第554話.本当の救世主
粗末な小屋の中で、俺は灯火を眺めていた。
周囲は真っ暗だ。でもこの小さな灯火のおかげで、俺は自分の姿を見失わずにいることが出来た。自分の姿を振り返ることが出来た。
「へっ」
面白いことだ。赤い化け物、悪魔、赤竜、救世主……どこに行っても「規格外の存在」扱いされてきた俺だけど、結局ただの人間に過ぎない。
だが人間で十分だ。人間の底力は……木どころか、国だって壊せる。師匠のその言葉通り、俺はどんな強敵も倒してきた。
人間として、運命も倒してやる。長い業も倒してやる。心の中でそう誓った。
「総大将」
日付が変わろうとした時、トムが小屋に入ってきた。
「村の井戸から新鮮な水を汲んできました。お飲みください」
「ありがとう」
トムから革水筒を受け取って、一口飲んだ。涼しくて気持ちいい。
「総大将……」
視線を落としたまま、トムが口を開く。
「申し訳ございません」
「へっ。何で謝るんだ、お前?」
俺は笑ってしまった。
「まさかこの水に変なものでも入れたのか?」
「いいえ」
冗談のつもりで言ったが、トムは真剣な顔で首を振った。
「自分は……総大将が格闘場の選手だった頃から、応援しております」
トムの声が震える。
「今も総大将のデビュー戦を鮮明に覚えております」
「あれをまだ覚えているのか」
「もちろんです」
トムが強く頷く。
「格闘場の床を掃除しながら、偶然総大将の戦いを見てしまいました。そして身体が震えるほどの感動を覚えました」
「あの頃の俺は、別にそこまで強くなかったけどな」
「いいえ」
トムが顔を上げて俺を見つめる。
「観客たちの怒声や野次にも怯まず、己の存在を世に示す。自分にとって総大将は……あの頃から最強です」
トムの瞳に涙が滲む。
「自分も強くなって……総大将と一緒に戦いたいと思いました。だから総大将の副官になった時、本当に嬉しくて……本当に……」
トムが涙を流す。
「でも未だに自分は……微力です。総大将とお嬢様が苦難に直面したのに、何の力にもなれなくて……」
「馬鹿なこと言うな、トム」
俺はニヤリとした。
「お前は決して微力ではない」
「総大将……」
「お前がいるからこそ、俺は常に前だけを見て突撃出来る。副官としてのお前の力量は……間違いなく王国一だ」
「自分は……」
泣いているトムの肩を、俺は軽く叩いた。
「それに、俺はお前や仲間たちからたくさん学んできた。それで今の俺がいるのさ」
「最強である総大将が、自分のような者から……」
「無論だ。お前の真面目さと誠実さには、いつも感心している」
俺は笑顔を見せた。
「みんなから少しずつ学んで、俺は強くなってきた。そして俺は……最強で止まるつもりもない」
「それは……」
「最強というのは、結局ただの看板に過ぎないってことさ」
「看板、ですか?」
「ああ」
俺は頷いた。
「仮にここが蟻の巣で、俺だけが蜘蛛だったら……俺は間違いなく最強だ。でもそこで止まっていては、いずれ猛獣の足に踏まれるだろう」
「総大将は……自分の限界を超えるおつもりですね。いつまでも」
「そうだ。仲間から学んで、敵から学んで、人々から学んで……ずっと強くなっていきたい」
俺はトムの顔を見つめた。
「分かったか? お前は俺の仲間であり、信頼出来る副官であり、俺に力をくれる存在だ。俺はいつもお前から学んでいる。だから……自分に自信を持て」
「……かしこまりました」
トムの瞳に闘志が宿る。
「最強を超える総大将が、自分を信頼してくださっている。自分も……自分を信じます」
「それでいい」
トムの気迫が以前より強くなった。この真面目過ぎる副官は、これからもどんどん強くなるだろう。
