俺の嫁はエルフ受けが悪い【32】
落ちる、落ちる。
ゆっくりと、確実に下へ下へと落ちていく感覚がある。
周囲は怖いくらいに真っ暗で、何の音も聞こえない。
深夜の湖面に落ちたりしたら、こんな具合に沈んでいくのだろうか?
なんてことは思えど、実際水中のようであるかというと、そんなこともなかったりする。
奇妙な浮遊感と共に、下へ、下へ。
もがいても動いても、背を下に向けたまま、体制すら変わることなく、落ちていく。
ずいぶんと長い時間落下したような気もするし、大して時間が経っていないような気もしている。
落ち続ける中で、俺はぼんやりと考えた。
このまま落下し続けるだけなのだとしたら、この時点で俺は詰んでいる。
俺は確かに不死身だが、あくまでただ不死身なだけだ。
どこかの地点にリスポーンするだとか、死んでも生き返る手段があるだとか、そういう便利な能力ではない。
なんなら空腹が過ぎれば餓死寸前で止まり続けて地獄を見るし、脱水も同様、普通ならもう死んでる、でもまだ生きてる、というギリギリでしか俺の能力は効果を発揮しない。
あまりにも無意味というか、しょうもない能力だ。
だが、だからこそ、肉体を無駄遣いすることだってできるし、回復魔法があるこの世界においては多少なり有用だったりするのだが。
問題となるのは、こういう、無の空間に閉じ込められるだとか、肉体や周囲の時間を止められるだとか、完全に停止させられるとか、そういう封じ方をされた時。
俺は不死身なだけの他はただレベルが高い程度の男なので、ぶん殴ったりして解決できない事態は本当に困る。
魔法は使えない、スキルは敵の注意を引けるだけ、他にこれといった特技も技術も持ち合わせてはいない。
だからこそ、そういうことをされる前に事態を解決したり、敵をぶっ飛ばしたりする、というのが定石なわけなんだが……こうなっちまったもんはしょうがない。
何をどうしたら解決するか、解決に向かえるのか考える必要がありそうだが、それにしても、この状況だ。
落ちてるってことなら、底がありそうなものだが。
「……何も見えないな」
落ちるに至った入口から、底の底まで、首を回して見てみても、どこまでも続く闇が広がっているばかりだ。
手がかりになりそうなものすら1つもないとなると、本当に困ってしまう。
「おーい!」
とりあえず声をあげてみたが、わずかに反響する以外、これといった反応もない。
「参ったなぁ……」
この状況に陥った原因は覚えている。あのカエルだ。
あいつに食われたことでこうなっているわけだが、それがシンプルにそのまま反映されてる、というわけではないだろう。
入口に当たる口が見えないのもおかしいし、木々を組み合わせていたあの体、その中を落ちているのだとしたら、周囲に隙間が少しもないのだって変だ。
ここはたぶん、通常の空間ではない。
俺はあのカエルに飲まれると同時に、何らかの特殊な空間に放り込まれてしまったのだ。
それが魔法によるものか、はたまた別の要因によるものなのかは分からないが、どっちにしても俺自身に対処できるようなものではないのは確かだろう。
だとすれば、俺が望むべきは1つ。
外で誰かが助けてくれることを待つ、ということ。
幸い、マサギのやつは俺が食われるところを見ているわけだし、ハンナに知らせるなり村に助けを呼びに行くなりしてもらえればどうとでもなるだろう。
最悪でもマサギが全力で暴れてくれさえすれば、あのカエルも倒せる、かもしれないし。
何にしても俺がやるべきことはシンプルで、この落ち続ける状況の中、消耗したりしないようにじっとしていること――ではあるのだが。
「それだけってわけには、いかないよなぁ」
このままぼんやり落ちてる間に事態が解決しました、ってのは、ちょっといただけない。
そもそも、俺がこいつに大人しく食われたのは、俺に用があるみたいだったからであって、無限の闇に落とされるためではないのだ。
向こうに対話の意志がないのなら、その時はその時、大人しく外部からの解決を待つこととしよう。
でも、そうじゃないのなら。
「なあ、おい!」
虚空に向かって叫ぶ。
「俺をこうやって連れてきたのには、なんかしらの理由があるんだろ? こうやってただ閉じ込めてやりたい、ってんなら、まあ、しょうがないけどさ。何かしら別の用事があるってんなら、相手になるぞ」
静寂は続く。
「俺に対して恨みを持ってるんなら殴るなりなんなり、好きにしてもらって構わないんだけどな。俺は死なないもんだから、このままずっと閉じ込められてても、お前が朽ちるまで生き続けるだけなんだよ。だから、まあ、もっと直接的な手段とかをおススメするぞ」
返事はない。
「恨みつらみ、復讐が目的じゃないってんなら、そうだな……なんか聞きたいことでもあったか? それかなんか俺に対して気になることでもあったか。まあ調べたいってんなら別にいくら調べてもらってもいいけどさ」
反応がないままに話すというのも、なかなか厳しいものがある。
さてどうしたものかな、と頭を掻き、次はなんと声をかけたものか考えていると、
『……怖い……』
不意に声が響いてきた。
どこからともなく聞こえたそれは、少しだけ幼い印象の、か細いものだった。
「怖い、ってのは、あー、俺か?」
肯定するかのように、空間が縦に揺れた。
頷き、だろうか?
