第二集:文歴官
上位神タリアの住まう宮殿――桜舞殿は天上界内城、北部に建っている。上位神エルの下命で三番目に位階の高い上級三神の下位神は疎か、中位神も独断で立ち入ってはならない神聖な区域だ。
瓶覗き色に透けた雲の奥で流れる滝、領域に溶け澄んだ空気、赤い唐橋や反り橋が架かった中島、下界の温帯に生息する花卉――雅な桜や白梅、紅梅、その色彩の対比と建物――水と花が織り成す場所は、描かれた絵や風聞でしか知らないものの、下神達の憧れを掻き立て、一度は訪れてみたい桃源郷と呼ばれている。
そんな下神が敬畏して已まないタリアの第二の拠点、下界の離宮にまさか踏み入れるとは努々思うまい。
しかも最上級の御恵み、手料理を頂けた。
ただエヴァンゲロスとアファナシィは翫味する余裕がなく、肝心の味を憶えていない。智慧で無明を破れなかった原因はタリアの御前で食すと言う緊張もあるが、十中八九、タリアの隣にいる火鬼のせいだ。剥き出しの殺気がジリジリ、ふたりの皮膚を抉っている。彼を取り巻く黒く濁った不浄の性質、佇まいは禍々しい。
おまけに紹介された下界の家族、真紅と撫子色の光の粉を散らす綺麗なサボテン――否、真っ赤な舌で茶を飲む不気味な尊树と、皮や肉のない小さな骸骨――盈月鬼がいて心拍数は急上昇中だ。こんな奇奇怪怪な空間なら通常、邪の源が蔓延り不吉を招くが、上位神タリアの清らかなる神体と純なる恵みがあるお陰で屋内は天上界並みに清澄で心地が良い。この一点だけが唯一、現状、ふたりの精神を支える救いだ。
エヴァンゲロスとアファナシィは右側の沖融に意識を集中させ、左側の兇猛は視界から外していた。ふたり共、首が右斜め下に向いている。翳がかかった顔色は蒼白い。
「――ねえタリア、昼餉も済んだし帰ってもらったら? 呑気に地上で飯食ってさ、怠慢だの何だのって上の連中に笞刑されるんじゃない? ……どっちも天上臭いし」
永遠と一瞬が混在する食事後、火鬼がタリアの右肩に片腕を回し催促した。それは気遣う姿勢ではない。厄介払いしたい物言いだ。ぼそり吐き出された嫌味もしっかり耳に届いている。
天地、宇宙、万物、森羅万象を創造した絶対の象徴を有す天帝、天上皇が自ら造りし尊崇で高貴な上位神に気安く触れ、剰え、馴れ馴れしく話すなど万死に値する行為だ。しかし相手は鬼界の不敬虔な火鬼、天上界の掟に縛られない。加え天上界で既知されている未だ神々が認めたくはない最悪の事実、タリアを娶った男でもある。侵してはいけない至純の深淵に捻じ入った災いを背負う醜穢、直面してふたりは改めて思った。やはり天地に悪名を轟かす自然が生んだ火山の渾沌は、災厄な神の天敵だ。
エヴァンゲロスとアファナシィは奥歯で怒りを嚙み潰している。けれどタリアは火鬼――焔の皮肉を助言と受け止め、真摯に考えていた。
桜色の睫毛を下げ、優雅な仕草で顎先に細い指先を添えている。
「……笞刑、は有り得なくはないか……。天上界は任務で忙しい神が多い。ひとりふたりの欠員が誰かの負担になる。すまない。エヴァンゲロス、アファナシィ、久々の客人に嬉しくてつい長く拘束してしまった。私の神印を提出するといい、エアナブも咎めないはずだよ」
そう謝罪したタリアが神力で神印が押されてある7.6㎝×7.6㎝の透明な紙を取り出し、ふたりに一枚ずつ手渡した。
神印は上位神が神力で押す謂わば捺印だ。上位神本人の意思に基づいて作成された書面、神印の有形偽造は不可能で上級三神の神も形作れない。故に神印の証拠能力を疑う神はいない。
ふたりは僅かな一拍、上位神タリアの言動に唖然とし、ハッと息を詰まらせたアファナシィが否定する。峻嶮な至高天の頂点で威厳を放つ上位神が下神に発して良い「すまない」はない。
「……タリア様ッ、我らが天上聖母、娘娘に過ちはありません! 非礼な僕達を快く歓迎して頂けたばかりか、無上の恩典をも授けて下さりました」
「タリア様の階級に対する概念、理念はハオティエンやウォンヌに聞いた通りで驚きましたが、俺もアファナシィと同じ気持ちです。娘娘、俺達は娘娘と共に過ごせた一時が、人生で誇れる一等の奇跡です。主義主張を優遇せず、排他的にない平等な愛で頂けたお恵み、神印、有難く賜ります」
アファナシィに継いで述べたエヴァンゲロスが拱手する。タイミングを合わせ、アファナシィも拱手した。正しい所作にふたりの敬虔の念が表れている。
娘娘は女神を指す言意で、下神が稀に使うタリアの尊称だ。
「いい子だね、キミ達は」
「――……っ」
神々しいタリアの微笑みにふたりは頬を赤らめた。火鬼の舌打ちが許せるくらい、いまは自分達が門前払い覚悟で来訪した勇気を称えたい。
「万一下界で任務を遂行する際、キミ達の手に余る問題が発生した場合は私を頼るといい。解決のための協力はするよ」
「恐悦至極でございます。タリア様の御言葉を胸に刻み、日々、慢心してまいります」
同声で述べた感謝が部屋に響き渡る。万一の話は信頼の証だ。下神の面倒を自らみる上位神はいないが、公平を期す、上位神では稀有な存在――末弟タリアは例外だろう。頂戴した提言の端々に嘘偽りや下神を手懐けたい思惑の違和感は一切ない。
「(……想見していた通りだ。それに――)」
手足の末端が熱くなるエヴァンゲロスとアファナシィはハオティエンやウォンヌが「傍でお守りしたい大切な御方なんだ」と吐露した、星咲く夜を思い出していた。
「(……成程)」
納得の一言で、且つ共感する。タリアは命令や掟に因らず忠誠を捧げたくなる神だ。幼馴染ふたりが揃って仕えたい、言外に込められたそこに至る理由を理解した。護衛でタリアに伴える武官、ふたりの官職が少しばかり羨ましい。
エヴァンゲロスとアファナシィはタリアとの別れを惜しみつつ、見送りを丁寧に断り、失礼のない体勢で後退し、家を出た。直後、天と地を結ぶ天光柱にふたりの神体が包まれる。巻きあがった風で靡く長袍の裾、肩を寄せ合うどちらの横顔もどこか凛々しい。
ふたりは刹那に天上界へ舞い昇ったのだった。
おはこんばんは、白师万游です(*'▽')
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