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俺の嫁はエルフ受けが悪い  作者: 吉田しく
1/96

俺の嫁はエルフ受けが悪い【1】

「これは……」

 家の前、広がる小さな畑の中で俺、ユウキは地面を見つめていた。

 冬の終わりごろのことである。

 空は晴れ渡り、日差しも日に日に暖かくなってきた今日この頃。

 俺はいつものように農作業に精を出していた。

 のどかで平和なこの村で、起きる問題というものは限られている。

 隣人問題は住人たちの関係でほぼ起きないし、魔物が存在する世界ではあるものの、こちらの被害も皆無。

 どっかの国が戦争してるだとか、どっかの帝国の軍隊が小さな村々を支配下に置こうと暗躍してるだとか、どこぞの宗教団体が勢力を伸ばしてるだとか、そういう問題とも無関係。

 目下俺たちが気にしているのは、明日の飯のことだとか、家族のためにしてやれることだとか、そんなものばかりだ。

 そして今まさに、目の前で起きている問題はそういう類の代物。

「野菜泥棒、か……?」

 畑の一角、カブを育てていた個所に、掘り起こされた跡があった。

 ちょうど収穫できたであろう丸々とした根菜は、しかしそこにあった痕跡だけを残し、すっかりなくなっていたのである。

 我が家の畑は、俺と嫁のハンナが食っていくためにある。

 そのため量も大したことなく、毎日必死に世話をする必要もない、こじんまりとしたものだ。

 だからこそ、こういった、ちょっとの被害であってもそれなりに痛手だったりはする。

 何しろ、考えていた日々の献立が崩れるわけだから、これは痛手だ。

 まあ、足りなければ街に買いに行ったり、近所の人に分けてもらったりすれば良いだけなので、そこまで大きく困る、というわけではないのだが。

「ここまで入って来れる、ってのは気になるよなぁ……」

 確かに、うちの近所は村はずれの方ではある。

 すぐ近くに村を取り囲む森が広がっており、野生動物が入り込んだっておかしくない立地ではあるのだが、それはあり得ないことだ。

 うちの村は全体に獣避けの結界が張り巡らされている。

 ここに住んでいる術師は凄腕だ。

 余程の怪物か、誰かが招き入れでもしない限り獣だろうが魔物だろうが入ってはこれないはず。

 それなのにこうして畑が荒らされているということは、人為的なことも考えられる。

 とはいえ、村の人たちのことを考えてみるも、どうにも怪しい人物は思い浮かばない。

 俺たちの村は、住民同士が助け合いながら暮らしている。

 のどかで、平和で、牧歌的。

 それがこの村の長所であり、目指しているものでもあるのだ。

 全員で平和にのんびり暮らす、という意識がある以上、村人のなかに犯人がいるとは考えにくい。

「さて、どうしたものか」

 村の人たちに相談するべきかな、何てことを考えていると、

「ユウキさーん!」

 愛らしい声が聞こえてきた。

 見れば、畑を挟んだ道の向こうで最愛の妻、ハンナがこちらに手を振っている。

 金色の髪を揺らし、たわわな胸元も揺らしながら、小柄な全身を使って賢明にこちらに存在をアピールする姿のなんと愛らしいことか!

