俺の嫁はエルフ受けが悪い【38】
「ああー、そうですねー、あなたは何か、大きな勘違いをなさってるかもしれませんー」
目の前の女を倒すための算段を考える。
俺にできることは非常に少ないし、持っている武器だってあり得ないぐらいに貧弱だ。
ただの拳と、ヘイト稼ぎ。
たった2つでこの相手をどうにかできるかと問われれば、答えは限りなくノーに近い。
「私に敵意はありませんよー。あなたとお話がしたいと思っていますー」
女は変わらずフレンドリーな態度? を崩さない。
少なくともそんなことを言うやつの目が笑ってないのは、何かの冗談としか思えないが。
敵意がないってこと以外、何1つとして信用ならん。
「争ったところで互いに利益は何もありません。得もないですよー。ですから、どうか拳を開いてくださいー」
懇願するように、彼女は両手を組んで小首を傾げてみせるが、俺は警戒を解かない。
というか、解けない。
女が言うことは本当かもしれないし、俺が臆病過ぎるのかもしれない。
だとしても、こいつはダメだと本能が告げている。
こいつ相手に気を許せば、そこまでだと、本能が警報を鳴らし続けている。
「うーん、どうしたら信じてもらえますかねー。あっ、そうだー」
彼女はくるりと背を向けて、今となってはそれどころではないパンケーキモンスターに視線を移した。
そして、パチン、と指を鳴らす。
細い指が小さく音を立てた直後、パンケーキモンスターはぶるぶると震えだし、
「コァァァァァ、アア、ア……」
か細い声と共に、ゆっくりと溶けて地面に消えていった。
残ったのは甘ったるい匂いと、わずかなシロップの形跡だけ。
表情なんてものは分からなかったが、それでも、モンスターの瞳がじっと、女を見上げていたことだけはよく見えた。
「はい、これでどうですかー?」
変わらず笑顔で、女は俺の方を振り向く。
「この子はダメっぽいですよねー、何がダメだったんでしょー? 皆さん好きですよねー、甘い食べ物。だから、それがいっぱい、無尽蔵だったら喜んでくれるかなーって思ったんですけどー、なんででしょう、みんなして逃げてくんですよー」
目の前で起きた出来事に、頭が理解することを拒否していた。
情報量が多い、というのもあるが、何より解決しなきゃいけないと思っていた相手を指パッチンで片付けられたのだ。
しかも、それをしたのが、もっとヤバそうな女ときてる。
俺1人の手に余るってのは、まあ、最初から分かっていたことだが、それ以上に事態はシンプルで最悪。こいつは、誰の手にも渡すべきじゃない。
渡された時点でその相手は確実に貧乏くじを引いている。
だから、俺はこの状況に、思わず感謝してしまった。
貧乏くじを引くのが、俺ならそれは最高だ。
いくらでも死ねる、何だって背負って生きるしかない俺にとって、最悪の状況を俺1人で解決しなくちゃならないってのは、願ったり叶ったりだ。
誰にも不幸を渡さず、誰にも不利益が発生せず、俺だけが、抱えて相手と一緒に死ねるってのが、俺にとっての理想形。
「甘いのがダメならー、もっと、みんなが好きな食べ物だったらいいですかねー。あなたは何がたくさんあったら嬉し――」
言葉を聞ききる前に距離を詰め、拳を振り被る。
当たれば良し、当たらなかったら、まあ、死ぬかもしれんがそれは別に構わない。
相手を殺す攻撃というのは、殺された側からの反撃を基本的に想定していない。
だからこそ、俺の拳は当たる。
素人のただのグーパンが、強靭な力を持つ魔王やらドラゴンやらに届くのは、強化魔法のおかげというのもあったが、それ以上に相手側の油断があるからだ。
死ねば普通はそこで終わり。
死に際の一撃だとか、決死の覚悟で放つ攻撃みたいなものを警戒する気持ちは誰にでもあるだろうが、それが1度で終わらないのが俺の強みだ。
だから、この拳が届いても届かなくても、正直なところはどうでもいい。
重要なのは、2発目。
1発で終わればそれで良し、そうじゃないなら相手がこっちを殺したからと油断したところで本気の2発目が叩き込める。
渾身の力を込めて、俺は拳を振り抜いた。
インパクトの瞬間、手に届いたのは柔らかな肌触り。
普通の人間と同じように、能面のように感じた表情からは想像もできないぐらい、人間らしい感触。
