第553話.暗闇の中で
日が落ちて、月も雲に隠れた。山の中の村は……暗闇に包まれた。
果てしない空も、荘厳な山の峰も、広大な大地も……今は濃い闇に塞がれて見えない。まるで世界が滅んでしまい、この村だけが残されたみたいだ。
そして俺たちは……待っていた。マリアの家の中に集まり、沈黙の中で、ひたすら待っていた。
どれだけ時間が経ったんだろうか。音もなく一人の女性が現れた。白猫だ。
「……待たせたわね」
全員の視線が白猫に集まった。俺は席から立って、白猫に近づいた。
「二人はどうしている?」
「アイリンちゃんはレイチェルさんと一緒に診療所で薬草を整理している。黒猫ちゃんは……客用の小屋にいる。タリアちゃんと一緒にね」
いつもとは違い、白猫はとても真剣な顔で話を続ける。
「どうやらその話は……本当みたい」
「そうか」
「うん、6年前の事件だった」
みんな息を殺して、白猫の話を聞いた。
「当時、青鼠はある男から暗殺依頼を受けた。『豪商である自分の兄と兄嫁を殺して欲しい』という依頼をね。遺産を狙っての暗殺……よくある話よ」
白猫の顔が暗くなる。
「しかし依頼人が迂闊に動いたせいで、暗殺目標の2人は用心するようになった。だから青鼠は偽の情報を流して、彼らを屋敷の外に誘引した。そして……」
「……黒猫が暗殺を実行したんだな」
深く息を吸ってから、俺は口を開いた。
「その話なら以前、青鼠から聞いた。でも暗殺目標が……アイリンの両親だったとは……」
「アイリンちゃんは衝撃で記憶と言葉を失い、貧民街に捨てられたのでしょう。そしてレッド君に出会ったのよ」
重い沈黙が流れた。過酷な少女の運命に……みんな何も言えなかった。
「……アイリンは」
マリアが沈黙を破いた。
「あの子は、極端的な退行現象による自我崩壊状態だったのさ」
「退行現象……」
「目の前で両親を失ったという、過酷な現実に耐えられず……全てを忘れてしまった。自我、記憶、言語能力……その全てを」
マリアの視線が俺に向けられる。
「だが、レッド……お前に出会ってアイリンは少しずつ回復した。少しずつ自分を取り戻した」
「……アイリンは文字の読み書きをすぐ学習した。元々知っていたからなんだな」
「お前のおかげだ、レッド。お前があの子に希望を与えてくれたからだ」
その言葉を聞いて、俺は首を横に振った。違う、希望を与えられたのは……俺の方だ。
「しかしアイリンにとって、あの黒猫という子は自分の全てを奪った存在だ」
マリアがため息をつく。
「自分の全てを奪った存在が、自分に希望を与えてくれた存在と一緒にいる。耐えられないことさ」
「……責任は俺にある」
俺が言った。
「夜の狩人の現頭領は、この俺だ。そして俺は黒猫に言った。お前の業は俺が背負うと」
「レッド君……」
白猫が悲しい顔になる。
「いくらレッド君でも、それは駄目だよ。アイリンちゃんがレッド君のことを恨むはずがないでしょう? そんな形では……黒猫ちゃんも耐えられないわ」
白猫が視線を落とす。
「『暗殺集団は道具に過ぎない。そして道具に罪はない。罪は扱う人間にある』……青鼠から何度もそう言われた。でもそんなのは都合のいい嘘に過ぎない。青鼠も、私も、黒猫も、フクロウも……結局自分自身の業から逃げられないのよ」
「……それは青鼠の言葉ではない」
そう言ったのは、鼠の爺だった。
「ここベルンの山の洞窟で、夜の狩人が誕生した時から……その言葉が受け継がれてきた。人間性を捨てさせるためにな」
爺が俺を見つめる。
「レッド、お前は夜の狩人を防諜機関に変えた。だがその業は変わらなかった。仕方ないさ。お前が生まれる前からの、長い業だからな」
爺が視線を落とす。
「……すまない、レッド」
「爺……」
「私が、私の世代でやるべきだった。だが私は逃げてしまった。そのせいでお前とアイリンが巻き込まれた。本当に……すまない」
爺の声が震える。後悔と悲しみに震える。
「……心配するな、爺」
俺は拳を握りしめた。そしてみんなの顔を見渡した。
「みんな、もう休んでくれ。時間が遅い」
「レッド君……」
白猫が俺に近寄ったが、俺は首を振った。
「これは……命令ではない。頼みだ。俺に任せてくれ」
仲間たちが俺を見つめる。彼らの視線には悲しみと心配、そして信頼が籠っている。
「レッド」
ずっと黙っていたシェラが口を開いた。
「まず私がアイリンちゃんと話して、あの子を安心させる。それが出来るのは私だけよ」
「シェラ……」
「レッドが動くのはその後。分かったよね?」
「……ありがとう」
俺は婚約者に感謝した。そして覚悟した。運命と戦うために。




