第521話.自分の意志
遠征軍の主力部隊が港でルケリア王国軍と戦っている間、都市のあちこちでは混乱が起きていた。都市中央の本部に閉じ籠っていた反乱軍が、いきなり出陣したのだ。
「赤竜の軍隊は混乱している! 今の内に打って出るぞ!」
真っ黒な鎧姿の騎士が叫んだ。反乱軍のリーダー、放浪騎士グレゴリーだ。やつは野生動物並みの嗅覚で分かったのだ。現在、遠征軍はルケリア王国軍に気を取られている。つまり今なら包囲を突破して逃走出来る。
「包囲を突破せよ! 走れ!」
反乱軍が都市の中央から東に向かって乱雑に突進する。規律も士気も粗末な軍隊だが、その数はまだ数千もある。
「反乱軍を阻止しろ!」
「連中の逃走を許すな!」
遠征軍の本隊とウェンデル公爵軍がそんな反乱軍を追跡し、次々と撃退する。でも混乱は激化するばかりだ。反乱軍の数が多い上に、市街戦特有の複雑な地形のせいだ。
建物と建物の間の、狭い道を反乱軍が走る。すると遠征軍も狭い道に突入して反乱軍と戦う。そんな小規模の戦闘が、広大な都市のあちこちで何度も繰り返される。悲鳴と血が流れ、自由都市に戦争の狂気が広がっていく。
そして間もなく最悪の事態が起きる。戦争の狂気に、市民たちも巻き込まれてしまったのだ。
「動くな!」
数人の反乱軍が道路周辺の民家に侵入し、そこに住んでいた一家に武器を突きつける。
「動くと斬り殺すぞ!」
反乱軍が激昂した声で叫んだ。市民を人質にするつもりだ。こいつらはもう反乱軍とも呼べない。ただの盗賊の群れだ。
「ど、どうか子供の命だけは……」
若い夫婦が幼い子供を抱えて、怯えた顔で哀願した。だが狂気に染まった盗賊たちに同情心なんて無い。険悪な顔で親から子供を奪おうとする。
「……うっ!?」
しかし次の瞬間、子供に手を出そうとした盗賊が……いきなり倒れてしまう。いつの間にかやつの首筋には短剣が刺さっている。
「な、何だ!?」
残りの盗賊たちが慌てる内に、小柄の少女が音も無く窓から入ってくる。手に長いハルバードを持っている少女……黒猫だ。
「っ……!」
少女とは思えない怪力でハルバードを振るい、黒猫は盗賊たちを攻撃する。盗賊たちは抵抗も出来ないまま峰内で倒される。
「やったわね」
いつの間にか長身の女性が現れ、黒猫に笑顔を見せる。姉の白猫だ。
白猫は盗賊の首筋から短剣を回収し、若い夫婦を見つめる。
「あなたたち、ここは危険よ。安全な場所まで案内するからついて来なさい」
白猫の言葉に、若い夫婦は驚きながらも頷いた。それで猫姉妹は若い夫婦と子供を連れて、混乱の都市を駆け抜ける。
「はっ!」
道を塞いでいる3人の反乱軍を、白猫が踊るかのように動いて攻撃する。彼女の速度は普通の人間には対抗出来ない。反乱軍たちは瞬く間に短剣に刺されて倒れてしまう。
「さあ、こっちよ!」
猫姉妹は狭い道路を突破し、遠征軍が並んでいるところまで行く。そして若い夫婦と子供を彼らに任せる。それで戦争の狂気に巻き込まれた一家が救出される。
「黒猫ちゃん、また行くわよ」
「うん、お姉ちゃん」
猫姉妹は都市の中を縦横無尽に駆け回り、危機に陥った市民たちを次々と救出した。混沌と狂気がどんどん広がっているが、2人は諦めずに多くの命を救った。
「さて、次は……」
都市の状況を確認するために、白猫は雑貨店の屋上に登って周りを見回した。その時、彼女は異常を目撃する。
「あれは……」
反乱軍の部隊が東の城壁に向かって突進していた。しかもそれは普通の反乱軍ではない。よく訓練された……精鋭の騎兵隊だ。そして騎兵隊を率いているのは、真っ黒な鎧姿の騎士だ。
真っ黒な騎士は、凄まじい武力で遠征軍の兵士たちを倒す。あのままではもうすぐ城壁が突破されてしまう。
