俺の嫁はエルフ受けが悪い【36】
森の獣に罪はない。
どんな場所に出向こうが、なんなら食料を求めて人里に立ち入ってこようが、獣たちには決して罪はない。
彼らにとってはただ歩き回った結果でしかなく、他者のテリトリーを侵害したと認識するには、野生に対して人間側の配慮がなさすぎるだけである。
臭いやら傷跡やら、もっと自然的に分かりやすい代物で囲わない人間が悪い。
とはいえ、それは人間側に獣たちが自ら接触してきた場合の話。
今回の場合、獣が自分たちなりに過ごしているところに、人間側が接触する。
これについては、もう逃れようのないぐらいに、
「俺が悪いよなぁ……」
と、ため息交じりの弱音に近い本音が零れる。
いくら森そのもののためとはいえ、気ままに食事をしている魔物を攻撃するのは気が引ける。
動物や魔物と会話ができるスキルでも持ち合わせていれば話が早かったのだろうが、あいにくとそんなものはない。
なんとか穏便に済ませたいものだが、さてはて。
「あー、そこのモリクイさんよ!」
すぐ近くまで来て、改めてその巨躯に眩暈がする。
俺の背丈よりずっと高い木々、それと同等か、それより少し低いかぐらいの凄まじい体長。
3、4メートルぐらいはあるだろうか。
「ちょっといいか?」
できるだけ大きな声を張って、意思の疎通を試みてみるが、モリクイは俺の方を見向きもしない。
淡々と目の前の樹木に手を伸ばし、太い腕と巨大な爪で幹をへし折り、舌を伸ばして吸い取るように食していく。
まあ、そうだよなぁ、とは思いつつ、再び暗澹たる気持ちになる。
今さらだが、これを邪魔していいものか。
ハンナの言っていた通り、こいつの食事が終わるまで待ってやる方が結果的に平和に事が済むのではなかろうか。
もちろん、それはそれでいいのかもしれないが……しかし、モリクイの食い進めてきた木々の痕跡を見るに、そうもいかない。
「しょうがない、か」
俺は『ヘイトフル』を発動し、細く、息を吐く。
瞬間、それまで木々に伸ばし続けられていたモリクイの手が止まった。
真っ黒で、純粋な瞳が、ゆっくりと俺の方へと向けられる。
「飯の邪魔して悪いな。そんじゃまあ、始めるとするか」
ゆっくりと、しかし確かな敵意を持って、巨大な体が俺を見下ろす。
子供と大人、どころではない体格差だが、この間戦ったドラゴンたちと比べれば、まだかわいいものだ。
モリクイは太い腕を振り上げると、それを無造作に振るった。
横薙ぎの攻撃を後ろに下がって避けた瞬間、体に凄まじい質量が叩きつけられる。
腕と同時に巨体を活かして突進してきたようだ、交通事故にでも遭ったかのような衝撃が走り、俺の体は簡単に吹っ飛ばされてしまった。
「っ……はっ、なんか、懐かしい感触だな……」
地面を転がり、木にぶつかり、なんとか事なきを得た俺だったが――事なきを得てると言っていいのだろうか、これは。
「内臓はたぶん無事、骨もまあ大丈夫そう、か。ならなんとかなるかな……」
痛みで全身が軋む。
