第522話.大切な存在
「何か罠が待ち受けているかもしれない。みんな、気を付けろ」
そう言ってから、俺は仲間たちを連れて海沿いの村に向かった。
「……レッド君も気を付けてね」
軍馬の手綱を並べて走りながら、白猫が言った。
「流石のレッド君も疲れているでしょう? 敵はレッド君を集中的に狙ってくるはずよ」
「ああ、分かっている」
グレゴリーの反乱軍は、もう遠征軍の攻撃に壊滅された。もうグレゴリーに残った『逆転の手段』は1つしかない。遠征軍の総指揮官である『ロウェイン公爵』を……俺を殺すことだ。
俺と猫姉妹と赤竜騎士団……9人は覚悟を決めて走った。何としてもここでグレゴリーを仕留める。東部地域の秩序を立て直すための、最後の決戦だ。
やがて俺たちは海沿いの村に辿り着いた。見たところ、漁業と宿泊業が盛んでいる村だ。本来はそれなりに繁栄していたんだろう。でも今は……ひたすら静かだ。村人も旅行客も見当たらない。
「レッド君、あっちに」
白猫が南の方を指さした。そこには2階建ての大きな宿屋があった。海の近くの美しい宿屋だ。しかしその宿屋の前には……30騎の騎兵が並んでいる。反乱軍の騎兵隊だ。
「あいつら……」
俺はすぐ分かった。グレゴリーは自分の騎兵隊に命令して、村人たちをあの宿屋に閉じ込めたに違いない。その後、ゆっくりと村を略奪するつもりだったんだろう。
しかし俺たちが追跡してくると、やつらは略奪を中止して戦闘態勢に入った。隊列を組み、武器を構えてこちらを睨んでいる。
殺気が漂う空気の中、俺と仲間たちは宿屋に近づいた。青く美しい海が見える場所で……俺たちは敵の騎兵隊と対峙した。
俺は仲間たちに停止を命じてから、ケールと共に前に出た。すると向こうからも1人の男が前に出てくる。その男は真っ黒な鎧を着て、鋼鉄の槍を手に持ち、巨大な軍馬に乗っていた。
「……まさか本当に追ってくるとはな」
真っ黒な鎧姿の男が言った。
「一応、自己紹介しておこうか。私がグレゴリーだ。世間では放浪騎士と呼ばれている」
男が俺を見つめながら自己紹介した。そう、こいつこそが……反乱軍のリーダーである放浪騎士グレゴリーだ。
グレゴリーはとても鋭い目つきと巨体を持っている、30代の男だ。そしてやつの全身からは尋常ではない気迫と威圧感が放たれていた。
「俺はレッドだ」
「会えて嬉しいよ、ロウェイン公爵」
グレゴリーがニヤリとする。
「敵ながら、お前の戦略戦術は見事だった。お前さえ来なかったら……私はもうこの東部地域の覇者となっていたはずだ」
「そうかい」
「でもまさかそんな少数だけで私を追ってくるとは……驚いたよ」
「もたもたすれば、またあんたを取り逃す可能性があるからな」
俺は淡々と言った。
「今日、何としてもあんたとアルデイラ公爵を仕留める。それでこの東部地域の混沌も終わる」
「ふふふ、流石『救世主』だ。言うことが違う」
グレゴリーが笑った。
「だが……お前は最後の最後で過ちを犯した。私のことを舐め過ぎたのさ」
グレゴリーの気迫が一層強くなる。今まで戦った敵の中でも……こいつは指折りに入るほど強い。
「一目で分かるよ。お前もお前の『赤竜騎士団』も……気力がかなり低下している。ルケリア王国軍が余程手強かったんだろう? そんな状態で……本当に私を倒せると思うのか?」
「倒せるさ、十分に」
俺は大剣『リバイブ』を構えた。
「あんたを倒す前に、1つ聞きたいことがある。アルデイラ公爵はどこだ?」
「あいつは1人で逃げたよ。どうしようもない臆病者だからな」
「そうか。じゃ、あんたを倒してアルデイラ公爵を追うべきだな」
「ふふふ」
グレゴリーはまた笑ったが、やつの目には強い殺気がこもっている。
「お前をただ殺すだけでは気が済まない。もっと余興が必要だ」
「余興だと?」
「そうだ」