「ハンナー!」

 手を振り返すと、彼女はよりいっそう嬉しそうに手を振って、こちらにやって来た。

「お昼ご飯を作ってきました! 一緒に食べませんか?」

 彼女は、持っているバスケットを掲げて楽しげに笑みを浮かべる。

 そのあまりの可愛らしさに抱き締めたくなる気持ちをグッと堪えて。

「ありがとな。手を洗ってくるから、少し待っていてくれ」

 努めて紳士的に、俺はハンナに笑顔を返すのだった。



「泥棒さん、ですか?」

「ああ」

 ハンナお手製のサンドイッチを食べながら、俺は頷く。

 ジャムとヨーグルトのくどくない甘さが絶妙だ。

 畑から少し離れた場所に布を敷いて、俺たちは並んで昼食を取っていた。

 まだまだ肌寒い時期ではあるものの、今日は日差しが温かく、とても過ごしやすい。風もほとんどないし、こうして外で食事をするにはぴったりだ。

「作物が少し抜かれててな。全部じゃないのが、逆に気持ち悪いというか」

「な、なるほど……」

「タイミングとしては、昨日の昼過ぎから夜の間に行われた犯行だ。昨日、俺がいない間、畑に何か異変はなかったか?」

 昨日は森に入っていたので、畑の方はハンナに任せていた。

 もし彼女が何か見ているのだとしたら、話が早いのだが――

「い、いえ! 何にも、あ、ありませんデシタヨ?」

 どうやら、何か知っているらしい。

「ハンナ?」

「は、はい?」

 何もありませんよ、何も、とでも言いたげに、彼女は目を逸らしてサンドイッチをもぐもぐ頬張っていく。

 しかし、小さな彼女の口にはたくさん入らないようで、遅々としてサンドイッチは減らず、彼女は必死に口を動かすばかりである。

 その小動物的可愛さに俺はキュンキュンきていたが、ここでほだされるわけにはいかない。

「何か知っているなら教えてくれ。もし結界を突破できる魔物がいたりするなら、対策を取らなきゃいけないし」

「そ、それは、大丈夫ですよ、たぶん……」

「……そう言うってことは、泥棒の正体、知ってるんだな?」

 俺の指摘に、ハンナは勢い良くサンドイッチを喉に詰まらせた。

 苦しそうにている彼女にお茶を渡し、俺は苦笑した。

 元々、人を騙すなんてこととは縁遠いくせに、何だってまたこんなことをしたのやら。

 涙目になりながらゆっくりとお茶を飲むハンナに、俺はなるべく優しく言う。

「何があったかは分からないが、ハンナがしたかったことなんだろ? だったら俺が怒るようなことじゃないのは間違いないさ」

「それは……」

「でもな、ここは俺たちだけの村じゃない。他の人たちに迷惑はかけられないだろ? だから、できれば理由を教えてほしい。俺にできる協力ならいくらでもするからさ」

「ユウキさん……!」

 ぱあっ、と表情を明るくさせるハンナに、俺は笑顔で耐える。

 どうしたってこう、いついかなる時も可愛いのやら。

 できることなら四六時中彼女を猫可愛がりしたいぐらいなのだが、さすがにそういうわけにもいかない。

 でも、いつか1日使って、彼女を独り占めする日を作ろうとは思う。

 忘れずにお願いしよう、必ず。

「あの、あのですね」

「うん」

 ちゃんと聞いてるぞ、という意思を見せるため、彼女を真っ直ぐ見つめる。

 空を思わせる潤んだ瞳、薄く紅を散らした柔らかそうな頬、風に溶けるような黄金の髪。

 いつだってハンナは信じられないぐらい可愛い。

 この可愛さを理解できない連中がいることが、本当に心から不思議でならないのだが、まあ、今はそんなことはどうでもいい。

 一生懸命に話そうとしてくれる姿も、果てしなくキュートなのだ。

 この可愛さに真剣に向き合う以上に大事なことなんてこの世にはきっと存在しないのだから。

「ウサギさんが、いたんです」

「ウサギ?」

 首を傾げる俺に、ハンナは両手を頭の方にやり、ぴょこぴょこと動かした。

 どうやら、ウサギの耳のつもりらしい。

「はい、ウサギさんです」



 ハンナが言うには、夕暮れから夜近くになる頃、ウサギが現れるのだという。

「茂みの方から、顔だけ出してるんです。声をかけても出てこなくって……昨日も来てたので、試しにカブをあげてみたんですが、咥えて逃げちゃって……」

「なるほどなぁ」

 二人で家から椅子を運びながら、ウサギが出たという茂みの辺りに向かう。

 なんでも、ウサギは夕方以降、気まぐれに現れるのだそうだ。

