小兎令嬢は肉食公爵たちに狙われる
拝啓、会場に着くなり娘を一人残してどこかに行ってしまったお父様。
「やぁ。君が小兎子爵の令嬢かい?」
私は今、見ず知らずの男性に話しかけられています。
自分に前世とでも呼ぶべき異世界の記憶がある、と気付いたのは、物心ついたころだった。キャロット子爵、通称「小兎子爵」の次女・シャルロッテとして生まれた私は、けれど、だからといって特別な行動は起こさなかった。
だって別に「変な記憶がある」だけで、やりたいことはなかったし。魔法のある今世と、ない前世。大元からして違う二つの世界で、使える知識があるとも思わなかった。
そもそも高校生までの記憶しかない私には、学校で習ったレベルの知識しかない。別に今の生活には困ってないし、記憶があるからといってやりたいことも、やるべきことも特になかった。
ただし、前世でたくさん読んだ漫画や小説、ゲームの知識は役に立った。物理とか数学とかは役に立たなくても、人というのは変わらない。いわゆる「テンプレ」というやつだ。貴族令嬢の恋愛相談に乗ったり、自分が面倒ごとから逃げるために使ったり。
「こういうときはこう」という知識は、非常にありがたかった。
ちなみに「小兎」というのは我が家の家紋から来た通称だ。この世界の貴族は、家紋として動物の意匠を使っている。上位貴族は見た目からして強そうな動物や神獣を、我が家のように下位貴族は見た目からして可愛い草食動物や虫などを。要は、家紋を見ただけで身分のわかる作りになっている。
だから「小兎」を家紋に使っている我が家は「小兎子爵」。なんで「兎」じゃなくて「小兎」なのかは、私もご先祖様に聞いてみたい。
下位貴族とはいえ、貴族は貴族。付き合いというものは存在するので、今日はその付き合いの舞踏会に参加したところだった。
さて、現実に帰ろう。
にこにこと気安く話しかけてきた男性に見覚えはない。どこかに家紋はあるだろうかと無礼にならない程度に観察すれば、男性はくすりと笑った。
「何か?」
「いえ、噂通りの方だな、と思って」
「・・・」
噂って何ですか、噂って。
そうは思うが、表情に出すわけにはいかない。にっこりと笑顔を取り繕えば、彼もにこやかに微笑んだ。
「一曲お願いできますか?」
差し出された手を、拒む理由はない。というか、拒めない。明らかに自分より上位の貴族を前に、拒否する権限なんてなかった。
面倒くさい、と思いつつも、差し出された手に自分のそれを重ねる。それだけで彼は笑顔を輝かせて、ぎゅっと私の手のひらを握りしめた。
・・・なんだろう、この嫌な予感。
そう思っても、今更後戻りはできない。エスコートされるがままにダンスホールに立ち、流れる音楽に合わせてステップを踏む。
一曲。そうだ、一曲の我慢だ。一曲終わったらすぐに撤退して、仲のいい令嬢たちの中に紛れ込ませてもらおう。そうだ、そうしよう。
「考え事かい?」
「っ!」
耳元で紡がれた声に、思わず後退ろうとして、失敗する。腰を支えられているのだから当たり前だ。変なステップになったけれど、気にする様子もなく男は笑う。
「駄目だよ。ちゃんと集中しないと」
え、今の悪いの私か? 私なのか?
駄目だ、この男の思考が読めない。けれど知っている。こういう強気な人には、無理に逆らわないほうがいい。下手に刺激して、この時間が長引いても困る。
「・・・すみません」
なので大人しく謝罪して、男性の様子を再確認することにした。
雰囲気や仕草から見ても、上位貴族に間違いない。加えて、この自信のありそうな言動。公爵家か侯爵家の長男であってもおかしくない。これ以上関わりたい相手ではないことは確実だ。
よし、逃げよう。こういう人に興味を持たれないためのテンプレと言ったら・・・
「・・・急にどうしたの? 私に興味出た?」
「すみません、あまりにも綺麗なお顔だったので」
こういう人はミーハーな反応は嫌いなことが多い。ぽーっと見惚れる普通の反応をすれば、きっと興味を失って離れていくだろう。
そう思ったのだけど。
「へぇ。君はこの顔が好き?」
「え。あ、はい。そうですね・・・?」
なんでそんな前のめりに聞いてくるんですか。そしてなんでそんなに嬉しそうなんですか。思わず疑問形になってしまったじゃないですか!
・・・・・・もしかしてナルシストタイプだったか!? だったら顔に興味を示すのは間違えた!!
しまった、と思っても時すでに遅し。ナルシストに対する次の一手は・・・えっと・・・ああ、そうだ。
「でも、あちらにいる方のほうがお綺麗だと思います」
ちらりと視線を送った先にいるのは、獅子公爵家の次男・ボリス様だ。お父様と交友があるから、私も親しくさせていただいている。
あ、ボリス様もこっちに気付いたみたい。私と視線が交わると、なぜか目を大きく見開いた。何かすごく驚かれているようだけど・・・え、何?