グレゴリーは顔に冷酷な笑みを浮かべる。
「もう分かっているだろうが、私の後ろの宿屋にはこの村の村人たちが監禁されている」
そう言ってから、グレゴリーは自分の部下に目配せする。その部下は手に持っていた松明を宿屋の壁に投げる。すると宿屋の壁に火がつき、急激に広がる。事前に油をばら撒いておいたのだ。
「これで村人たちは5分以内に全員死ぬ。お前が本当に救世主なら、私を倒して村人たちを救ってみせろ」
「……覚悟しろ」
グレゴリーが言葉を言い終える前に、俺は突進した。
「ぐおおおお!」
ケールと共に突進し、グレゴリーの首を狙って大剣を振るった。並大抵の騎士なら1撃で殺せる攻撃だ。だがグレゴリーは鋼鉄の槍で俺の攻撃を受け止める。
「まさか本当に怒ったのか!? 赤い化け物……!」
グレゴリーが鋼鉄の槍を振るい、反撃してくる。しかもやつの反撃はただ力任せではない。ちゃんと槍術を極めている。
「はあっ!」
俺とグレゴリーは一瞬で数回の攻防を繰り広げた。そして両者は相手の強さに驚いた。こいつは本当に強い……!
「みんな、ボスに続け!」
レイモンが一喝すると、仲間たちが突進する。それと同時にグレゴリーの部下たちも突進してきて……宿屋の前で激突する。美しい海沿いの村が……瞬く間に残酷な戦場と化す。俺の仲間たちは30騎の精鋭騎兵を相手に奮戦する。
「うおおおお!」
俺は全身の力を引き出して、連続で斬撃を放った。数多の修羅場を突破してきた武の真髄……その疾風の如き攻撃に、グレゴリーも圧倒される。
「くっ……!」
グレゴリーは慌てて防御に徹するが、もう俺には勝機が見えてきた。しかし俺がとどめの一撃を加えようとした時、2人の騎兵が俺の邪魔をする。
「グレゴリー様……!」
「俺たちも加勢します!」
グレゴリーの部下たちが、主に加勢しに来たのだ。しかもこいつらは結構強い。他の反乱軍とは違って、グレゴリーが直接長い年月をかけて養成したんだろう。まるで俺の『赤竜騎士団』のように。
「どうした、赤い化け物!?」
部下たちに助けられ、グレゴリーが反撃を再開する。
「3対1だからって卑怯だとは言わないだろうな……!」
グレゴリーと2人の騎兵は、息を合わせて俺を攻撃する。3本の槍が俺の首筋と心臓を狙ってくる。俺は守勢に回った。
「ちっ……!」
苦戦しているのは俺だけではない。仲間たちも3倍以上の敵精鋭騎兵に押されている。本来なら、俺たちが押されるはずがないけど……今は難しい。グレゴリーの言った通り、俺も仲間たちも気力が低下している。
「さあ、早く私を倒してみせろ! 悲惨に死んでいく人々を救ってみせろ!」
グレゴリーが狂気に染まった顔で叫んだ。
「所詮はお前も私と同類だ! 本当は弱者たちの命なんかどうでもいい! そうだろう、救世主さんよ……!」
憎悪と怒りに満ちて、グレゴリーは一層激しく攻撃してくる。こいつの実力は……『百虎の騎士』ハーヴィー卿と同格だ。極限の武を持っている。一瞬でも気を抜いたら、俺も命が危険だ。その上、やつの部下2人も激しく攻撃してくる。
「無知で無力なやつらなんか、所詮は家畜に過ぎない! コスウォルトの市民も、この村の連中も! 力を持った者に蹂躙されるのが運命だ!」
俺は口を噤んで、防御に徹した。そして少しずつ集中力を高めた。
「答えてみろ、ロウェイン公爵! 本当はお前も弱いやつらなんか軽蔑しているんだろう!? 虫けらだと思っているんだろう!?」
グレゴリーの勢いがどんどん強くなる。鋼鉄の槍が何度も俺の心臓を貫こうとする。
「存在してはいけないのだ、お前は! 弱者に優しい強者なんか、許されない存在だ!」
グレゴリーが憎悪を込めて1撃を放つ。完全武装した騎士をも簡単に殺せる、強烈な攻撃だ。しかし今の俺には……その攻撃の軌道がはっきりと見える!