「……間違いない。あれはグレゴリーだわ」
あの反乱軍のリーダーを倒したら、この戦いも終わるだろう。だが距離が遠い。白猫は顔をしかめたが、それでも黒猫と一緒に東の城壁へ走った。
しかし猫姉妹が城壁に到着した時は、もう城門は突破されていた。そもそもこの都市の城壁はあまり頑丈ではない上に、度重なる戦闘で破損されていた。そして何よりも……グレゴリーが強い。遠征軍の主力部隊が港で戦っている今、彼を止めることは難しい。ウェンデル公爵軍の騎士たちも、今は市民を守ることを優先している。
「でもこのまま逃すわけにはいかない」
白猫は城壁の近くに立っている軍馬を見つけた。反乱軍の騎兵のものだが、主はもう戦死したみたいだ。白猫は素早くその軍馬の手綱を掴み、妹を見つめる。
「黒猫ちゃん、私たちで反乱軍のリーダーを追跡するわよ」
「うん」
猫姉妹は一緒に軍馬に乗って、城門を潜り抜けた。そしてグレゴリーの騎兵隊の足跡を追って走り出した。
広い道路を10分くらい走った時、白猫は軍馬を止めて後ろを振り向いた。後ろから多数の騎兵がこちらに来ている。
「……レッド君!」
白猫の顔が明るくなる。騎兵の正体は俺と赤竜騎士団だった。
「白猫!」
俺もケールを止めて猫姉妹を見つめた。そして互いの無事を確認し、俺たちは安堵した。
「港の方はどうなったの? ルケリア王国軍は?」
白猫の質問に、俺は笑顔を見せた。
「やつらは撃退した。もうコスウォルトの奪還は成功だ」
「流石レッド君だわ」
白猫が笑顔を見せる。
「じゃ、残った問題はグレゴリーとアルデイラ公爵だけなのね」
「ああ」
「さっきグレゴリーと騎兵隊を目撃したわ。30騎くらいだった。たぶんその中にアルデイラ公爵もいる」
「30騎か」
「うん、しかも結構精鋭に見えたの」
俺はその言葉を聞いて、仲間たちの姿を見渡した。赤竜騎士団の6人と猫姉妹は未だに強い気迫を放っているが……みんなかなり疲れている。このまま30騎の精鋭騎兵隊と戦ったら……被害は免れない。
「では、ここら辺で少し休憩する」
「休憩?」
「そうだ。みんな朝からずっと戦っているんだろう? 食事も出来ずに」
俺はケールから降りた。
「ここら辺で少し食べて、休んでから追跡を再開する。腹が減っては戦いなんか出来ない。敵はまだ多いからな」
「……そうね」
白猫は黒猫の顔をちらっと見てから頷いた。まだ15歳の黒猫も、朝から何も食べずに戦ったのだ。
俺たちは近くの小川に行って、軍馬に水を飲ませた。そして簡単に洗顔してから川辺に座り、携帯食料を食べた。いつもの堅パンと干し肉だが……幸い量は十分だ。
食事の途中、俺は黒猫を見つめた。義妹は堅パンを両手で掴み、少しずつかじって食べる。
「黒猫」
「はい、頭領様」
「よくやった」
俺が褒めると、黒猫は目を丸くする。
「私は……何をよくやったんでしょうか?」
「白猫と一緒に、多くの市民を助けたんだろう?」
俺が笑顔で言うと、黒猫が更に目を丸くする。
「どうして頭領様がそのことを知っているのですか?」
「分かるさ。俺には」
俺は黒猫の頭を撫でた。
「お前は自分自身の力と意志で、多くの人と希望を守ったんだ。本当によくやってくれた、黒猫」
「私には……正直よく分かりません。ですが……」
黒猫が俺を見上げる。
「可能ならこれからも……こういうことをやりたいです」
「ああ、お前なら出来るさ」
俺は笑顔で頷いた。
30分くらい後、俺たちは軍馬に乗って追跡を再開した。グレゴリーの騎兵隊の足跡を追って、東南の方向へ走り続けた。
「レッド君」
いきなり白猫が俺を呼んだ。俺は「ああ」と頷いた。前方から大きな村が見えてきたのだ。海沿いの村だ。グレゴリーはあの村に向かったに違いない。




