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第538話.両方の軌道

 4月25日の朝、俺は警備隊隊長室で書類仕事に集中した。


「ふむ……」


 お茶を飲みながら、各指揮官たちが提出した報告書をちゃんと読む。内容の把握が終わったら『ロウェイン公爵』と署名して、次の報告書を読む。その繰り返しだ。


 編成、補給、整備、訓練、偵察、防諜、支援……俺が確認するべき事項はいくらでもある。もちろん俺は各指揮官たちの判断力を信じているが、だからといって確認を疎かにするわけにはいかない。東部遠征軍の総指揮官として、俺は常に現状を知っているべきだ。


「……やっぱり第一の問題は予算か」


 俺は眉をひそめて、報告書に並んでいる数字を見つめた。


 一万に至る遠征軍の兵力を維持するためには、莫大なお金がかかる。食費と装備費、人件費のように基本的な支出だけでもとんでもない金額だ。まさに『毎日金塊をばら撒いているような状態』なのだ。


 もちろん俺には確実な収入源がある。国王代理として、俺は王国の経済の要である『王都地域』を統治しているのだ。王都財務官であり、俺の婚約者であるシルヴィアが毎四半期に莫大なお金を軍事予算に組み込んでくれている。東部遠征の成功の裏には『果敢な戦略を可能にする経済力』があったわけだ。


 だがそれでも……『大陸最強』ルケリア王国軍を相手にするには足りない。エミルの情報部からの報告をまとめると、『黒竜』の総兵力は……最低でも俺の5倍以上だ。勝利は……遠い。


「……ん?」


 ふと窓の外から音が聞こえてきた。無数の足音だ。俺は窓側に立って外を眺めた。


「新兵訓練か」


 警備隊本部の訓練場に、一千人の青年が集まっている。彼らは練習用の木剣や盾などを装備し、列に並んで動いている。一人前の戦士になるために……しっかり基礎訓練を受けている。


 新兵訓練を指揮しているのは赤竜騎士団だ。俺の最初の仲間である6人は、真面目な態度で新兵たちに戦いを教えている。極限に鍛錬された武と素晴らしい統率力を発揮し、一千人の青年に規律と士気を植え付けている。


 俺はしばらく新兵訓練を見守った。ついこの間まで、普通の市民だった青年たちが……どんどん気迫を強めていく。どんどん戦士になっていく。不思議と言えば不思議な光景だ。


 どうしてだろう? どうして彼らは俺の下に集まり、兵士になろうとしているんだろう? 給料のため? 出世するため? ま、それもあるかもしれないが……それが全てではない。


 そう、青年たちは……俺を信じて集まったのだ。『最強の赤き公爵』なら命も賭けられると信じて集まってくれた。俺の戦いに影響され、勇気を出してくれた。


 逆も同じだ。俺も……影響されている。俺を信じてくれる人々に影響され、いつの間にか変わってしまった。『怒りと憎悪で暴力を振るうだけの赤い化け物』から『みんなを率いて勝利へと進む赤き総大将』になった。人間という生き物は……本当に不思議だ。


「総大将」


 小柄の副官が隊長室に入ってきて、頭を下げた。


「外交文書の作成を完了致しました。どうかご確認ください」


「ああ」


 俺はトムから文書を受け取り、読んでみた。


 これは支援要請の外交文書だ。しかも以前シェラが送ったものとは違う。『ロウェイン公爵』の名をかけて、王国中の大領主たちに『対ルケリア王国軍戦略の支援』を要請する文書だ。


 ルケリア王国軍に勝つためには、東部遠征軍の力だけでは足りない。文字通り、王国中の全ての力を集中しなければならない。


「……よくやった」


 俺は外交文書をトムに返した。


「今週中に王国中の全ての大領主に発送せよ」


「はっ」


 トムが頷いた。小柄の副官の瞳にも気迫が宿っている。少しずつでも前へ進む誠実さと真面目さが気迫になり、トムに力を与えている。


「……お前にもいろいろ教えてもらったよ」


「は、はい……?」


「いや、何でもない」


 目を丸くするトムを見て、俺はニヤリとした。


 その時、一人の女性が隊長室に入ってきた。東部遠征軍の諜報担当者、鳩さんだ。


「頭領様」


 鳩さんが魅力的な笑顔で頭を下げる。


「諜報員たちからの報告です。少しだけですが、ルケリア王国の動きを掴みました」


「ほぉ、言ってくれ」


「まずコスウォルトに上陸してきた『ルケリア王国軍第三艦隊』は、我が遠征軍に負けた後、そのまま本国へ帰還した模様です」


「やっぱりそうか」


 俺は腕を組んで頷いた。


「流石のルケリア王国軍の艦隊でも、5割近くの兵力を失ったからな。本国に帰って再編成を行わないと、まともな作戦遂行も出来ないさ」


「それが……再編成どころか、解体を指示されたようです」


「解体だと?」


 俺が眉をひそめると、鳩さんが「はい」と頷く。


「第三艦隊の提督であるオレーナ・イオベインは、本国に帰還した直後、国王から以下のような書簡を受け取りました。『第三艦隊は作戦に失敗した上に莫大な兵力を損失し、ルケリア王国軍の名誉を失墜させた。このような許されない失態を犯した第三艦隊に解体を命ずる』」


「いやいや……」


 俺は首を振った。


「確かに信賞必罰は大事だ。でも一度負けたからって、新設の艦隊を解体するとは」


「どうやらルケリア王国内の政治的な対立が絡んでいると推測されます」


 鳩さんが説明を続ける。


「頭領様もご存知通り……第三艦隊の提督のオレーナ・イオベインは、国王ライオネル・イオベインの妹です。上位の王位継承権はもちろん、かなりの人望と実績を持っている人物らしいです」


「まさか……」


 俺は苦笑いした。


「まさか将来の政敵になり得る妹を、作戦の失敗を口実に排除したってのか?」


「はい、その可能性が高いかと」


 鳩さんがまた頷いた。


「『黒竜の化身』と呼ばれているライオネル・イオベインは、ルケリア王国の国王に就任して以来……自分の権威に挑戦出来る人物を徹底的に排除してきました。故に多くの貴族が反感を覚えましたが、彼の軍事力があまりにも強大だから表面的には従順を装っているようです」


「へっ」


 俺は笑った。


「自分の権力を絶対的なものにするために、王国内の有力な人物を次々と排除するのか。ま、確かに有効な手段ではあるが……」


 頭の中で『黒竜』ライオネルの姿が想像された。やつの人物像が……だいぶ固まってきた。


「今の黒竜の周りには、やつが何を言っても反対しない連中ばかりだろう。よく言えば側近たちの忠誠心が強いってことだけど、悪く言えば……」


 俺はしばらく考え込んでから、鳩さんを見つめた。


「ありがとう、鳩さん。かなり有益な情報だった」


「頭領様のお役に立てたのなら幸いです」


 鳩さんが笑顔を見せた。


 トムと鳩さんが隊長室から出た後、俺は机に座って考えに耽った。現実的に見て、俺と黒竜の差は激しい。黒竜の軍隊は屈強で数も多い。真っ向勝負では……この世のどんな軍隊でもやつには勝てないかもしれない。


 だが、俺には……少しずつだけど見えてきた。大陸最強の黒竜に勝つ瞬間が。

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