俺は上半身を少しだけ動いて、グレゴリーの強烈な1撃をかわした。そしてすかさず反撃を繰り広げた。
「くっ!?」
グレゴリーは俺の反撃を槍の柄で防ぐ。素晴らしい反応速度だ。そしてやつの部下たちが、主を助けるために俺を猛攻撃する。
「失せろ、雑魚ども!」
俺の大剣が大きく円を描き、グレゴリーの部下たちを退けた。グレゴリーはそんな俺の首を狙って槍を刺してきたが……俺は防御せずに、やつに大剣を刺し込んだ。鋼鉄の槍と大剣が交差し、鮮血が流れる。
「がはっ……!」
直後、苦痛の悲鳴を上げたのは……放浪騎士グレゴリーだ。グレゴリーの槍は俺の首にかすり傷を与えただけだが、俺の大剣はやつの腹部を貫いた。
「グ、グレゴリー様……!」
「この野郎……殺してやる!」
グレゴリーの部下たちが激昂して俺を攻撃する。だが俺は容赦なく大剣を振るい、そいつらを斬り捨てた。
「ふふふ……」
血を吐きながら、グレゴリーが笑う。
「素晴らしいぞ、赤い化け物。だが……弱者を救うことには失敗だ。お前も……所詮は……」
グレゴリーは力尽きて、落馬する。数年に渡って東部地域を蹂躙してきた強敵は……そうやって命を落とした。
「グレゴリー様がやられた……!?」
「くっ……仇を取れ!」
しかし主が死んだにも関わらず、グレゴリーの騎兵隊は戦闘を続ける。いや、むしろ一層激しく攻撃してくる。こいつらの主への忠誠心は本物だ。
「退けぇ!」
俺はグレゴリーの騎兵隊を突破し、宿屋に近寄った。宿屋は……もう燃え上がっている。
「くっ!」
一刻も早く村人たちを助けるべきだ。俺はケールから飛び降りて、宿屋の扉を斬り飛ばした。そして燃えている建物に進入した。
炎に包まれた広い空間に、十数人が倒れている。しかもみんな手足が縛られ、口を塞がれている。俺は可能な限り多くの人を背負い、宿屋の外に運んだ。
「赤い化け物を殺せ!」
村人たちを助けている俺を、グレゴリーの騎兵隊が攻撃しようとする。しかし赤竜騎士団の6人がそんな敵の前を塞ぐ。
「ボスを護衛せよ!」
レイモンの号令と共に、6人は俺を守るために戦う。みんなかなり疲れているのに……凄まじい底力を見せる。主への忠誠心なら、赤竜騎士団は誰にも負けない。
「レッド君!」
「頭領様!」
そして猫姉妹が俺に近づき、一緒に村人を運ぶ。白猫はもちろん、黒猫も怪力を発揮して人々を救い出す。煙がどんどん濃くなっていくが……俺たちは1階の人々を全員救出した。
問題は……2階だ。2階にも多数の村人が監禁されているが、階段が火に燃えている。
「ちっ!」
俺はどうにか2階に登ろうとしたが、火に燃えている階段は俺の体重に耐えられない。無理に登ろうとしたら階段自体が崩れてしまう。これでは……どうしようもない。
「私に任せなさい!」
その時、白猫が全力で走り……階段に向かって跳躍する。超人的な身体能力のおかげで、白猫は階段を飛び越えてそのまま2階に着地する。
「お姉ちゃん!」