それから俺とトムは、灯火を見つめながらいろいろ話し合った。今までの様々な思い出や、一緒に乗り越えてきた無数の戦いについて……笑いながら話し合った。
「レッド」
日付が変わり、更に1時間くらい経った時……小柄の少女が現れた。アイリンだ。
「トム」
「はい、総大将」
「お前ももう休め。俺はアイリンと話がある」
「はい」
トムは俺とアイリンに挨拶して、小屋から出た。それで俺はアイリンと二人きりになった。
「レッド」
「ああ」
「一緒に……歩こう」
「分かった」
俺とアイリンも小屋を出て、歩き出した。月が出ているが、村は相変わらず暗闇に包まれている。
「真っ暗だな」
「でもレッドがいるから……怖くない」
そう言いながら、アイリンが俺の手を掴んだ。そして俺たちは一緒に歩いて、真っ暗な道を進んだ。
「こうしていると、まるで昔みたいだな」
「うん」
アイリンが頷いた。5年前も、俺たちは一緒に夜道を歩いた。爺の小屋から南の都市まで、手を繋いで一緒に歩いた。
「覚えているか? お前が居眠りすると、俺が背負ってやった」
「その話は……ちょっと恥ずかしいかも」
アイリンが恥ずかしそうに笑った。
「あの頃のお前は、軽すぎたんだ。不思議なくらいに」
「今はちょっと重いかもしれない」
「俺がまた背負って、体重を測ってやるか?」
「ううん、嫌だ」
真っ暗な村の中を歩きながら、俺たちは他愛のない話をした。そして村の外側の、小さな坂の上に辿り着いた。
「ここは……」
まだ真っ暗だが、坂の上から周りの地形が見えた。山、川、森……秘境と呼ばれるベルンの山の景色だ。
「ここの景色を、レッドに見せたかった」
アイリンが笑った。
「今は暗くてよく見えないけど」
「いや、いい景色だ。荘厳で美しい」
広大な大地を見つめながら、俺はそう答えた。
「俺もお前にいろんな景色を見せたかった」
「やっぱりそうなんだ」
俺たちは一緒に笑い、夜の秘境を眺めた。
そして俺はある事実に気付いた。この坂の上からは……西の地平線が見える。つまりアイリンは……ここからずっと眺めていたのだ。俺のいる方を。
「……すまない」
俺が呟いた。
「もっと……早く来るべきだった」
「ううん」
アイリンが首を横に振った。
「たった5年で、レッドは王国の反対側からここまで来た。無数の人を救って、王様になって来た」
「俺は……」
「そして今は……救世主と呼ばれている」
「違う」
俺は首を振った。
「俺が人々を救ってきたのは、あくまでも俺自身のためだ」
「レッド……」
「お前に希望を与えられたからだ。つまり……」
俺はアイリンの顔を見つめた。
「本当の救世主は……アイリン、お前だ」
「……違うの」
アイリンが優しい笑顔を見せた。
「私、あの貧民街にいた時……ずっと苦しかったの」
「アイリン……」
「農場で働いて、やっとパンをもらって、すぐ奪われて……ずっと苦しかった」
アイリンが両手を伸ばし、俺の手を取った。
「あの日、人々に酷く殴られて……私はそう思ったの。もう……楽になりたいと」
「お前……」
「でも……レッドが来てくれた」
アイリンが俺を見上げる。
「レッドが……私を救ってくれた。全ての希望を失った私を……救ってくれた」
少女の純粋な瞳から、涙が零れ落ちる。
「あの時から、私は分かっていたの。レッドこそが……救世主よ。私の救世主」
アイリンが俺に抱き着いた。あの頃のように。
「レッドのおかげで世界が変わった。希望を得て生きることが出来た」
「俺も……お前のおかげで世界が変わった」
そして俺もアイリンを抱きしめて、涙を流した。
俺とアイリンは一緒に泣いて、一緒に笑った。月明かりがそんな俺たちを照らしてくれた。