「今日も来てくれるか分かりませんが、もし来てくれたら今日こそ、茂みから出てきてもらいたいんです」

「出てきてもらって、どうするんだ? 飼うのか?」

「えっ、いえ、そこまでは……その、あんなに近くまで来てくれる動物さんには久しぶりに会ったので、懐かしくなりまして……お友達になれたらいいな、と」

 えへへ、と笑う彼女を見て、優しい気持ちが沸きあがる。

 確かに、エルフの森にいた頃、彼女はよく森の動物たちと話していた。

 エルフの友達がいなかった、というのも原因だろうが、彼女は旅先でもよく動物と話していたように思う。

 結界の関係で野鳥すら珍しいこの村では、そういったアニマルセラピー的なものが足りてなかったかもしれない。

「それなら、俺も友達になれると嬉しいな」

「! きっとユウキさんも仲良くなれますよ! 大人しそうな子でしたし、ゆっくりと仲良くなっていけば、きっと!」

「だといいなぁ」

 どうにも、こちらの世界の動物たちと俺は相性が良くなかった。

 良くて無関心、基本的には敵対スタートで、出会い頭に戦闘開始、なんてこともざらだった。

 そういう場合、たいていは殴り合いとなり、勝負した後は分かり合えることもある、といった具合だ。

 しかもこれが転生特典のスキルのおかげで、というのだから、ままならない。

「こちらです!」

 ハンナに案内された場所は、ちょうど村と森の境目となる茂みの前だった。

 すぐ後ろにはうちの畑があり、なるほど、これなら確かにカブを渡すのにもちょうどいい。

「お茶も用意してきたし、のんびり待ってみるか」

「はい!」

 俺が受け入れたことに、ハンナは分かりやすくテンションを上げていた。

 ウキウキとした様子で彼女は椅子にクッションを置いたり、柔らかな毛皮で作ったカバーをかけたり、と準備を進めている。

 そんな彼女を眺めながら俺がお茶をマグカップに注いでいると、

「あっ」

 不意に、彼女は空を見て声をあげた。

 同じように頭上に視線を向けると、薄闇が広がる空に、煌々と輝く一点の光が見えた。

「星が出て来ましたね」

「すぐに暗くなってくるな」

 柔らかく座り心地を増した木製の椅子に腰かけて、俺たちはそれぞれブランケットやら防寒具やらで体中をもこもこにしつつ、ウサギを待った。

 少しずつ暗く色を失っていく視界の中、ゆったりと昇る湯気と吐く息だけが白く、世界に唯一の色のようだ。

 そんな時は頭上を見上げ、増えていく星に目を凝らす。

 時間と共に増えていく明滅する白や赤、黄や橙の輝きに、自然と頬が綻ぶ。

「綺麗ですね……」

「そうだな」

 穏やかに緩やかに、時間が少しずつ夜に溶けていく。

 こんな景色を共に眺めているのが、最愛の人である幸福の何と尊いことか。

 少しぬるくなったお茶を啜り、体中に満ちた充足の気持ちを込めて、真白に染まった息を吐く。

 隣を見れば、同じようにハンナも大きく息を吐いていた。

 視線がぶつかって、どちらともなく微笑み合う。

 温かな幸せってやつは、どうしてこう、たまらない吐息になって漏れ出ていってしまうのだろう。

 冷えた空気を吸い込んで、わずかな寂しさと、それをかき消すぐらいの優しい時間を微睡む。いかん、穏やか過ぎて、寝てしまいそうだ。

 眠気を払うように頭を振り、目線を茂みの方に戻すと、

「うおっ」

 目の前に、ウサギの顔があった。

 茂みの中から、いつの間にかひょっこりと顔だけを出し、クリっとした黒目をじっとこちらに向けている。

「ハンナ、ウサギが来てるぞ」

「ふぇっ? ああ、ホントです……」

 俺以上に寝ぼけた様子のハンナは、事前に用意していたニンジンスティックを手にふらふらとウサギに歩み寄って行った。

「はい、どうぞウサギさん……」

 ふにゃふにゃの笑顔を浮かべながら、ハンナがニンジンを差し出すと、ウサギは少し鼻をひくつかせた後、ゆっくりと尖端を齧り始めた。

 動物園の触れ合いコーナーを思い出す、微笑ましい光景だ。

 ところで、カブだとかニンジンだとかウサギだとか、普通の野菜やら動物が次から次へと出てきているわけだが、理由がきちんとある。

 これらの呼び名は、俺のような転生者が付けた名前だ。

 元々のこの世界での呼び名は知らないが、俺たちはそう呼んでいるし、どうも転生してきた時点で言語関連も自動翻訳されるらしく、ハンナたち地元民の言葉でも同じ呼び名を使えた。