そして、抵抗のないままに、俺の拳を受けた彼女の頭は首を起点としてねじ回った。
ゴキリ、という明らかに骨の折れた音がして、女はわずかに体を捻りながらその場に倒れた。
首が、回ってはいけない角度にまで達している。
普通の人間であれば即死であろう、陰惨な死体が足元に出来上がっていた。
それを認識したと同時、深いため息のようなものが零れる。
俺の杞憂だったか? だとすれば、あまりにも最悪なことをしてしまったわけだが、どうしたものか……ハンナたちに知らせるわけにもいかんが、罪を黙っているというのも、それはそれで彼女たちに顔向けできるものではない。
誰も見ていないことをいいことに隠滅、というわけにはいかないだろう。
俺はハンナが大切で、ハンナが誰より大好きで、ハンナさえいればそれで良いと思ってるところもあるが、それ以上に、ハンナにとって恥ずかしくない男でありたいのだ。
彼女の隣に立ち続けられるような、そんな真っ直ぐな生き方をしたいのだ。
この女に拳を握ったのだって、全てはハンナのため。
だからこそ、ここで俺が逃げるような真似は――
「びっくりしましたー」
足元から聞こえてきた声に、俺は思わず飛び退く。
混乱しきった時、人間ってのは逆に冷静になると聞いたことがある。
まさしく今の俺はそんな具合で、焦りながらも場違いに、俺を相手にしてきたやつらも同じような気持ちで怖がってたのか、なんてことを考えていた。
「急に殴るなんて酷いじゃないですかー。そんなにお話が嫌いなんですかー?」
視線の先で、女が起き上がる。
それはどこかに手をついたりだとか、体の向きを直してというような人間らしいものではなく、例えるならそう、糸で吊られた人形が起き上がってくるような、重力に反した動き。
ゆらり、とつま先から立ち上がった彼女は、回ったままの頭を掴み、戻すのではなく、さらに回して俺の方を見た。
「これでよし、ですかねー? あれ、でもなんか、違いませんー? 合ってますか、これー?」
首を傾げようとする女だったが、捻じれきった首は皮や骨が突っ張っているのか、うまく曲がらないようだった。
あまりにも不気味で恐ろしい光景に、俺は冷や汗が止まらない。
「んんー? あれー? えーっと、ああ、あー、こうですかー」
女はバキバキと音を立てながら、掴んだ頭を捻じれと逆方向に回し、ようやく元の姿に戻った。
とはいえ、何度も何度も回された首回りの皮は所々が千切れ、折れてしまった骨らしきものも飛び出している。
ホラー映画だって、ここまで手の込んだグロ映像は作らないだろう。
「ごほっ、ごぼっ、あー、血が、邪魔、ごぺっ、ぽっ、ですねー」
幾度となく血を吐いて、何度か治癒魔法らしき魔法を行使して、彼女はようやく完全に元の姿に戻った。
もっとも、身に着けている白布はすっかり真っ赤に染まっていたが。
「よーし、これでいいですねー。お待たせしましたー、えーっと、あっ、自己紹介もまだでしたねー、そりゃあ殴られますよねー」
どこまでも、どこまでも変わらない笑顔のまま、彼女は穏やかに告げる。
「私ー、オモトって言いますー。得意なのはー、さっきの子みたいなのを産むこととー、死なないことですー」
彼女の言葉に、思わず、手の力が緩みかける。
死なない。
その言葉に、少なからずのシンパシーを抱いてしまったのは、俺の落ち度だろう。
俺の警戒がわずかに解けたことを、彼女は見逃さなかった。
「あなたのお名前、お聞きしてもいいですかー?」
気が付いた時には、彼女の張り付いた笑顔が俺の目の前にあった。
ちょっとでも動けば触れ合う程の眼前に、調度品のような美しさの女がいる。
彼女の右手は俺の拳を包むように握っており、左の手は柔らかく俺の腰を抱いている。
互いの吐息が触れ合うぐらいの距離で、彼女はじっと俺の瞳を覗き込み、穏やかにもう1度告げる。
「お名前はー?」
「ゆ、ユウキ……」
ただ促されるままに、名前を口に出す。
俺は、まったく力を入れられていないのに、動くこともできずにいた。
そういう能力を行使されていた方がまだしも、良かったかもしれない。
彼女は別に、特殊なことは何1つしていない。
ただじっと、俺のことを除きこんでいただけだ。
それでも俺は、恐怖に屈してしまった。
