俺の嫁はエルフ受けが悪い【48】
真っ白な霧の中、聞こえる泣き声に向かって必死に進む。
どこまでも悪い視界の中、奥にいるであろう人物に向かって、走りながら声をかけた。
「おいあんた、そこを動くなよ! ああいや、危険が迫ってるなら別だ! 襲われそうなら逃げてくれよ!」
とはいえ、攻撃的な物音はしないし、脅威となる魔物がいるならここからでも影ぐらい見えるだろう。
そうでないのなら、この深い霧のせいで道に迷ったか、身動きが取れなくなった人、といったところか。
どっちにしろ、俺が合流したところで役に立つかは怪しいものの、このまま泣き続けているのを放っておくわけにはいかない。
「しっかし、マジで何も分からないな、この霧……!」
視界を奪われるってのは本当に厄介だ。
いわゆる心眼を極めてるような武人でもない限り、俺たちは視覚情報に強く左右される。
目に見えている情報をベースにあれこれ考えて行動してしまうものだし、視界が利かないと下手したらバランス感覚なども崩れてしまう。
細いながらも川辺ということもあって、足場もかなり悪い。
かろうじて走れてはいるものの、気を抜けばすぐにでも転んでしまいそうだった。
ここしばらく冒険生活が功を奏している。
多少異常に足腰は鍛えられているのが吉と出ているのはまあ良いとして、それぐらいの脚力を泣いている推定女性に求めるのは酷というものだ。
もしかしたら、この霧と足場のせいで身動きが取れなくなってしまった、というのもあり得る話。
転んで足を捻って、おまけにこの霧となれば、どんな人でも泣きたくなるだろう。
多少なり落ち着かせてやりたいところではあるが、それにしたってまずは互いの姿を見つけないことにはどうにもならない。
というわけで必死に走り続けているわけだが――何か、おかしい。
俺は泣き声に向かってひたすらに進み続けているわけだが、どういうわけか向こうさんの姿が一向に見えない。
明らかに俺が落ちた谷の幅より長い距離を走ったような気がすめのだが、それでも女性どころか、何も見えてはこない。
デカい岩が転がっていたり、腰ぐらいの高さの木が生えてる、みたいなこともない。
見えるのはかろうじて、足元の砂利ぐらい。
そして聞こえる声量からしてそこまで遠くにいるわけじゃないはずの女性の泣き声……ただ、この声も変なのだ。
どれだけ走っても、近づこうとしても、距離が縮まっている感覚がない。
彼女の声は一定であり、近くなったから大きくなった、というようなことも一切ない。
なるほど、ようやく理解した。
これは俺、攻撃を受けているな?
意図してのものだとしたら、ずいぶん悠長な攻撃だが、いやはや困ったことに俺にこういう封じ込め系はよーく効く。
こちとら不死だが、それ以上の力は何1つとして持ち合わせていない。
ザクロやタンポポだったら魔法とか爆弾とかで空間ごとぶっ飛ばすことで何とかできたかもだし、ハンナやヒイラギだったら肉体を超強化して振り切ったりできたかもしれない。
だがそのどれもができない俺にとって、この状況は非常にマズい。
俺1人だったなら別に、100年ぐらいかけて根競べしてやってもいいのだが、残念ながらハンナも含め仲間がいる。
皆がこれで俺のことをあっさり諦めてくれるなら、俺としても諦めがつくのだが、なんだかんだ言って捜してくれているだろう。ハンナもいるし。
これで俺側が出る努力をしないというのもおかしな話だ。
ひとまず足を止めて、俺は改めて、泣き声に耳を澄ましてみる。
「うっ、ううっ……ぐずっ……ううう……」
泣き声は変わらず、一定の遠さを保ちながら聞こえてきた。
もしこれが釣り餌なのだとしたら、ずいぶんと粗悪な気がするが、ふーむ。
「いろいろ試してみるか」
とりあえず、元来た道を逆走してみる。
体の向きはそのままに、足だけ後ろに数歩進んだが、泣き声については変化なし。
走っていても変わらなかったわけだし、歩いても――うん、やっぱり何も変わらない。
声掛けもさっきからしていたわけだから、これも意味がないとなると、うーむ、できるこことがもうほとんどない。
足元の砂利を少し拾って、声のする方に投げてみようかとも思ったが、それはさすがにやめておいた。
これでもし、投げたものは当たる、とかだったら本当によろしくない。
泣いている女性に石を投げつけるってどんな鬼畜だそれ。
ただなぁ、声をかけても反応がなかったのがなぁ。
「んー……」
なんとなく考え込んで、1つだけ、突拍子もない考えだったが、思いついたことを実行してみる。
「これで間違ってたら中々ハズいな……」
どうかこれで何かしら進展してくれ、と藁にも縋る思いで、俺は手を霧の中に向かって伸ばし、撫でるように動かした。
すると、不思議なことに触れる。
柔らかな毛並みのようなものに触れた手で、俺はできるだけ慈しむような、優しい手つきで霧を撫でた。
泣き声が一定距離から聞こえ続けている、そして歩けど走れど戻れど変わらぬ霧の世界、声をかけても反応がない、とあれこれ経験してきたことを基に考えてみたのだが、そもそも俺は現状を勘違いしていないか、と思ったのだ。
一定距離から聞こえているのではなく、そもそも離れても近づいてもいないのでは?