 そういうわけで俺たちは齟齬なく元居た世界の呼称を似たモノに対して使っているわけだが、

「うふふ、可愛いですねぇ。ユウキさんも、あげてみませんか?」

 異世界ゆえに、予想だにしない大きな間違いも発生する。

 こちらを振り向くハンナの手前で、がさがさと茂みが揺れ、黒い影が立ち上がった。

 ハンナを見下ろす真っ黒な瞳と、巨大な筋肉の塊が、そこにあった。

「っ、逃げろ、ハンナ!」

 咄嗟にかけていたブランケットを放り投げ、俺は、ウサギの顔にボディビルダーの体がくっついたような化物に突貫した。

 全力で右拳を振り抜くも、はち切れんばかりの筋肉に覆われた胸板でそれを受け止め、ウサギのような何かは俺を見下ろし、お返しだと言わんばかりに拳を振るってきた。

 咄嗟に逆側の手でそれを弾き、軌道を逸らす。

 凄まじい重さだが、受けきれない程じゃない。

 改めて、目の前のウサギのような何かを見上げ、ステータスを確認する。

「レベル60、マッシヴ・ウサギ……悪夢みたいな名前と見た目だな……」

 俺はハンナを抱きかかえ、軽く距離を取った。

 見れば、すでにやつは村と森の境界線を越え、結界の内側に入って来ていた。

 どうやら、ハンナが直接渡したニンジンで『迎え入れた』判定が下ったらしい。

「ハンナ、大丈夫か?」

 声をかけると、腕の中でハンナは真っ蒼な顔でウサギを見つめていた。

「う、うさ、ウサギさん……?」

「……気の毒だが、あれは普通のウサギじゃないぞ」

「そんな……」

 がっしりとした、熊ぐらいはある体躯と、体毛越しによく分かるはち切れんばかりの筋肉が特徴的なウサギは、静かに拳を握った。

 どうやら、やる気らしい。

「ハンナ、少し離れていてくれるか?」

「えっ、な、何を?」

「言っただろ?」

 俺はショックを受けているらしいハンナを優しく降ろし、着ていた防寒具を脱いだ。

「友達になるんだよ」



 風を切り、1人と1匹の拳がぶつかり合った。

 1撃、2撃、と互いの腕が唸り、弾ける筋肉の音がすっかり暗くなった森の奥に響いていた。

 強化をかけた俺のラッシュに、ウサギは的確なガードをかましてくる。

 俺自身、別に武闘家などではない。所詮は素人の拳だが、それでも一撃の重さには自信がある。

 しばらくの間無心に打ち込んでいると、少しずつ、ウサギが防ぐだけの時間が増え始めていた。

 俺自身の持つ転生者特典は大したことがない。

 だからこそ、俺はただただ、一撃の威力を増すことに専心した。

 とはいえ、研ぎ澄まされた技術も、研鑽の果ての武術も、剣技やその他の格闘技も俺は持ち合わせていない。

 ただの拳骨。

 ただのパンチ。

 素人に毛が生えた程度の、痛い痛い打撃。

 しかしガードを捨て、ただ攻撃することだけに専念したそれは、確実に相手に少なからずのダメージを与える。

「どうした、痛くなってきたか」

 ウサギの動きに、引きや受けが増え始めた。

 どれだけの拳を撃ち込まれようと、攻撃を逸らしきれずとも、俺には関係がない。

 痛みは体の自由を奪おうとする。

 砕けた拳は攻撃を躊躇させようとする。

 いくつもの打撲と打ち身が、肌を青くさせ、皮膚が裂けて血がにじみ出す。

 だが、そんなことで俺は倒せない。どれだけの傷をつけられても、俺には関係ない。

「そんなもんじゃ俺には届かないぞ、筋肉ダルマ!」

 相手を鼓舞するように、発破をかけるように、俺は声を張る。