「怖いってのはまた、なんでだよ?」
『怖い……怖い……全部、怖い……』
「全部かぁ、そりゃ参ったなぁ」
そんなもん、俺が俺である以上、どうあっても怖がられてしまうじゃないか。
『怖いから……怖いからここにいて……』
「なんだそれ。ああ、あれか、俺がこのまま閉じ込められていれば、それで安心、ってことか?」
再び、肯定するように空間が揺れる。
なるほど、目的は何となく分かったが、
「俺としては、正直このままってのはおススメしないな……」
このままだと、こいつにとっては良くない方向に事態が転がりかねない。
もちろん俺としては出してほしい一心ではあるのだが、こいつの考えを聞いた以上、こいつのためにも俺はここを出る必要がある。
そう思う俺ではあるが、こいつが素直に聞き入れてくれるとは思えない。
「お前の言う通り、確かに怖い俺を無力化するなり封じ込めるなりしたいなら、これが良い方法なのかもしれないけどな。残念なことに、俺を閉じ込めたりすると、俺の嫁さんや家族や仲間が大勢でお前を攻撃しに来ちまうかもしれないんだよ」
以前閉じ込められた時、木々に向かってかけた言葉ははったり込みの脅しだった。
しかし今回は、マジの警告である。
「お前さんを怖がらせちまったのは、俺の落ち度だ。それは悪かった。だかな、このままだと俺の時みたいに、脅しで済まない可能性がある。信じちゃもらえないかもしれないが……俺はできればお前を傷つけたくないんだよ」
言いながら、俺は何となく、この俺を飲み込んだカエルの正体に気付き始めていた。
この森に縁があり、俺に縁があり、そして、俺を怖がっている、木の寄り集まった存在となれば、分からない方がおかしい。
『嘘……嘘ついてる……』
「嘘じゃない、って言っても信じてくれないよな……どうしたもんかなぁ……」
こうなった元凶である俺が何を言っても無駄、というのは分かっているのだが、それでも、このまま放っておけば、こいつは今まで以上の恐怖や痛みを味わうことになってしまう。
話し言葉や行動を見るに、こいつはまだ幼いか、幼い知性のまま今まで生きてきたのだろう。
そんなやつに、トラウマを植え付けた俺の罪は重いが、それはそれとして、新たなトラウマを植え付ける必要はないと思う。
多少の恐怖や危機感ってのは必要なものだが、必要以上の痛みや恐怖から得るものなんて、必要ないはずなのだ。
そんなことを思いながら、ふと、家で今頃ハンナと昼寝をしているであろう、サラのことを思い出す。
俺は、もしかしたらこいつに、あの子と同じような思いを……決して許されないことを、してしまったのかもしれない。
何か行動を取る度に、取られる度に、嫌な記憶を呼び起こして身構えてしまうような、そんな思いを。
もしそうなのだとしたら、俺はなおのこと、ここから出なくちゃならない。
「なあ、頼む! 手遅れになる前に、早く俺を――」
しかし、こういう時、思惑通りにはいかないものだ。
焦りながら叫ぶ俺の言葉を遮るように、凄まじい振動が空間に響いた。
先ほどまでの肯定のそれとはまるで違う、横からの衝撃。
例えば、いきなり横から凄まじい力で殴り付けられた時のような……いや、きっとこれは、ような、ではないのだろう。
「おいおいマズいぞ……!」
このインパクト、威力、おそらくマサギだ。
あいつが外から無造作にこの木の塊を殴り付けているのだろう。
「早くしないと手遅れになる! 今からでも俺に止めさせてくれ! 頼む!」
叫びは響くも、返事はない。
ただただ幾度も撃ち込まれる衝撃が、絶望的に続くだけだ。
『……痛い……』
やがて、か細く、声がした。
『痛い……怖い……やだ……痛いのやだ……怖いのやだ……やだよぉ……』
それは、あまりにも弱々しく、それでいて、切実な声。
悲しみと、恐怖と、救いを求める想いが滲む、悲痛な声だ。
「大丈夫だ」
声に応える。
ほとんど無意識に、俺はただはっきりと告げた。
「俺に任せろ」
瞬間、何も見えなかった闇が裂けた。
空中を落下する。
このまま落ちれば俺はミンチになり、そしてかろうじて生き延びれるところまで再生させられるのだろう。
だが、それがどうした。
「こっちだ!」
『ヘイトフル』を発動させる。
崩れ落ちていく木片の間から、中空を見れば、
「ユウキ殿ぉぉぉぉっ!」
真っすぐにこちらへと落ちてくる、1匹の筋肉ダルマ。
「お前ってやつは、なんでそう、やることが極端なんだこの、脳味噌筋肉ウサギぃ!」
拳を引き、こちらに飛び込んでくるマサギの面をじっと睨む。
俺を抱きかかえようとするその手を、身を捩ってかわし、右拳を頬に叩き込んだ。
拳が砕ける感触は、おそらくマサギの頬骨も砕いていることだろう。
まったくこいつは、これぐらいの仕置きをしなくては気が済まん。
「マサギ、一先ず今はここまでだ! 帰ったらまたおせっ」
と、言い切る直前。
俺はいよいよ地面に追突し、その上から、おびただしい量の木片が崩れ落ちてきた。
腹やら腕やら、いたるところに突き刺さる痛みを感じながら、じわりじわりと、俺の意識は闇に溶けていくのだった。




