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俺の嫁はエルフ受けが悪い  作者: 吉田しく
37/96

俺の嫁はエルフ受けが悪い【37】

 歩き始めて数分、俺はまず自分の嗅覚を疑った。

「何だ、この匂い……?」

 森が途切れて、道なき道を倒れた草などを目印に進んできた俺だったが、首を傾げる。

 ここから続いていくのはただの平野で、地図にも何も書かれていない、荒野やら平原やらが広がっているだけの土地だったはずだが、はて。

 漂ってくるのは、甘い、いや、甘ったるい、と表現すべき香りだった。

 系統としては、蜜の香りが近い。

 蜂蜜だとか、メープルシロップだとか、そういった甘味になりそうな、自然的でそれでいて強烈な、甘ったるい香り。

 ただ、それらが心地よいと感じられるのは、適度な香りが心地よく香る程度であれば、の話だ。

 幼い頃などに、親に怒られながらも必要以上の蜂蜜やシロップをかけてしまい、若干の気持ち悪さを感じながらホットケーキ等を食べた経験などはないだろうか?

 大人になれば分かってくる、胸焼けを起こす感覚というか、過ぎたるは猶及ばざるが如しってのはこういうのを言うんだろうなと理解させてくるというか――そういう、胸から胃袋辺りにかけて発生する、重たい感覚。

 そいつを感じさせてくる匂いが、これだ。

 俺もおっさんになってきたということか……まあ実年齢だけで言えばもう三十路だしな……などと、軽く落ち込むのはさておき、だ。

 こんな匂い、それこそ巨木の生い茂る森の奥に巨大ミツバチの隠れ里みたいなのがある、とかでもない限り、あり得ないだろう。

 いや、仮にそんなものがあったとしてもここまで匂いが充満してるとも思えないが……ここは異世界、何があっても不思議ではない。

 10年こちらで過ごした俺であっても、知らないことだらけの世界だ。

 そういうまさにファンタジー、みたいな場所があってもおかしくないとは思うが、それでも奇妙には思ってしまう。

 匂いの発生源はどこだろうか、と何となく当たりをつけて歩いて行くと、やがて見えてききたのは、小さな小さな森だった。

 なんなら森と呼ぶにはあまりにも小さすぎる、林とかの方が近いかもしれないその場所は、手前の方に土を盛って作られた洞穴がある以外、気になる点もないような土地だった。

 匂いは明らかにこの森からきているし、地面にある跡を見るに、この洞穴がモリクイの住処だったらしい。

 とすると、だ。

「これまで食ってた森がこれで、んー、この匂いがするようになって、違う森を探して歩いて行った、みたいなところか?」

 多々疑問点はあるものの、その推測自体に間違いはない、と思う。

 基本的に動物は甘い匂いにつられるらしい、みたいな話をどこかで聞いた気がするが、それにしたってここまでの匂いとなるとむしろ身の危険を感じたりするだろう。

 ましてや、自分が今まで食料にしてきた森から違う匂いがしてきたら驚くだろうし、住処や餌場を変えることだってあるはずだ。

 そう考えると、この匂いは、急に発生したもの――これまでこの森に存在しなかったもの、ということだろうか。

「急にこんな強烈な匂いがするようになるものか?」

 仮に、突然自然的な発生がしたのだとしても、元々ドデカい蜜の詰まった何か、それこそ巨大ミツバチの魔物みたいなやつが巣を作ってて、それが割れたとか?

 それか何か、突然変異で生まれた魔物がそういう香りを発する生体をしているだとか?

 考えても全体的に無理がある内容だったり、ファンタジーにも限度があるようなものばかりが浮かんでくる。

 ともあれ、問題はこの森の中にあるっぽいわけで。

「見に行けば、まあ、分かるか……」

 俺はあまりにも強烈な甘ったるい匂いに少し辟易しながら、覚悟を決めて森の中へと分け入ることにした。


 ◆◆◆


 歩いて、歩いて、立ち止まる。

 少し進むだけで匂いが強くなり、本当にこのまま進んで大丈夫なもんかと、不安になってくる。

 辺りに立ち込める強烈な匂いのせいか、動物はおろか、小さな虫すらも見当たらないほど、森の中は生命の気配が感じられなかった。

 普通であれば、この匂いに反応して動物も虫たちも嬉しそうにしているか、群がったりしているものだと思うし、事実、ある程度の距離まではそういった形で近づいてきていたらしい存在も見受けられたのだが、そのどれもが目を回し、ぐったりと動きを止めていた。