 その言葉に応えるように、ウサギは渾身の力を込め、拳を振り抜いた。

 今までのウサギの拳の中でも、何より速く、鋭い一撃が俺の顔面を捕らえる。

 常人ならば、決して受けきれない破壊力が、俺の首を確実にへし折った。

「……」

 立ったまま、俺の顔面はひしゃげ、首は明後日の方向にねじり曲がり、目線は斜め後ろを見てしまっている。

 これだけのことをされても、俺の意識は途切れず、死ぬこともない。

 この異世界に転生し、俺が得た力は、転生者たちが持つ基本スキルに加え、ただ一つ。

 文字通りの、不死身、だった。

「あー……痛ぇなぁ!」

 ゴキリ、と骨を無理矢理捻じ曲げて、俺は手で頭を支えたまま血塗れの視界でウサギを睨む。

「良い拳持ってるじゃないか、ウサギ!」

 吠えるような俺の声に、ウサギが目を見張った。

 ウサギの表情というのは、全くと言っても良いほど変化しない。

 たとえマッシヴになっていたとしても、そこは変わらないらしいが、どことなく、今のウサギからは驚きと、興奮のようなものが感じられた。

「ハンナ」

「はっ、はいっ!」

 すっかり蚊帳の外となり、呆然としていたハンナは、俺の声で我に返ったのか、上ずった返事をした。

 まあ、うん、そうなるよな。いきなりこうなっては。

「悪いが少し治癒魔法を頼めるか? 首がこのままだとさすがにやりづらいからな」

「えっ、あっ、はい、分かりました……」

 明らかに困惑しているようだったが、俺はまだ、ウサギとの決着がついたとは思っていなかった。

 ウサギもまた、静かに俺の準備が整うのを待っている。

 月明かりの下、もはやそこにいるのは1人の人間と1匹の獣などではなく、2人の漢がただ、解り合っているだけだった。

「ウサギ、今度は俺の番だ……全力でいく、歯ぁ食い縛れよ!」

 俺は今まで以上に、全霊をかけて拳を握る。

 それは確実にウサギの胸元に叩き込まれた。

 先ほどのように、彼はその胸板で受け止めようとしたが、俺の拳はそのまま筋肉にめり込み、ウサギの巨躯を殴り飛ばした。

 木々の枝葉を巻き込みながら、ウサギは森の闇へと消えて行く。

 やがて、音もなく静寂が訪れたと同時、俺は細く長い息を吐いた。

「凄まじいやつだった……強化なしだと、やっぱキツいな……」

「ゆ、ユウキさん!」

 膝をつく俺に、ハンナが駆け寄ってくる。

 目一杯に浮かべた涙を見て、拭ってやらなきゃなぁ、と手を挙げかけ、やめた。

 こんな血塗れの手で振れたら、綺麗なハンナの顔が汚れてしまう。

「す、すぐに治療しますから! 動かないでくださいね!」

「あー、まあ、ほぼ動けないからゆっくりでいいぞ。痛いのは慣れてるし……」

「そういう問題じゃありません! なんであんな無茶したんですか……!」

 必死に治癒魔法をかけてくれるハンナに、俺は苦笑を浮かべることしかできない。

 無茶をしたつもりは俺にはない。

 むしろ、こうすることがあのウサギへの礼儀のような気がしたのだ。

 実際、久しぶりにきちんと戦闘をして、勝った感覚がある。

 冒険者を引退して以来久しい、清々しい勝利の疲労感だ。

「まあ、その、漢同士の戦いってやつだよ、うん」

 この辺の感覚を説明するのは難しいし、理解されるともあまり思えない。

 どれだけ懇切丁寧に伝えたとしても、こればっかりは実際に経験した人間にしか分からない感覚だと思うし。

