俺の嫁はエルフ受けが悪い【31】
「オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛……」
俺とマサギが同時に見上げる先、真っ黒な影を落とすそれは嘆きのような力ない呻き声を上げた。
広場を囲む木々は俺たちの背丈よりずっと高いが、暗い影を落とすそれは木々のさらに上をゆく巨体を持ち合わせていた。
一言でその姿を現すなら、木々で作られた巨大なカエル、だろうか。
枝を重ねて束ねた体のように見えるが、そのサイズからして1つ1つが成長しきった木々なのだろう。
瞳に当たる部分は黒い空洞が広がっており、横に広い口のような洞はどこまでも続いているかのように真っ暗だ。
巨体が動く度、その体は軋み、悲鳴に似た音をあげる。
外見も相まって、あまりにもホラーなその姿はとても不気味、なのだが。
「……なーんか、見覚えあるような……」
俺はどういうわけか、その姿に既視感を覚えるのだった。
「ユウキ殿! 呑気に見上げている場合ではありません、警戒を!」
「ん、ああ、そうだな……」
あんな化物、もし出会っていたとしたら忘れているはずがないと思うのだが、さてはて、どういうわけだろうか?
「オ゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛……」
カエルは鳴き声と共に前足を上げ、ゆったりとした動きでそれを広場に降ろそうとしていた。
その手を、思わずじっと見つめる。
なんなのだろうか、この感覚は。
普段であれば、警戒もしたし咄嗟に動くこともできたはずなのに、どういうわけかこの手から逃げずにいる。
ただ、逃げられない、のとは少し違った。
カエルの動きは緩慢なものだったし、やろうと思えば掠りもしない場所まですぐに移動できただろう。
それでも、俺は、向けられる巨大な手を受け入れようとしてしまった。
「ユウキ殿ぉ!」
突如、横っ腹に重たい衝撃が走る。
驚く間もなく地面を転がり、俺は我に返った。
すると、少し遅れて、それまで俺がいた場所に、ゆっくりとカエルの手が降ろされるのが見えた。
「ユウキ殿、どうされたというのですか! あのような巨体に潰されれば、さすがのユウキ殿であったとしてもペチャンコですぞ!」
「いや、すまん、なんかぼーっとしちゃってな……」
起き上がり、改めてカエルを見上げる。
カエルは、広場に右前足を降ろしたまま、じっと空虚な双眸を手元へと向け続けている。
ただ佇む姿はどことなく虚しく、暴れ出すような様子も見受けられない。
「あやつは何者なのでしょうな……ヒナタメ殿、何かご存知ですか?」
「ワシが答える義理などない。ふん……助けたつもりか? ワシのことなど放っておけば良いものを……」
「そういうわけにはいきませんとも!」
よく見れば、ヒナタメはマサギの小脇に抱えられていた。
咄嗟に彼まで助けているとは、マサギにしては珍しくちゃんとしている。
なんなら、俺の体もまったくダメージを受けていなかった。
今朝だって寝ぼけて俺の脇腹を蹴り潰したというのに。
彼の確実な成長に、思わず目頭が熱くなる。
「む、どうしましたか、ユウキ殿」
「いや、ちょっと目にホコリがな……」
ベタなことを言いながら目元を手で覆う。
今はそれどころではないのだ、気を引き締めなくては。
悪態をつくばかりのヒナタメは頼りにならない。
彼にあの化物を追い払ってもらうのは難しいだろう。
ただでさえ俺は嫌われているし、マサギも家族だと知られている。
それに何より、この広場にまであんな化物の侵入を許しているのだ。
彼に森の主としての働きを期待するのは酷だろう。
心の病は誰にだって訪れるものだし、そうなった原因は確実に俺だ。
喪失感だとか、絶望感だとか、そういったものに心を病んでいるうちは、仕事なんて手につかないものなのだ。
「さて、どうするか……」
このままヒナタメを連れて逃げる、というのは難しいだろう。
彼は森を出たがらない。
森の主である以上出られない、というのもあるが、それ以上に、彼はこの森の外も嫌いなのである。
これもまた根の深い話で、昔サクラに捨てられたのがよほどショックだったらしい。
おかげで自分の居場所だと決めたこの森から彼は出たがらない。
元々ここにあった森そのものも、彼自身が育て上げた今の森も、どちらも彼にとっては大切な自分の家であり、大切な守るべき庭なのだ。
とはいえ、それすら守り切る気力を失っているというのは、どうかと思う。
森が無防備になっていると自覚しているなら、それなりに対応してみれば良いだろうに……なんて、こうなる原因を作った俺からは口が裂けても言えないが。
