だ。
「まあまあ、落ち着いて二人共」
「…………くッ」
「…………ッ!」
ウォンヌとハオティエンは奥歯を噛み締め発言を耐えた。機を逃さず焔が二人を揶揄る。
「タリアの許可為しに喋れないもんね、――永遠に」
焔は語尾の単語を強調させた。売られた喧嘩は買う、武官の暗黙の掟だ。
「切り刻んでやる!!!」
「蜂の巣にしてやる!!」
「ハッ、よく吠える」
「やめなさい三人共!!」
抜刀するハオティエン、和弓に矢を番えるウォンヌ、仁王立ちの焔、仲裁するタリア、三人の喧嘩は小一時間続いたのだった。
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