 そしてある程度のラインを超えた辺りから、もはや動物たちの姿は見えなくなっていた。

 もはや匂いそのものが攻撃的なぐらいで、視界すら揺らがせるぐらいの強烈な香りに、俺も少しずつ、意識が朦朧としてきた。

 俺自身は、死なない体ではあるものの、それだけのただの人間である。

 普通の人間が気絶するような事態に陥れば簡単に気絶してしまうし、今だってかなり危ない状態になっているはずだ。

 旅をして、レベルが上がっているおかげで多少なりともこういう事態への耐性もあるはず、と思っていた部分はあったが、今回ばかりは相手が悪い。

 毒とか薬品とかではなく、ただの甘い香りなのだ。耐えるシチュエーションがない。

 体が抵抗する力を持つ場合というのは、抵抗し、克服しなきゃいけいなものがある場合に初めて、肉体そのものに変化が起きて身につく。

 抗体だとか、免疫というのはそういった体の機能によって、作られものであり、逆に言うと抵抗した経験だとか、免疫を用意する状況を経て来ていない場合、肉体は起きている事態に対応する術を持たなかったりする。

 当然と言えば当然だが、甘い匂いに抵抗しよう、なんて感覚は俺の肉体には存在しておらず、耐えられる閾値なんてものを計ったこともないので、このままどれぐらい俺の肉体が耐えてくれるかは分からない。

 しかしまあ、ここまで来て黙って引き返すわけにもいかない。

 さすがに俺がいつまで経っても戻ってこなければ、ハンナなり誰かが気にして捜しに来てはくれるはずだ。

 ……ここに来る前に、置手紙なりなんなり、もう少しハンナたちに向けてメッセージを残しておくべきだったとは思うが、そこはもう、考えたって仕方がない。

 凄まじい甘さに眩暈を覚えながら、なんとか、俺は歩を進めて行った。

 だが、その歩みも数歩で止まる。

 入った森自体がそれほど大きくないからか、はたまた、少しずつ移動でもしていたのか、俺が目的としていた存在は、驚くほどあっさりと、そして、鮮烈に視界に入ってきた。

 まず目についたのは、体全体を覆っている蜜のような何か。

 暮れかけの日差しを浴びて、てらてらと光る体表は粘性の高そうな液体で覆われていた。

 蜜に覆われた肉体は、どう見てもパンケーキのような素材でできているのだが、その姿形は奇妙極まりない。

 あえて似た姿を当てはめるなら、トカゲ、だろうか。

 いや、表面の湿った感じからして、イモリとか、サンショウウオ辺りだろうか?

「何にしても両生類チックだな……うっ」

 軽い嘔吐感に、えずきかけた体を落ち着かせようと、口元に手を当てる。

 荒れる息をゆっくりと、鼻でなるべく呼吸しないように気を付けながら、目の前の存在を睨む。

 滑らかな蜜で覆われたパンケーキのボディに、チョコやクリームでデコレートされた模様らしき斑点や突起、瞳の代わりとばかりに盛り付けられたドーナツと、体のあちこちに散りばめられたケミカルカラーのグミにマシュマロ。

 仮にこれが常識的なサイズでお出しされたとしても、確実に映えないであろう、毒々しい外見。

 キャラクターモチーフのケーキを作ろうとして、資料を何も見ずに見切り発車でやったとしてもこうはなるまい。

 製作者は、よほど手先が不器用か、はたまた、壊滅的なセンスの持ち主かだろう。

 そう考えた俺の脳裏に、愛しい愛しい我が嫁の顔が思い浮かんでしまったので、慌てて頭を横に振り、良からぬ思考をかき消す。

 今は余計なことを考えている場合ではない。

 この目の前にいる、悪な存在――パンケーキモンスター、とでも呼ぶべきこいつを、どうにかする必要がある。

 ただ、これ、殴っていい相手なんだろうか?

 見ている限り、モンスターはドーナツの瞳を時折ぐるぐると回し、口を開くなり緩慢な動作で地面を掘り起こすように食べたり、樹木に齧りついたりしていた。

 あれは食事、だろうか?