立ち上がろうとするも脳味噌が揺れてるのか、平衡感覚がどこかおかしい。
俺を転がしたモリクイはどうやら食事に戻るらしく、こちらに背を向けていた。
普通の獣やら人間やらだったら、そりゃこのまま戦闘不能か逃げ帰るかのどっちかだろう。
あいつの判断は概ね正しい。
間違っているとしたら、相手が俺だったことだ。
「今度はこっちの番だな」
多少まともになってきた頭を軽く振って、地面を蹴る。
ハンナの強化がないのは少し心配だが、それでも俺は一応高レベル。
あれぐらいの相手なら、なんとか戦える。
全力で駆け抜けて、そのまま俺は思いっきりドロップキックをかました。
柔らかい毛並みに多少阻まれながらも、俺の攻撃をくらったモリクイはゴロゴロと地面を転がり、慌てた様子で俺の方に向き直った。
「まだ飯に戻ってもらっちゃ困るんでな。もう少し相手してくれ」
「オ゛オオオオオッ!」
再び発動した『ヘイトフル』に、モリクイが野太く声をあげる。
ああいう動物って鳴くんだな……などと、場違いなことを思いながら、改めて、先ほどのように腕を振り上げたモリクイの行動をじっと見た。
また薙ぎ払いから突進でもしてくるのか、はたまた、違う動きをしてくるのか。
一撃、鋭い爪と太い腕が、容赦になく地面を抉る。
俺がそれをかわすと、今度はもう片方の腕をこちらに伸ばしてきた。
咄嗟に横に避けたところで、正面から迫る何かについ腕を伸ばす。
弾くように動かした俺の手だったが、衝撃のようなものはほとんどなく、代わりに腕に絡みついた湿った感触が、凄まじい力で俺を引っ張るのだった。
「舌もあったな、そういや!」
巨木を締め上げるだけの長く細い下は、俺の右腕を完全に絡め捕り、そのまま締め上げた。
中空を飛ばされるような感覚で、俺の体が丸ごとモリクイの口元へと引き寄せられていく。
「ぐっ!」
細い舌、とは言ったものの、それはやつの体と比べて、という話。
実際のサイズとしては、俺の腕と太さ自体は大差ない。
それが俺の右腕を覆い隠すかのようにぐるりと巻き付いて、強烈な力で締め上げてくる。
骨が軋み、皮膚の避ける感触がした。
こりゃあ右腕はダメそうだ。
「っ痛ぇなぁっ!」
だがこうして、顔面近くまで連れてきてくれたのは好都合。
俺は残った左腕で拳を握り、引っ張られる勢いのまま、モリクイの横っ面に拳を叩きこんだ。
最初に蹴りを入れた時も感じた、柔らかな毛並みの感触と、肉を殴り付ける鈍い感覚。
モリクイは俺の攻撃に分かりやすく怯み、腕を覆っていた舌はすぐにその力を失ってあっさり脱することができた。
投げ出され、着地したと同時に体制を崩していたモリクイに向かってもう1度走る。
ぐちゃぐちゃの右腕が痛いが、そんなことを気にしていたら、戦いなんぞやってられない。
これだってこの間の全身よりかはずっとマシだ。
モリクイの足腰はしっかりしている。
下半身はすさまじい太さで、殴っても蹴ってもビクともしないだろう。
だからこそ、狙うべき部位はもう少し、筋肉量の少なそうな箇所。
最初は背中、今度は顔、なら次は、腹!
