《しかし現実は残酷である》
絶対絶命な俺と目の前のご馳走に舌鼓する理性なき獣。
両者の関係は、もはや一目瞭然であり誰がどう見ても男の命が残り僅かだという事を無意識にでも悟らせる。
あぁ、もしもこれが夢だというなら1秒でも早く目覚てくれと強く思うが、そう願う程に心臓の鼓動が、漏れ出す僅かな吐息が、震える足が、これは夢では無いと懸命に訴えかける。
(......もう、大人しく気絶でもした方が楽に死ねるんじゃ)
今となっては、何処か懐かしさすら感じさせる俺の青春はもはや見る影も無く幻想は幻想である事を悟る。
(それでも...来世では...ハーレム...築きたいな...)
自分の心にあるこの夢を、来世に託して死ぬのは非常に心苦しいが今とはなっては叶える事は難しだろう。
「はぁはぁ、はぁはぁ...‼︎大丈夫。痛くないから、むしろ天国に連れってあげるから」
目の前の獣が、声を荒げジリジリと距離を詰めて来る。何か言っている気もするが今の俺の耳には決して届かない。
(大きな家に住んで...そこで、可愛い子達に囲まれて...あっ...勿論妹は外せないよなぁ...)
目を閉じ安らかな顔つきで来世での平穏を願う。先程まで、確かにあった恐怖や恐れはもう既に無く、無の領域だった。
(メイド...メイドもいいなぁ...。後は......幼馴染もタイトルは
転生したらチートハーレムで世界最強とかで...)
獣が俺に触れる後1秒。その既の所で声が掛かる。
「待ちな。それは、あたし達の獲物だよ」
突如として聞こえた声に獣の動きが止まる。
え?どなた?もしや、救世主様?期待と不安を胸に声のした方にゆっくりと視線を向ける。
「あっ...‼︎」
目にしたのは、狼の様な女性達。
...あかんこれ助かってない奴や。敵が増えただけや。俺は再び目を閉じ妄想へ逃げようとする。
しかし、現実はいつだって残酷である。
「そいつはね、あたしの可愛い可愛い娘達が捕まえた獲物なんだよ。返してくれさえすれば、あたしらは大人しく帰るからさ。まぁ、間違いは誰にでもあるよな黒狐様よぉ」
リーダー格とおもしき獣人が前へと出てくる。群れの中でも、頭一つ大きな身長。鋼で出来ているのでは無いかと思わせる程の腹筋。言葉に出来い程のカリスマ性。
その圧倒的な迫力が、俺を夢から現実へと無理矢理にでも引き戻した。
「あら?これは、失礼しましたわ。私たら、ついつい素敵な殿方と出会って興奮してしまい聞き間違いをしてしまったみたいです。それで【犬】風情がなんと?」
「ヒイッ...」
その言葉に出来ない程の重圧に声が引き攣る。
顔は笑っているはずなのに、俺に向けられた訳でも無いその言葉だけで体の身震いが止まらない。
「おいおい、人の獲物を奪っておいてその言い方は無いだろ。やっぱり噂通りの性悪なんだなお前」
そう飄々とした態度で言い返すリーダーらしき女性は、まるで今の重圧を物ともしない態度でそう返した。
まさに一発即発。もし、邪魔するなら神ですら殺すという程に辺りは殺気だっていた。
初めに動いたのは、意外にも初めに見かけたあの少女だった。群れから飛び出し目にも止まらぬ早い槍捌きでの一撃。電光石火を思わせる様な素早いスピードも彼女にとっては余裕な様でその一撃を難なく避けた。
「おいっ、勝手な事するな‼︎」
ボスの言葉に聞く耳すら持たず今度は槍を横に振るう。だが、その槍先は獲物を捉えるより先に不自然に止まった。
「クソッ‼︎」
少女は、攻撃を途中で断念し一歩後ろに後退する。その表情から明らかに怒りを感じさせる。
「許さない...!!」
「はぁ...そんな怖い顔しないでくださいよ。それに、私は急いでいるんですから見てないで早くかかってきて下さいよ?」
「ちっ、舐めやがって。全員‼︎攻撃体制‼︎」
群れが一斉に黒狐を囲む。多勢に無勢と言うべきか流石の彼女もお終いかと思われたが、
「ふふっ」
彼女はただ不敵に笑っていた。
戦闘が始まってから放心していたのだが不意に正気を取り戻し考え始める。これ、逃げるなら今じゃね?
もし、狼の彼女達が勝ったとしてもバッドエンド。あの巫女服が勝ってもバッドエンド。即ち、ここでただ見ていても行く末は死だ。
なら、この戦いに乗じて逃げるのが最も生存率を高める方法なのでは無いだろうか?
そうだ、そうに違いない。逃げよう。幸いにも、足は恐怖のお陰か知らないが羽が生えた様に軽い。
囲まれている以上、下手に此方に気づく事はない筈だ。
音を立てずにゆっくりとその場から立ち去る。
ゆっくりと、慎重に、物音を立てずに。