疑問に思っている私と違い、目の前の男性は私の視線を追ってボリス様を確認すると、
「ふーん、彼も好みなのか。君の好みは幅広いね」
なぜか感心されてしまった。
え、これはどういうことだ? 思った反応じゃなかったけど、ミーハーと思わせることには成功したのではないだろうか。・・・したよね? よし!
相手はボリス様だし、多少迷惑を・・・ごほん。盛っても問題ないと判断して、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「ボリス様はお顔だけじゃなくて、性格もお優しいですから。強くてかっこよくて、素敵ですよね」
獅子公爵、という名を表すように、あのおうちの人は魔力も高いし、剣術だってすごい。向かうところ敵なしだ。「兄はもっと強い」ってボリス様は笑うけど、長男様と会ったことがない私にとっては、ボリス様がこの世で一番強い人だ。それでも驕ったりせず、私のような弱小貴族も気にかけてくれる優しさを持っているのだから、本当に素敵な方だと思っている。
つい熱の入った言葉になってしまったが、ミーハーを演じるにはこれくらいで丁度いい。これで興味を失ってくれたら完璧だ。
そう思って言葉を紡ぎ続けていたら、音楽が止まった。曲が切り替わるのだろう。いい機会だから離れようと思ったところで、ぐいと後ろから手を引かれ、おまけにあごを掴んで上を向かされた。
誰だこんな無礼をするのは。
そう思ったのは一瞬のこと。そこに先ほどまで話していたボリス様を見つければ、自然と笑顔が零れ落ちる。
「ボリス様、ごきげんよう」
「ああ。シャルも来ていたんだな。声をかけてくれればよかったのに」
そうは言われても、ボリス様を見つける前に名前も知らないこの人に話しかけられてしまったのだから仕方ない。ボリス様もわかっているのだろう。すぐに私から目を離し、目の前の男性をまっすぐ見据えた。
「シャルが世話になったようだな」
「私としてはもっと世話したいのだが」
「不要だ。行こう、シャル」
ボリス様に手を引かれて、隣に並んで歩き始める。名前も知らない人から離れられて、私はほっと息を吐いた。
のもつかの間。ダンスホールから出ると、ボリス様の低い声が降って来る。
「シャル。あれが誰だかわかってるのか?」
「いえ、家紋も見当たりませんでしたし・・・」
上位貴族なのはわかるけれど、それだけだ。上位貴族なんて縁がないし、縁がないままでいたいし。ご当主様達はさすがにわかるけど、その子供たちまでなんて覚えていられない。
素直に答えた私に、ボリス様はため息を一つ。そしてとんでもないことを教えてくれた。
「あれは狼公爵だ。ついこの間当主になったばかりのな」
「・・・えっ!?」
狼公爵!? あれが!? 睨まれただけで背筋が凍ると噂のあの狼公爵!?
「耳が出てるぞ」
「!」
指摘されて頭上を触れば、確かにそこにはもふもふした感触が。慌てて消そうと思っても、焦っているせいかうまくできない。耳が出ているということは、尻尾もだろう。ドレスで隠れて見えないことが救いだ。
言い忘れていたが、この世界の住人は普通の人ではない。獣人だ。簡単に言うと、動物を先祖とする人間。耳と尻尾、もしくは翼などの特徴を持って生まれ、大人になって魔力の制御ができるようになると、それを一時的に消す手段を覚える。貴族の世界では、それらを消せて初めて一人前と認められた。
貴族は家紋の動物の特徴を持っているため、私は兎の耳と尻尾がある。そしてボリス様も獅子の耳と尻尾を持っていた。初対面の時、思わず、
「ねこちゃん!!」
と叫んで、思いっきり飛びついてもふもふしてしまったのは黒歴史だ。今、冷静に思うと、とんでもないことをしたと思っている。
獅子。つまりはライオン。に、飛び込んでいく兎。両親はよく叫ばなかったな、ってしみじみ思う。あの時の両親の表情は、一生忘れられないだろう。
だって無謀にもほどがある。いくら前世でペット禁止の家に住み、動物動画を毎日見漁る程度には餓えていたといっても、それはそれ。これはこれ。初対面で耳を触りに来る子供、って普通に考えて誰でも嫌でしょ。
けれど、ボリス様は怒るどころか、笑顔で「いいよ」と言ってくれた。それからも会うたびに触らせてくれたので、私はすっかり懐いてしまった、というわけだ。
話がそれた。とにかく、耳と尻尾のある状態でこんなところにいては、子供が紛れ込んだと思われる。というか、一人だけケモ耳とか恥ずかしい。けれど焦れば焦るほど、うまく消せない。
「う~・・・」
「落ち着くんだ、シャル。一度下がろう、な?」
私を隠すように抱き込んでくれたボリス様に、何度も頷くことで答えとする。やっぱりボリス様優しい。こんなに優しいのに、なんで未だに婚約者がいないのか不思議だ。
そう思いながらも、今は自分のことが最優先。私は耳を隠すように頭を押さえ、びくびくしながら会場を後にした。
