第85話.次の試練に備える
平原での勝利で……戦況は完全にこちら有利に傾いた。
まだホルト伯爵の方が数的に優位だが、士気が下がりすぎて、しかも補給すらままならない。後方の野営地を俺に奪われ、多くの物資を失ったのだ。
たぶんホルト伯爵の軍隊では脱走兵が出始めたはずだ。この状況でもう一度負けたら全軍が崩壊する危険すらある。それだけは避けたいだろう。
それにホルト伯爵は俺の力を思い知った。彼が見せた戦術は決して間違っていなかった。ただ俺と俺の兵士たちがその戦術を強引にねじ伏せただけだ。『今の状況で戦っても損するだけ』……ホルト伯爵はそう思っているだろう。
結局俺が全軍を率いて進むだけで、ホルト伯爵は後退するしかなかった。そして3日後……ホルト伯爵はこの地方から完全に撤収した。
敵軍が『焦らずに安全に撤収』できたのは、ホルト伯爵の指揮が素晴らしかったせいだ。だがこれで勝敗は決まった。今回の『ホルト伯爵の侵攻戦』は……俺の完全勝利で終わったのだ。
俺は兵士たちと共に『南の都市』へ凱旋した。大勢の市民たちが道に並んで、俺たちに向かって歓声を上げた。
「おおおお!」
「万歳! 万歳!」
こういう『凱旋式』も兵士たちの士気に大事だ。それに命をかけて戦ってくれた兵士たちは、勝利の栄光を味わう資格がある。
「レッド! レッド! レッド!」
まるで祭りのような雰囲気の中で、人々は俺の名を叫び続けた。俺は馬に乗ってゆっくり進みながら、市民たちの喜ぶ顔を眺めた。
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それから都市中で数日もパーティーが続き、本当に祭りみたいになった。
だが俺にはパーティーよりもやるべきことがいっぱいあった。格闘場の事務室を臨時本部にして、総指揮官としての役目を果たした。
「死傷者たちとその遺族への賠償金の支払いが完了しました」
「ああ」
俺は報告を上げるトムに向かって頷いた。
死傷者たちとその遺族への賠償金には、特に気を遣いたい。疎かにすると軍隊の士気や信用が下がるし、何よりも犠牲になった人々にちゃんと敬意を払わなければならない。
「お前がいてくれて本当に助かったよ」
「ありがとうございます」
小柄のトムは顔を赤くした。
彼の誠実性と熱意のおかげで、俺の負担がかなり減った。できればこれからも副官でいて欲しい。
「トム、お前はこれからどうするんだ?」
俺はトムの顔を見つめた。
「義勇軍も解散されたし、やっぱりロベルトの組織に戻るのか?」
「そのことですが……」
トムが真面目な態度で口を開く。
「うちのボスは、このまま総大将の副官として働くことこそが自分への恩返しだと言いました」
「それは助かるけど……」
俺は頷いた。
「俺の下で働いていると、いずれこの都市から離れなければならない」
「はい?」
「俺はこの都市で満足するつもりはない。命ある限り、常に頂点を目指して進む」
トムが目を見開いた。俺の言葉の意味を理解したんだろう。
「しかしこの都市にはお前が守らなければならない家族がいる」
「それは……」
「兵士たちとは違って、副官は俺の傍からなかなか離れられない」
『レッドの組織』の一員たちは、もう最後まで俺と一緒に行く覚悟ができている。だから俺も彼らに道を示して、どこまでも連れていくつもりだ。だがトムは違う。
「慎重に考えて、自分の道を決めろ」
「……はい」
たぶん俺が『ついて来い』と言ったら、トムは抵抗せずに俺についてくるだろう。だが……そんな中度半端な覚悟では、いずれ後悔することになる。
これだけは自分で考えて自分で決めなければならない。だから俺はそれ以上何も言わなかった。
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戦闘の後処理もある程度落ち着き、俺もロベルトの屋敷でパーティーに参加することになった。
正直に言えば、俺はわざとパーティーを避けていた。どうしても俺には合わない場所だ。だが……総大将の俺がいつまでも戦勝記念パーティーを無視することもできなく、結局再び礼服を着ることになったのだ。
