俺の嫁はエルフ受けが悪い【94】
ジンジはしっかりと、眼前の女が狂っているのだということを認識した。
少なくとも、当人は認識したつもりでいる。
その上で、彼は告げた。
「……分かった、協力してあげるよ」
ジンジの言葉を聞いて、彼女は一瞬、言われている意味が分からないように固まってしまっていた。
しかし、その意味を理解したと同時、彼女は張り付けた笑みはそのままに、どこか嬉しそうな様子で羽をバサバサさせ、その場でくるくると回り始めた。
「ほ、本当ですかー?」
「ああ、本当だ。僕が協力するよ、君の夢を叶えよう」
「え、ええー? 嬉しいですけどー、そのー、急にどうしたんですかー?」
ここまで素直なのは、さすがの彼女も予想外だったらしい。
困惑する彼女に、ジンジは小さく微笑んで見せる。
「僕が原因で、君を苦しめているんだろ? だったら、責任を取らなきゃいけないじゃないか。それに、君が結果的に幸せになるなら、僕だって嬉しいからさ」
歯の浮くような台詞。
普段の彼だったらこんなことは決して言えたりしないはずだ。
そのことを理解しているオモトからしてみれば、彼の本心が隠されていることはすぐに分かってしまった。
だが、それでも、そうだとしても。
「嬉しい……」
その言葉は、最愛の主人から興味を失われ、彷徨い、こうして暴走に近いことまでもしてしまった彼女にとって、あまりにも嬉しいものだった。
自分のことを利用して生き延びるための方便だったとしても、この気持ちが被造物であるがゆえの致命的な感情だったとしても、どうでも良かった。
そう言ってもらえたことが、何よりも嬉しい。
シンプルなその事実が、オモトの心を温かく満たしていた。
彼女はとても嬉しそうに、じーっとジンジの顔を覗き込む。
「ご主人様ー、今更なし、なんてなしですよー?」
「も、もちろん」
目をはっきりと合わせてくる彼女から少し目を逸らしながら、ジンジは頷いた。
当然のことだが、ジンジだってオモトの考えに素直に賛同したわけではない。
彼が思ったのは、彼女が狂っているということと、もう1つあった。
それは、彼女が狂っているというのであれば、その狂気をコントロールできてしまえば、状況はそこまで悪くないのではないか、ということだった。
自己保身のため、自己の利益のため、それが醜悪な考えだということにすらも目を瞑れてしまうのは、もはや彼にとって自然なことなのだ。
彼女を上手く言葉であやしてコントロールしてやれば、もしかしたら連れて来られる前よりもずっと素晴らしい王国が築けるかもしれない。
そうすれば、あのとんでもない集団にだって、やり返してやれるのかもしれない。
あの男、ユウキ、と呼ばれていたあの説教臭い男。
自分を正義だと信じて疑わない面で、こっちを見下していやがったあの男。
せめてあの男に一矢報いてやらなきゃ、気が済まない。
ジンジは、自身ではちっぽけだと思っているプライドを傷つけた存在として、ユウキを認識し始めていた。
向けられた拳も、睨まれたことも、に何もかもが自分の行いのせいだ、なんて考えは彼にはない。
ただだた、自分を爪弾きにしてきた連中と同じように、自分を馬鹿にしてきた連中と同じように、醜い反発心を抱く相手として彼は見当違いの恨みを募らせる。
しかし、その復讐を成し遂げるにしても、ジンジとても自分だけの力では難しいことは理解していた。
だからこそ、目の前に現れた女を、好機と捉えているのだ。
少なくとも自分の悪運はまだ尽きていない、彼はそう信じている。
「そうと決まれば、えーっと」
「オモト、ですよー、ご主人様―」
「そ、そうそう! そうだった! ああいや、えっと、その、決して名前を忘れていたとか、そういうことではなくて、その、ええっと」
「ふふー、いいんですよー、分かってますからー」
先ほどまでと比べてずっと軟化したように見えるオモトの様子に、ジンジはホッとした。
ひとまず、このまま殺されてしまうようなことはなくなったようだと、彼は心底安心しながら、これからのことを考える。
このまま彼女と一緒に行動していけば、自分一人では決してたどり着けなかったような存在を生み出すことができるはずだ。
そうして新たな力を手に入れて――オモトを処分することができれば、晴れて自由の身になることができるだろう。
今すぐに、ということはない。
どうせ長い時間がかかるはずだ。
だとしても、いつかその日がきてしまえば、こちらのもの。
そのためには今はひとまず、この不気味な女の機嫌を取って、彼女に協力する体で協力させていかなきゃならない。
「それじゃあ、ジンジ、改めて――これからよろしく」
「はいー、よろしくお願いしますー」
彼女は言いながらジンジの拘束を解いた。
そこでジンジはようやく、自分がどんな形で拘束されていたのか理解する。
まるで影のような生き物が、ずるりとジンジの体から足元に広がっていき、軽く地中で渦を巻くようにしてから、流動する液体のような具合に人と同じぐらいのサイズの何かへと変化した。
いや、正しくは、本来の姿に戻った、と言うべきなのかもしれない。
それは端的に言えば標識に描かれているような、人物をもしたピクトグラムに近い姿をしていた。
黒い人を模したピクトグラムが、ジンジの横に直立している。
影そのもので出来たようなそれは、じっとジンジを見つめているかのように見えたが、すぐにまたずるりと地面に溶けていき、やがて月明かりが作るオモトの影に吸い込まれるようにして消えていった。
「うふふー、この子は便利な子なんですよー。名前もない、たまたまできた子ですけどー」
オモトの影を見ながら、ジンジは確信する。
こいつの生み出すものは、やはり自分とは違うが、確実に新たな可能性を生み出すだろう、と。
彼の顔に暗く怪しい笑みが浮かぶ。
「オモト、一緒に願いを叶えよう」
手を差し出すジンジに、オモトはいつもの調子で頷き、その手を取るのだった。