 だがもちろん、そんなことは彼女には関係ないわけで。

「……ユウキさんがそう言う時は、何か譲れないものがあるんだと思います。でも、それでも、やっぱり嫌なんです。こうやって、ユウキさんが傷つくのは……」

 懸命に治療してくれるハンナのおかげで、痛みも引いてきたし、どうにか血も止まったようだ。軽く手を拭いて、彼女の涙を拭う。

「……うん、ごめんな。いつも俺はハンナを泣かせてばっかだ」

 どうにか笑ってほしくて、こういう時、ついつい俺は笑顔を向けてしまう。

 俺が笑ったところで、ハンナが笑えるはずもないのに。

「そうやって、ずるいです、いっつも……」

 俯いてしまうハンナに、さて何と声をかけるべきかと考えていると、

「お嬢さん、顔をお上げなさい」

 妙にダンディな、渋い声が森の方から聞こえてきた。

 思わず2人で目を向けると、そこにはマッシヴなウサギが行儀良く気を付けをして立っていた。

「お嬢さんのような美しく心優しい女性に、涙は似合いませんよ」

「……」

 唖然。

 俺とハンナは揃って固まったまま、ダンディな声を出すウサギを見つめていた。

「いやはや、最後の一撃は効きました。私の完全敗北です、旦那様」

「……」

「ここら一帯でもこの筋肉に勝る者なし、と驕っていた自分を恥ずかしく思うばかりです。そして重ねてお恥ずかしながら、不肖マッシヴ・ウサギ、その強さに惚れ込みました! どうか、私を仲間として迎え入れてはいただけませんか!」

 優雅、かつ、力強く、ウサギは恭しい礼を繰り出した。

 起き上がり、仲間になりたそうにこちらを見ている筋肉質なウサギを前に、俺は頭を抱えるばかりなのだった。



 この異世界に来て、早10年が過ぎようとしていた。

 最初こそ、勇者の真似事のように冒険者として過ごしていたが、ある日俺は引退を決意し、転生者たちの行き着く場所と呼ばれる村に移住した。

 傍らには、美しいエルフの嫁、ハンナがいつも一緒だ。

 そんな俺の生活に、先日新たな家族が加わった。

「旦那様、それでは薪割に行ってまいります。お昼には一度戻りますので、昼食にはサラダをお願いしたく!」

「ああ、作っておくから頼むぞ、マサギ」

「はいっ!」

 ビシッ、と力強く敬礼をしたマッシヴ・ウサギのマサギは元気いっぱいに家を出て行った。

「今日も元気ですねぇ、マサギさんは」

「だなぁ。おかげで俺の仕事が減って、暇過ぎて困る」

「うふふ、そうですね」

 なぜか笑顔のハンナに、俺は苦笑を返す。

「ハンナは俺が暇してると嬉しそうだけど、なんでなんだ?」

「そんなの決まってるじゃないですか」

 昼食の下ごしらえでも、と思い野菜の皮むきをしていた俺の隣に来て、ハンナはそっと身を寄せる。

「こうやって、一緒に過ごせる時間が増えるから、です」

 嬉しそうに目を細めるハンナに、俺も思わず、頬を綻ばせてしまう。

 今日も今日とて、彼女と俺の1日は、多少の変化を織り交ぜながらも、平和に過ぎていくのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] ハンナさんいいです。こういう天然的女の子大好きです。自分で書くと何故かツンツン系になります。いつかこういうほんわかま感じの女の子を書いてみたいですが、多分私には無理でしょうね(すいません、感…
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