「この都市の自由を守ってくれた戦士たちのために!」
いつも通り、ロベルトの乾杯の挨拶でパーティーが始まった。俺はパーティー場の真ん中に立ち、ジュースを一口飲んだ。
パーティーの主役ってのは、飢えを我慢しながら客の対応をしなければならない。でもこの間まではみんな俺の外見に恐れをなして近づいてこなかったから、俺も結構自由に動けた。しかし今は……この都市の有力者たちとその家族たちが群がって、少しでも俺と長く話そうとする。正直面倒極まりないが……これも総大将としての役目だ。ある程度は仕方ない。
約1時間後……俺は隠密行動を取ってこっそりパーティー場を抜け出した。そしてこの屋敷の誇りである庭園に向かった。
「レッド!」
夜の庭園に入るや否や、誰かが俺の隠密行動を見破った。俺は驚いて振り向いた。
「……アイリン、シェラ」
それはドレス姿のアイリンとシェラだった。2人の美しい少女は俺に近づいた。
「レッド、ここで何しているの?」
「隠密行動を取っていたさ」
「隠密行動? そんなのあんたにはできないよ!」
シェラが嘲笑った。俺は少し傷ついた。
それから俺はアイリンとシェラと一緒に庭園を見回った。秋の花々がランタンの光に照らされ、神秘的な雰囲気だった。2人の少女は童話の中のお姫様のようだった。
「あう……」
白いドレスのアイリンがうとうとし始める。シェラはアイリンを部屋まで連れていき、着替えさせてから寝かせた。俺は部屋の外でシェラを待った。
「レッド、静かなところでお話しよう」
「ああ」
俺とシェラは屋敷の裏側の空き地に向かった。普段シェラが格闘の鍛錬をする場所だ。
「よいしょ」
シェラが大きな木の下に座った。俺も彼女の横に座った。そして2人はしばらく夜空を眺めた。
「ね、知ってた?」
ふとシェラが口を開く。
「実は今日が私の誕生日なの」
そう言えば戦闘の前日、シェラがそういう話をした。仕事に追われて完全に忘れていたけど。
「忘れていた。プレゼントも用意できなかったな……すまない」
「いいの。その代わり、望みを一つ聞いてね」
「何の望みだ?」
「今は知らない。思いついたら話す」
「いいかげんだな」
俺は苦笑した。
「その……レッド」
シェラは自分の膝を抱えて、地面に視線を落とした。
「戦闘のことだけど……」
「戦闘?」
「うん」
シェラの顔は少し暗かった。
「私は他の兵士たちと一緒に戦線を支援していたの。しかし戦闘が激しくなって……敵兵士たちが私たちのいるところまで攻めてきた」
俺はシェラの顔を見つめながら、彼女の話に耳を傾けた。
「私も必死に戦って敵兵士の1人を倒したの。でも……止めを刺すことができなくて……逃してしまった」
「そうだったのか」
「うん、私は……怖かった」
少し間を置いてから、シェラは顔を上げて俺を見つめる。
「レッド、あんたは……戦場が怖くないでしょう?」
「ああ、怖くない」
「やっぱり……あんたって勇敢だよね。私と違って……」
俺は首を横に振った。
「それは少し違うさ」
「違う?」
「俺は戦場が怖くないから、逆に勇気を出す必要もない。だがお前や兵士たちは違う」
俺は手を伸ばして、シェラの頭を撫でた。
「お前や兵士たちは……戦場が怖いにもかかわらず、命をかけてこの都市を守った。大事なもののために勇気を出したんだ。それこそが本当の勇敢な行動だ」
「……そうかな」
「ああ」
俺が頷くと、シェラが俺に体を寄せてくる。
「ありがとう、レッド」
俺とシェラはしばらく沈黙の中で過ごした。
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連日続いたパーティーもやがて終わり、『南の都市』は普段の姿を取り戻した。
俺は兵士たちを訓練させながら、深まる乱世に備えた。余裕がある時に少しでも多くの兵士を養成しておきたい。
そして12月……俺に1通の手紙が届いた。ホルト伯爵からの手紙だった。