「おっらぁっ!」
地面を蹴って、腹部に後ろ回し蹴り。
こんな隙の大きい攻撃、普段ならあまりしないところだが、相手が怯んだ今ならダメージを狙って使ってもいいだろう。
それに、確かめたいこともある。
俺の攻撃によろけ、ふらつくモリクイだったが、一瞬動きを止め、こちらに向かって咆哮した。
動きを止めたのは――俺が蹴って、後ずらせた先。
あいつが食い進めてきた木々の奥、森からも出た、ずっとずっと奥の方を見た時だった。
「……なるほど?」
少しずつ、事情が分かってきた。
が、それはそれとして、まずはこいつに眠っててもらう必要がある。
「このまま殴り合っててもまあ勝てそうだが、しょうがない」
力の入らない右腕を、さらにだらりと脱力させて、細く、長く息を吐く。
まだ体制を整え切れていないモリクイの正面、再び距離を詰めた俺は、走った勢いで跳び、体を思いきり捻った。
右腕を後方に追いやって、腰を回して、
「んおぅらぁっ!」
使い物にならない右腕を、フレイルのように叩きつける。
先端はもはや握ることさえできない手、骨も筋肉もずたずただが、その分異様な角度で振るってもこれ以上はないその『武器』は、モリクイの首付け根辺りにめり込むと同時、巨体を大きく揺らがした。
うん、やっぱりそうだ。
「こいつ、弱いな……」
俺はぼろっぼろになった右腕を軽く見て、どうやっても動かせそうにないので諦めつつ、倒れていくモリクイを見上げた。
こいつは巨大な体を持っている関係上、ここまで育つ経緯などで、レベルこそ上がったものの、それだけの野生動物、といったところなのだろう。
ハンナもとても温厚な魔物、と言っていた。
他者と争う経験というのもほとんどなかっただろうし、いざ戦闘となればこんなものだろう。
だがしかし、気になっていたのは、こいつがずっと二足歩行をしていたということ。
俺の知ってるこういう動物、アリクイは、本来四足歩行をする動物である。
アリ塚を壊したりする時に立っていたりするらしいが、それ以外はほとんど地面に四つ足をついて生活しているはずだ。
そんなこいつが、立ち続けていた理由は、おそらく1つ。
「……何がいるんだ、この先?」
昔、小さなアリクイが、相手を威嚇するために立ち上がって姿を大きく見せようとしているのをテレビかなんかで見かけたことがある。
もしそれと同じような理由で、こいつが立ち上がり続けていたのだとしたら?
そして、先ほど動きを止めたのも、こいつがやって来た先を見た時だった。
俺の方を攻撃する時も、俺の攻撃を受けていた時も、モリクイはできるだけ、食べ進めてきた方向には戻らないように動いていた、ように思う。
真っすぐ森の中を進んで来ていたこと、戻らないように意識していたこと、そして、威嚇の姿勢を解かなかったこと。
これらを総合して考えるに、
「お前も、怖いのから逃げてきたわけか」
横たわる巨体にそう言っても、当然答えは返ってこない。
森そのものが、怖い俺に怯えて、逃げた先で天敵に会って、逃げてきた。
そんな天敵もまた、どこかの誰かに怯えて、この森にまで逃げてきた。
逃げるってのは悪いことじゃない。
何より、社会だなんだと精神的に疲れる俺たち人間のような理由ではなく、生き物として、生物して抱いた恐怖から逃げ出すのは、とても正しいことだ。
だがそれは、恐怖を与えたやつが、捕食者などによる根源的な恐怖を与えていた場合の話だ。
俺がナエに与えた恐怖は、間違いなく正しくないものだった。
ハンナが怒るのだって当然だ。
俺だって、外野として見ていたら、怒っていたと思う。
当の本人だからこそ、いろいろと理由をつけたりして自分を多少なり正当化しようとしたが、それだって、口に出すのは憚られる、というものである。
だがしかし、世界にはそういうことを考えないやつもいる。
持ちえた力を誇示して、高らかに存在を見せつけて、他者の恐怖を煽ることで自尊心を高めようとする、どうしようもないやつがいる。
住処を飛び出して、テリトリーを侵害して、それでも逃げて行こうとする獣ってのは、普通の事情じゃ発生しない。
外からやってきた侵略者でもいたか、はたまた、肉や毛皮を求めた狩人にでも出会ってしまったか。
「何にしても、もう少し頑張らなきゃだな」
痛みにも慣れてきた。
体のダメージも、右腕ぐらいしか問題にならないし、大丈夫だろう。
血は流し続けているが、幸い俺は死なない。
失血で意識とかが持っていかれなければ、まだまだいける、はず。
「俺1人で頑張る必要はないかもだが、まあ、何かあったらハンナが捜しに来てくれるだろ」
しばらく寝ててくれよ、と倒れた巨体を軽く撫で、俺はゆっくりと、モリクイが作った道を歩いて行くのだった。