「ユウキ殿、どうしましょう?」
「うーん、そうだなぁ」
いやそれにしても、だ。
見ている限り、カエルに動きはない。
ここに来るまでに森を破壊して進んできたような音はしていたが、それでもやっぱり変な気がする。
ヒナタメの態度もそうだが、それ以上にこのカエルが変というか、妙というか。
「マサギ、あいつなんだと思う?」
「何、と言いますと?」
「いや、なんて言えばいいんだろうな……」
1つ、確かめてみるとするか。
「マサギ、木の上まで昇るかジャンプするかできたりしないか?」
「木の上ですか、できますが、何故そのようなことを?」
「あいつに明確な意図があるのか知りたい。だから、あの化物が通ってきた道筋を見てほしいんだよ。たぶん木が薙ぎ倒されてるからすぐ分かるはずだ」
「なるほど、ではしばしお待ちを。とぉうっ!」
掛け声と共に、地面を砕きながらマサギは真っ直ぐ頭上に飛び跳ねた。
あっさりと木々を追い越すその脚力に、そりゃ俺の腹ぐらい蹴破れるわな、と納得してしまう。
人間に向けて良いものではない、蹴られたら普通は死ぬ。
「ぬぅぅぅぅっ、着地ぃ! 決まりました! どうです!」
「おう、すごいすごい。で、どうだった?」
「見た限り、森の端からこちらまで、一直線にこちらまで来たようでしたな」
「なるほど」
ということは、明確な意志、意図があって、こいつはここまでやって来たわけだ。
それが分かれば、何となく理解できることもある。
「ヒナタメ、あいつを操ってるのはお前か?」
誰かが操っているのだとすれば、意図はあっても本体に意識がないのだから、違和感が出たり今のように動かなくなったりするのも説明がつく。一応は。
しかし、ヒナタメは呆れたように首を横に振った。
「ワシがそんなことをできると思うか? ワシにできるのは育てることだけ、ただただ大きく育てることだけじゃ。知らんわけではあるまい」
「まあ、だよなぁ」
この返答は実際予想できたものだったので、俺も驚きはしない。
ヒナタメができるのは成長させることだけ――事実、それが理由で彼はサクラに捨てられたのだ。
だとすれば、こいつが俺を明確に狙ってきた理由はなんだ?
考えてみても答えは出ない。
「むっ、ユウキ殿、お気をつけください!」
そうこうしているうちに、カエルがまたゆったりと動き出した。
ミシ、ミシ、と動く度に組み合わされた樹木が軋む。
その手は重たい動きで持ち上がり、そしてまた、俺の方を見ると少しずつこちらに向かって伸びてくるのだった。
「むぅ、またもユウキ殿を狙うとは!」
「いや、待ってくれ」
今度は俺も小脇に抱えるつもりらしいマサギを、俺は手で制した。
「なぜです?」
確かにあのカエルは俺を狙ってはきている。
だがしかし、1つだけ、はっきりとしていることがある。
「なんとなくだけどな、あいつに敵意はないと思うんだ」
動きとしてはただ手を伸ばしてきているだけだし、明確な攻撃のようなものは受けていない。
何より、俺が先ほどまでいた場所を見てみれば、そこに残された手の跡は薄っすらとしたものだった。
体重も力もかけていない、優しい触れ方の形跡だけ。
「マサギ、ちょっと俺はあいつに身をゆだねてみようと思う」
「なっ、危険です!」
「それはそうなんだが、気になっちまってさ。俺に会いに来たのなら、要件ぐらい聞きたいだろ?」
「しかし……!」
心配してくれているからなのか、いつも以上に鼻をひくつかせているマサギを見て、俺は安心させるように笑顔を浮かべた。
「大丈夫、とは断言できないが、まあそんな大問題には発展しないだろうさ。とりあえず、そうだな、俺に何かあった時と、夕方までに片が付かなかった時は、ハンナに知らせてくれ。頼めるか?」
俺の言葉に心底不満そうな唸り声を上げたマサギだったが、やがて、渋々、といった具合に頷いてくれた。
ありがたい限りだ。
「んじゃま、何の用があって俺に会いに来たのか、教えてもらおうか」
俺は改めて、真っすぐにカエルを見た。
巨大な腕がゆっくり、ゆっくりと、俺に向かって迫ってくる。
なぜか人間のものに似た、五指が開かれ、俺の体を優しく包み込んでいく。
丸太で構成されているような指であるのに、痛みを伴うような圧迫は感じられなかった。
静かに運ばれていく間も危険な感じは少しもなく、やがて俺はカエルの顔の前に掲げられた。
「よう」
軽い調子で声をかける。
すると、それまで横一文字に引かれたままだったカエルの口がガバリと開き、
「あっ」
と口にするが早いか、俺はカエルの口の中へと放り込まれてしまうのだった。