 もうこいつが生き物なのかどうかすら怪しいと思っている俺だが、捕食行動をしている以上、何らかの生物ではある、のだろう。たぶん。

 んでまあ、どう見ても、外来種。

 この世界に元々いたとはとてもじゃないが思えないタイプの生物だ。

 いくらファンタジーな世界観だとしても、こんなファンシー、という括りに一応なり入れるべきかもしれない存在は、よほどのことがない限り、在来しているとは考えにくい。

 エルフでさえあの通り、基本的に塩顔で、骨太ファンタジーって感じの世界なんだぞ。

 とはいえ、俺たちのような転生者がずいぶんと増えた影響もあり、そうした骨太ファンタジーな環境も大きく変わっている。

 そして、そんな転生者たちが及ぼす影響の負の側面であろう存在が、こういった、世界にそぐわない謎の生物だとか、環境を変化させ過ぎたことによる諸問題だとか、気が付かないうちに国を敵に回してそのまま勝ってしまうやつがいるだとか、そういう、世界を壊してしまっているような出来事の数々である。

 かくいう俺たちの村だって、本来なら地図に存在すらしていなかった土地を、無理やり転生者たちの力によって開拓した結果生まれている。

 ちょっとした、では済まないのが俺たち転生者たちの起こす影響であり、スローライフを求めたり、平和な生活を求めたり、気楽な隠居生活を求めたりしようとしても、多かれ少なかれ、世界的な影響に繋がる行動をしてしまうのである。

 もちろん、世界からしたらはた迷惑な話であり、モリクイのような既存の生物たちにとってはあまりにも厄介なこと極まりないはずだ。

 だからこそ、迷惑をかけている一因として、こういう存在は放っておけない。

「しかし、どうするか……」

 殴るに殴れないし、うーん、食べる、ってのもなぁ。

 ただでさえこんなに強烈な香りを放っているのだ、口に入れた瞬間、確実に吐き出してしまう自信がある。

 とはいえ、このままぼんやりと見つめているところで、事態が好転するわけもなし。

「触って皮膚とか溶けませんように、って願うしかないかぁ」

「溶けませんよー」

 突如、真横から聞こえてきた声に、俺は慌てて横っ飛びに距離を取った。

 何だ、今の!?

 というか、くそ、この匂いのせいか、まったく気づかなかった。

「あらー、そんなに逃げないでくださいよー」

 柔和なようで、良く聞けば、ただただ棒読みに伸ばし棒が付いているだけの、いっそ感情の乗っていない無機質な言葉が響く。

 視線の先にいたのは、1人の女性。

 その姿を一言で形容するなら、天使のようだった。

 ブロンドの髪、陶磁器のような肌、白いローブのような布を身に着け、背中から巨大な羽をこれ見よがしに広げている、アルカイックスマイルの女性。

 張り付けたような笑顔を浮かべた、美しくもどこか無機質な印象を抱かせる彼女は、笑顔のまま俺の方を見て、間延びした声を放つ。

「せーっかく、よーうやく、人と出会えたというのにー。お話し、しましょうよー」

 フレンドリー、と言うにはあまりにも異質なその言葉と笑顔に、ただでさえ困惑していた俺の本能が、全力で叫んでいる。

 あれはダメだ、まともに相手しちゃいけない。

 強いから、とか。

 危険だから、とか。

 妙な力を持っていそうだとか、未知の相手だとか、規格外の存在かもしれないから、とか。

 そんな単純な理由ではない、心の奥底から込み上がる警報、警告。

 原始的でありながら強力で、シンプルだからこそ絶対の、本能的感情。

 恐怖が、ただただ凄まじいまでの恐怖が、目の前の女性を見ているだけでひたすら込み上げてくる。

 どうにかしてしまったのか、俺は。

 魔王とすら戦ってきた男が、ただ目の前にいて喋ってるだけの女に、恐怖してる?

 それも、すっかり麻痺しきっているであろう命の危機を感じるようなレベルで?

「……参ったな」

 ガチガチと震える歯を食いしばって、俺は拳を握る。

 こっから俺ができることは、ただ1つ。

 こいつを、野放しにしないこと。

 あっちのパンケーキなぞどうでもいい、この女だけは、ここでどうにかしなきゃダメだ。

 1人でここまで来た自分の判断を、これまでの過程全てをひっくり返して全肯定だ。

 だが、こうして俺が臨戦態勢を取る間にも、目の前の女はただただ無機質に、テクスチャのような笑顔を浮かべたまま、呑気にこちらを見ているのだった。


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