今まで、死なない以上何をされても平気だと思っていたが、こいつは別だ。
「ユウキさんですねー、ありがとうございますー」
言いながら離れるようなこともしない。
俺と彼女は土台が一緒、立っている場所が一緒だ。
互いに死なない中で、壊れた倫理や感性を持っている相手がいる。
当然持っている能力が俺より優れているというのは厄介だが、問題はそこではないのだ。
彼女のような、イカレた中身をしている相手が、自分と同じ土俵で戦ってくるというのが、俺にとっては何よりもの恐怖でしかなかった。
俺と同じようにこいつが何をしても死なないのだとしたら、これから先、こいつはどこまでも俺の人生に関わってくるのだ。
この恐るべき笑顔で。
この壊れた距離感で。
このバグった感性で。
俺のこれからに関わってくるのだ。
そう思うと、俺は恐ろしくて仕方がなかった。
だから、受け入れなくちゃいけない気がした。
この女の存在を、名前を名乗り合って、互いを認知することで、彼女のことを知っていくことで、恐怖を薄れさせなきゃいけないと思った。
恐怖そのものを克服するために、相手に名前を教え、相手の名前を知り、互いのことを知る。
知らないことは恐ろしいが、知れたことは多少なり恐怖が薄れるもの。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、ではないが、彼女のことを多少なり知れば、俺が感じる恐怖だって薄れてくれるかもしれない。
「ではー、ユウキさんは私とー、お話ししてくれますかー?」
ほぼゼロ距離で繰り返される問いかけに、俺は自分の意志が塗り潰されそうになるのを感じた。
ただただ、彼女の言葉に従ってしまった方が楽ではないか、と。
この恐怖を味わい続けるぐらいだったら、この恐ろしい女と仲良くお話ししてしまった方がいいのではないか、と。
理性や野生に従うことなんてやめて、本能による恐怖なんか目を閉じて、目の前の美しい存在に傅いてしまった方が正気を保てるんじゃないか、と。
ただただ追い詰められた精神が、膝を折ろうとしている。
そんな俺の耳に、声が聞こえた。
「ユウキさん」
優しく、暖かで、どこまでも愛おしい、この世のどんな音よりも素晴らしい、大切な声。
「ユウキさん」
それは真っ白になりそうな俺の意識をはっきりとさせ、目の前の女に対する恐怖を思い起こさせ、絶望的な現状をしっかりと認識させながら、全てを乗り越えるための熱を、胸に灯してくれた。
「ユウキさん」
「っああああああっ!!」
叫び声を上げて、俺はオモトの手を振り払い、距離を取った。
「あらー?」
首を傾げる彼女に、俺はぶるぶると首を横に振って、大きく息を吐く。
「悪いが、あんたと仲良くするつもりはない。できそうもない。いきなり殴ったのは悪かったよ。ただ、そうだな、俺はあんたと相容れないってのは分かる。あんたがどう思ってようと、だ」
「……そうなんですかー」
「ああ。もしかしたら互いのことをいろいろ知ったら変わるかもしれんが、悪いな、俺は嫁一筋なもんだから」
「あらあらー」
彼女は表情も変えず、首を傾げた後、こくりと頷いた。
「では、今日は帰りますねー。また会ったら、今度はお話、聞かせてくださいねー」
ひらひら、と手を振った彼女は、一瞬で姿を消してしまった。
しばらく辺りを警戒し、何も起きないと分かった俺はその場に倒れ込む。
「……なんだったんだ、あいつ……」
味わった恐怖の数々に、今さら体が震え始める。
今さらながら俺自身の頑なさ、拒絶っぷりに違和感すら覚えるぐらいだが、何にしても俺が思うのはただ1つ。
「ハンナに会いたい……」
滲んでくる涙を拭い、俺はハンナのことを想う。
彼女の声が、俺を助けてくれた。
別に本人はここにいないが、それでも、ハンナがいてくれなければ俺は今頃恐怖に屈していたことだろう。
好きな女がいると、男ってやつはどこまでだって格好をつけられる。
この世界で何よりも学んだことだ。
「……帰ろう」
ひとまずここで起きていたことは全て片付いたし、もうあの謎の女と出会うこともない、と思いたい。
あれこれ考えなくちゃいけないことはあるだろうが……今はとにかく、ハンナの腕の中で、ゆっくりと眠りたかった。