◇◇◇◇◇
※狼公爵視点
小兎令嬢が獅子公爵家の次男に連れられて行く。それだけでも許しがたいのに、その姿さえもあの男に隠されてしまった。
ああ・・・この感情、どうやって晴らしてくれようか。
それでも一人でダンスホールに残るわけにはいかない。もやもやとした感情を抱えながらも、会場の隅へと移動した時だった。
「どうだった?」
話しかけてきたのは、部下のフレッドだ。彼に答えるために、一度大きく深呼吸する。
もやもやはある。けれど、答えは決まっていた。
「・・・あの子がいい。あの子に決めた」
そうだ、今は彼に譲ってやろう。私とは初対面なのに対し、あちらとは面識があるようだ。今日だけならば譲ってやる。
今だけ。今日だけだ。次からはこうはいかない。
「あーあ・・・あの子も面倒な奴に目を付けられたものだな」
「なんとでも言え」
元々。小兎家の次女であるシャルロッテ嬢の噂は聞いていた。小兎一族は、善良なものが多い。そのため人に騙されることも多く、貴族としてはありえない理由の借金を抱えていた。
それがここ数年で急激に目減りしたという。誰か優秀な人物でも雇ったのかと思い調べさせたところ、浮かび上がったのが彼女だ。
彼女は人をよく見ている。不審な人物だと思えば父に言い、娘が可愛い子爵が調べ、悪事が発覚。そんなことを何度か繰り返し、芋蔓式に犯罪組織の検挙に至った例もあるほどだ。
元々小兎一族に与えられていた領地は、農作物の育つ豊かな土地。堅実な彼らにとって、借金さえ増えなければ減らすことは簡単だったようだ。
だが、小兎一族にとって、彼女の存在とは異質といっていい。善良であり、人を疑わない小兎一族。そこに人を疑うことを知っている彼女が生まれた。興味を引くには、それだけで十分だったのに。
実際に会った彼女は、興味どころかこの心をすべて持って行ってしまった。
彼女は私に臆することなく踊ってくれた。私と目を合わせ、話してくれた。笑いかけてくれた。それがどれだけ特別なことか、彼女はきっとわかっていない。
通常の下位貴族は、上位貴族であり、肉食動物でもある私たちの前で、対等に言葉を交わすことすら困難だ。捕食者である我々に対し、生存本能に近いレベルで恐怖する。目の前にいるだけでも脅えて震える。そのことをお互いにわかっているから、お互いに近寄らない。無駄に脅えさせることはないし、無駄に脅えられる必要もない。
だから彼らは知らない。私たち上位貴族は、総じて可愛いものが好きだということを。
今日のような階級交じりのパーティーが開催されるのは、私たちが彼らを愛でたいからだ。動物たちにさえ逃げられる私たちにとっては、人間の理性で以て脅えながらも会話してくれる彼らは貴重な存在。時々こうしたパーティーを催しては下位貴族を招待し、彼らが群れている様子を確認し、平和を思うのだ。
可愛がりたい。笑ってほしい。守ってあげたい。どんなことでもしてあげたい。
常日頃からそんな欲求を持つ私たち。そんな私たちの前に現れた、脅えないどころか、「好き」だとさえ言える小兎。
こんなの、惹かれるなという方が無理だ。
「おい、ヴィンセント。あれ」
ふと呼ばれて顔を上げ、フレッドの指差した方角に目を向ける。そこには憎き獅子の子供がおり・・・その隙間からちらりと、ふわふわの耳を持ったシャルロッテが見えた。
「っかっわ・・・!」
な、んだ、あれ。かわいい! 可愛い!!
ふわふわだ。もこもこだ。真っ白で、へたりと垂れて。ああ、こんなにも愛らしいものがこの世に存在していたのか!
こちらの視線に気づいたのだろうか。すぐに獅子の背中に隠されて、ついでに睨まれてしまった。が、脅える理由などこちらにはない。代わりにこちらも睨み返すが、獅子は勝ち誇ったように鼻で笑って人ごみに消えてしまった。
繰り返すが、私たち上位貴族は、総じて可愛いものが好きだ。あの獅子も例外ではない。あれだけ懐かれていれば、可愛いなんてものじゃないだろう。
「・・・絶対落とす」
呟いた決意はフレッドにも聞こえていないだろう。だが、それでいい。
獅子になんて渡すものか。あの子は僕の物だ。獅子だけじゃない。他の貴族たちに見つかる前に、絶対に手に入れて見せる。
「帰るぞ」
「え。もう?」
「用は済んだ」
ここにいても、今日はもう彼女と話すのは難しいだろう。ならば用事などはない。むしろ早く戻って、次の手を考えなくては。
歩き出した私の後をフレッドが慌てて付いてくる。その足音を聞きながら。
先ほどまで確かにこの腕に有った温もりを、思い出さずにはいられなかった。
書きたいところだけ書いて満足しました。
ありがとうございました。
(2020/01/10 追記)
続きができました。
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