歩いても走っても戻っても変わらないのではなく、そもそもこの霧全体が泣いているから距離感が変わらないのでは?
反応がないのは霧としてそこにあるばかりだからで、俺が霧に対して声をかけていなかったからでは?
そんなことを考えての行動だったが、どうやら、正解だったらしい。
俺の手が捉えた何者かの毛並みは柔らかく、上等な毛皮を撫でているかのような、いやでもこの感触はどちらかというと、そう、人の髪とかに近いかもしれない……長くて細くてしなやかで、それでいてサラサラの指通りの、心地よい手触りだ。
動物のそれとはまた違った感覚、だと思う。
かと言って、人間のそれと全く同じかと聞かれると、またそれも違うような、うーむ?
不思議な感覚だが、ともかく、大事なのはこの手が触れている相手が、泣いているということだ。
「急にごめんな。って聞こえてるかも分からないけど……」
これで少しでも落ち着いてくれると助かるが、いやしかし、相手がこちらの常識が通じるとは限らない。
これが正解の行動かは正直分からないが、これまでのどうにもならない状況よりかは前後どちらにせよ動けてはいる、はず。
その結果俺の手が齧り取られたりしたらその時はその時だ。
だが幸いなことに、それまで続いていた泣き声は俺の手の動きに合わせるように少しずつ、ゆっくりと治まっていった。
やがてすっかり泣き止んだ霧の中から、か細い声が聞こえた。
「……貴様は、誰だ?」
「俺はユウキ。んー、そうだなぁ、しがない転生者、ってところかなぁ」
聞こえてきた声は、先ほどまでと同じ女性らしきもの。
尊大な呼び方が少しだけ不安を煽るが、とりあえず敵意らしきものは感じないのでこのまま接していこうと思う。
「ユウキ、貴様はなぜ、ここに?」
「なぜ、か」
仲間に薬を盛られて魔法をかけられて、突き落とされました、というのを正直に言ったところで困らせるだけだろう。
「まあ、いろいろあってなぁ。お前さんこそ、こんなところでなんで泣いてたんだ?」
言いながら、もういいかな、と思って手を離そうとしたのだが、どういうわけか俺の手はがっちりと何かに掴まれて動かせなかった。
霧に絡めとられてる感じなのだろうか、困った。
「我が何故泣いていたかなど、どうでも良かろう。いや、そもそも我は泣いておらんぞ。誰が人前で泣くものか」
「んじゃ、なんだってまた、こんな谷底にいたんだ?」
「それは、そのぉ……」
あからさまに言いずらそうにしているので、そこは置いておくとしよう。
「まあいいか。んー、これ、俺はお前さんの中にいるとか、そういう感じなのか?」
「む、そうさな、どう言えば良いか……」
悩まし気にしばらく唸った後、霧の主はあっけらかんとした声をあげた。
「まあ細かいことはいいではないか!」
そして、変わらず俺の腕を掴んだまま、今度は妙に明るく続けた。
「しばし我の話に付き合うと良い!」
なんだかなぁ、と思いつつ、俺は苦笑いを浮かべる。
まあ、泣いてるよりはよっぽどいいか、ということで、俺はもう少しだけ、この霧の主の話し相手になることにしたのだった。




