第72話.夏の終わり
小屋に戻ると、いつも通りアイリンが明るい顔で駆けつけてくる。
「あう!」
「元気にしてた?」
俺は手を伸ばしてアイリンの頭を撫でてやった。アイリンは勉強をしていたようだった。
「爺は?」
「こっちだ」
後ろから声が聞こえてきた。いつの間にか鼠の爺が後ろに来ていたのだ。俺は笑いながら爺に布の袋を渡した。
「またクリームパンか?」
「いや、今日はチーズケーキだ」
「へっ」
3人で一緒にケーキを食べ終えると、爺が席から立って空を見上げた。
「今日は天気がいいな。薬草を採取しに行こう」
「あう!」
アイリンが『分かりました!』という顔で頷いた。
「レッド、お前はどうする気だ?」
「俺も一緒に行くよ」
「じゃ、 草取り鎌と革袋……そして水を持ってこい」
草取り鎌と革袋と水を用意して、俺たちは北の山に向かった。雲一つない空がどこまでも広がっていた。確かにいい天気だが……少し暑いな。
「アイリン、暑くないか?」
「あう」
「無理するな」
「あう!」
時々木の陰で休みながら、俺たちはゆっくり歩いた。そして30分くらい後……やっと山口に辿り着いた。
「今日はあの辺がいいかな」
爺が山の奥に向かい、俺とアイリンはその後を追った。鬱蒼たる樹林のおかげで少し涼しい。
「ここから始めよう」
山の奥には、樹林に囲まれた平坦な草地があった。俺たちはそこから薬草の採取を始めた。
「これを採取すればいいのか?」
「あう」
残念だけど、俺は薬草についてほぼ何も知らない。アイリンに質問しながら採取するしかないな。
「爺」
「何だ」
「爺は薬草に詳しいのか?」
爺は採取した薬草を俺に渡しながら答える。
「基本的なことは知っているが、そこまで詳しくない。アイリンの方が私より詳しいはずだ」
「へえ……」
俺は正直驚いた。アイリンは本当に頑張って勉強したんだな。
「でも……」
爺は少し離れたところで薬草を採取しているアイリンを見つめた。
「1人で勉強するには限界がある。ちゃんとした師匠に教わらなければならない」
「それはそうだな」
ちゃんとした薬学の師匠か。どこにいるんだろう。
「ところでお前……総会の会長がこんなところで薬草採取なんかやっていてもいいのか?」
「へっ」
爺の質問に俺は笑った。
「別にいいんだ。俺が一々指示を出すわけにもいかないし、ある程度は任せても問題ない」
「それっぽいな」
爺も笑った。
「それより……爺が以前言っていた計画のことなんだけど」
俺は爺の顔を直視した。
「俺が強くなるのが第1段階。その次は俺が兵士になることだっただろう?」
「ああ……ただし、一般兵士ではなく『士官』だ」
爺は杖に頼って立ち上がる。
「内戦が起こると、部隊を率いている士官の価値が上がる。武勇に優れた士官なら尚更だ」
「そうだろうな」
「上手く動けば一気に出世することもできるし、場合によっては……雇い主の地位を奪って貴族になることも不可能ではない」
「確かに……そういう話を読んだことがある」
歴史の本によると、そういう『下剋上』も実際にあったらしい。
「しかし……お前はもう総会の会長になったからな。その立場を利用すれば、普通の士官よりも有利に立ち回ることもできるはずだ」
「そうだな」
まずは利用できそうな貴族を見つけ出す必要があるか……。
「どちらにしろ、現国王が死んで内戦が起きた後の話だ。まだ2、3年くらい余裕があるから……その間に最適な条件を揃える。それが当面の課題だ」
「分かった」
やがて俺たちは薬草採取を終え、山を降りて小屋に向かった。俺は左手で薬草がいっぱい入っている革袋を持ち、右手でアイリンの手を握って歩いた。
爺の予言通り2、3年後に内戦が起こるんだとしたら……こうしてアイリンと平和な日常を送るのも2、3年で終わるということだ。残念だけど……仕方ない。できるだけアイリンと一緒に過ごそう。俺は歩きながらそう決心した。
だが……状況は俺を待ってくれなかった。夏が終わり、涼しい風が吹き始めた頃……『現国王が昏睡状態に陥った』という知らせが王国全体に広まったのだ。