白猫に続いて、黒猫も跳躍する。俺は驚いて「黒猫!」と叫んだが、黒猫は無事に2階に着地する。そして人々を助けるために、猫姉妹は宿屋の奥に向かって走る。
「レッド君!」
白猫の叫び声がした。俺は状況を理解し、宿屋の外に出た。
「受け取って!」
2階の窓から、白猫と黒猫が縛られている村人を外に投げる。俺は村人を受け取り、地面に降ろした。そうやって俺たちは次々と命を助けた。
「これで全員だわ! 黒猫ちゃん、早く!」
やがて村人を全員救出した時、猫姉妹は2階から跳躍する。見事に村人救出に成功したのだ。
「く、黒猫!」
だがその直後、俺は目を見開いた。2階から跳躍した黒猫が……身体の均衡を維持出来ず、頭から落ちてくる。
俺は全神経を集中し、落ちていく義妹に向かって走った。そして黒猫が地面に激突する直前、その身体を受け止めた。
「黒猫!」
「黒猫ちゃん!」
俺と白猫は必死に叫んだ。黒猫は、煙の中で無理に動いてせいで……気を失ってしまった。この小柄の女の子は……人々を助けるために自分の命をかけたのだ。
「黒猫!」
俺は頭が真っ白になり、義妹の手を掴んだ。すると……黒猫がほんの少し目を開ける。
「頭領……様……」
黒猫が俺を見上げて、名前を呼んでくれた。白猫が急いで黒猫の脈拍を確認し、安堵のため息を漏らす。
「大丈夫よ、レッド君。黒猫ちゃんは……大丈夫」
その言葉を聞いて、俺も安堵のため息を漏らした。全身から力が抜けていく。
「お、お兄……ちゃん」
黒猫が俺をそう呼んだ。俺が「ああ」と答えると、黒猫は笑顔で眠りにつく。
「少し休めば、黒猫ちゃんは気を取り戻すはずよ。心配しないで」
白猫が涙を流しながら言った。俺はまた「ああ」と答えて、周りの状況を確認した。
グレゴリーの騎兵隊は、もう赤竜騎士団に撃退された。やつらは生き延びるために村の外へ逃げ出す。
「レイモン」
俺が呼ぶと、真っ黒な軍馬に乗っているレイモンが「はっ!」と答える。
「お前がみんなを連れて、グレゴリーの騎兵隊を追跡せよ。1人とも逃すな」
「はっ!」
レイモンは早速赤竜騎士団を統率し、グレゴリーの騎兵隊を追って走る。それで俺と猫姉妹だけが残される。
「……白猫」
俺は黒猫の傍に座っている白猫を呼んだ。
「黒猫のことを……頼む」
「レッド君……」
義姉は涙に濡れた瞳で俺を見上げる。
「駄目よ、レッド君。分かっているでしょう? いくらあなたでも、今の状態では……」
「俺がやるべきだ」
「レッド君……!」
「やつを取り逃したら、また多くの犠牲者が出る」
俺は拳を握りしめて、ケールを呼んだ。真っ黒な純血軍馬が俺に近寄る。
「あんたも相当無理しただろう? 黒猫と一緒にこの村で休んでいてくれ。俺はすぐ戻ってくるから」
その言葉を聞いて、白猫は泣き出しそうな顔をする。
「絶対に……絶対に無事で戻ってきてね。お姉さんと妹のために」
「ああ、任せろ」
俺は地面から大剣リバイブを拾い上げて、ケールに乗った。そして村を出て東に向かった。東部遠征の最後の敵……アルデイラ公爵を仕留めるために。




